大正解 白く鋭利な槍の切先が空気を切り裂き、力強く弧を描く。青くしなる髪を朱色のリボンで結った少女は、一面真っ白の無機質な部屋で、今日も日課の戦闘シュミレーションに励んでいた。
ここはアクシス――。謎の暴走を起こした機械、「乱機」から人々の平和な日常を守る為の機関である。
普段賑やかなアクシス施設内でも珍しく静かな場所の一つが、この青髪の少女の居るシュミレーションルームだ。
そんなシュミレーションルームに、リズムのよい早足で向かってくる者が一人いた。
「なあそこのロボット、燈って今シュミレーションルームかな」
「ハイ。通常デアレバモウスグ終ワルト思モイマス。」
「ありがと、仕事頑張れよ!」
「ハイ。励ミマス。」
どうやら青髪の少女は、燈という名前らしい。
機嫌が良いのか段々と速くなった早足は、シュミレーションルーム、と書かれた扉の前で止まった。
「燈!俺だ!冬羽だ!ちょっと聞きたいことがあるんだが、今良いか?」
扉の向こう側で運動が止まる。
「分かった。すぐ行くが今汗をかいている。シャワーを浴びるから近くで待っていろ。」
どうやら相手もキリのいいタイミングだったようだ。部屋の近くのラウンジに長椅子がある。丁度いいやと言って早足の者――冬羽はそこに腰を下ろした。
三分ほど経って、おろした髪先にまだ雫の残った燈が、「待たせたな」と言ってやって来た。自らの身支度よりこちらの用事を優先させたのであろう。まったく彼女らしい。
しかし――
「流石に下着のままはどうかと思うぞ。」
「別に良いだろう。どうせここを通る者は少ない。」
デリカシーが無いというかマナーが無いというか。
スポブラにスポーティーなショーツ、肩にタオルをかけ左手首にあの髪を結っていたリボンを巻いたその姿は実に珍妙だ。面倒臭いのでもうそこら辺のマラソンランナーだと思うことにした。
「それで。私に聞きたいこととは何だ?」
隣に腰を下ろした燈が聞く。
「えーっと……。あ、そういやお前もう怪我とか色々大丈夫か?その……記憶を取り戻した〜ってのとかも。」
「…………」
「あ、悪ぃ悪ぃ。なんか辛いことあったんだっけ?」
「……いや、大丈夫だ。もう他の奴らのお陰もあって落ち着いた。冬羽の方も色々とあったと聞いたが。」
一瞬冬羽の顔が強張る。だがそれも気のせいという程のことだった。
アクシスはつい先日、乱機問題に関わっていた宗教団体との戦いを終えたばかりである。そしてこの二人の少女、燈と冬羽もその戦いに参加し、そこで起こったさまざまな出来事によって心身共に傷を負っていたのだ。
「まあ……大丈夫なんじゃねえの?お前みたいに何日も隔離とかされてないし(笑)」
「煩いな。」
むっとした燈が返す。
まあまあと言う風に笑い返す冬羽。
「しっかしお前も丸くなったよなぁー。前はぜーんぶ仏頂面で、ちょっと馬鹿にされたらすごい殺気だったもん。」
「……確かにそうだな。」
「そんな神妙な顔すんなって!聞きたいこと聞き忘れちまうじゃねえか!」
「貴様が早く聞かないで話を逸らすからだろう。早く何でも聞け。」
「はいはい。じゃあそうさせてもらうぞ。」
コホン、と咳払いし、
「……あのな、俺、もっと強くなりたいんだよ。」
少し目を伏せて冬羽が言う。
燈はきょとんとしている。
「以前も同じことを聞かなかったか?だから毎日怠らずに戦闘訓練を……」
「そっちじゃなくて!いやまあそっちもゼロではないけど……」
「?」
「もっとこう、精神的なやつというか。燈って俺と同じ元は一般人だろ?そっから今の軍人ロボと互角にやり合えそうなくらい強くなったんだろ?だからさ、どういう風な心持ちをしておけば良いのかな〜みたいな。」
なるほど。というふうに相槌をする。
「精神的には特に言うことは無いと思うぞ。現状その精神で日々努力できているし、本番も焦って早まらなければ十分だ。あと言えるとすれば……」
「言えるとすれば?」
最近取り戻したばかりの過去の記憶を辿ってゆく。未だ思い出すと辛い記憶には今は無視をさせてもらおう。
そして、ある回答に行き着いた。
しかしこれは他人に勧めてはならない。その人間を壊す。人としての彼女を殺す。かつて自分がそうだったように。その自分が何をして、どういう結果になったかを身に沁みて知っている。これはだめだ。冬羽にこの道は――――
「あと言えるとすれば何なんだ、燈」
その一言で現実に引き戻される。
冬羽の性格ならばそれらしいことを言えば納得して退いてくれるだろう。
「焦らさないで早く答えてくれよ、燈」
「――すまない。何でもない。それより、貴様にも合う新しい戦い方なのだが……」
椅子から立ち上がろうとする。
―――と、強く手首を掴まれ長椅子に倒れるように戻される。とっさに受け身を取った燈は驚きに目を見開いた。
覆い被さるような態勢となった冬羽は先程までの明るく、地道に努力し教えを乞うてきた者とはまるで別人である。
戦闘訓練とシャワーで温かかったはずの体がいつの間にか熱を失っていく。皮膚をしたる雫は冷や汗に、首筋に触れる冷えた髪は神経を過度に緊張させる。久しく感じていなかった何かが呼び起こされる感覚だった。
右手がピクピクと動いているのに気が付き、さらに焦燥感を煽る。
(乱機の制御が――!)
「教えろ。燈。俺はお前のようになりたい。」
(……っ!)
「俺には何が足りない。何が要る。答えろ。燈。」
そのぞっとするほど冷たい声で名前を呼ばれる度に、鼓膜を刺される度に、過去の自身の記憶が、輪郭が、鮮明に蘇ってくる。
大切な人を護るなどという口実のもとにただ強くなることを求め自らに与えられたものを塵のように捨て人としての肉体感情命をも邪魔なものとして目を背けた愚かな、「燈」それ自身がそこに、居た。
必死にそれを言うまいとする喉を押し広げて、問いの答えが唇の間を細々と出て行く。
「そのままで良い」
たったこれだけ。何もしなくて良い、と。
すっ、と力が抜け、二人は元の態勢に戻る。
「…………ありがとう。」
「いや……こちらもすまない。」
何故か出た謝罪の言葉に大丈夫。と申し訳なさそうに笑いかける冬羽。しかしその涼しげな緑色の澄んだ目に、最初の輝きは無かった。代わりに込められたのは、微かな落胆。
「俺もごめんな、熱が入りすぎてたかも。あれは他人に聞く態度じゃなかった。」
彼女らしい常識が残っていることに、まだ冬羽は完全に変わってしまってはいないのだと安堵する。
同時に、それもすぐ無くなるのだろうという残酷な想像が胸を埋め尽くす。
それからの会話は、どうも宙に放り出されたような感覚で、全く思い出せなかった。
***
じゃあ。と別れを言い去ってゆく冬羽の背を、燈はぼんやりと眺めていた。
今からでも引き止めて、何かでたらめなことでも言えば冬羽は止まってくれるだろうか。
そんな今にも走り出したい気持ちの首を締め、これが正しかった、これで良かったのだと言い聞かせる。
失う寂しさを否定する様に。未だ根底に渦巻く、冷酷な自分自身を見まいとする様に。
***
―――終わった。
乱機発生の黒幕を討ち果たし、今後新たに乱機が発生することは無くなった。
黒幕施設の中心部ではもう止み時の黒い雨が降っており、アクシスやその他協力関係にあった組織の面々を、その大きな成果と、同時に負った大きな損失による不思議な喪失感が包んでいる。
折り重なった瓦礫の小山のうち、目につく最も高そうなもののてっぺんに、短くなった青髪を風に吹かれながら燈は立っていた。
辺りをゆっくりと見回している―――。
何故そうしているのか。燈は分からなかったが、理解ってもいた。
生存者はとうに事後処理ロボット達が全員救出し終え、治療の為にアクシスの拠点等に運ばれた。燈も本来ならここに居ないはずである。
焦りはなく、怪我で動けない訳でもなく。ただ、瓦礫の間にじっと目を凝らしている。
「燈サン。」
事後処理ロボットの一体が話しかけた。
どうした。と視線を動かさず応える。
「怪我ヲ悪化サセナイ為ニモソロソロ拠点ニ帰ッタ方ガ良イデスヨ。」
気付けばもう事後処理ロボット以外の姿は見当たらない。
戦闘に参加した者達の中でここに残っているのは燈だけになったようだ。
「悪いが私はまだここを去る気は無い。私なぞ気にせず貴様は作業に戻れ。」
「ソレハデキマセン。燈サンノ負傷具合デハ、イツ倒レテモオカシクナイノデ。」
「そうか。好きにしろ。」
大袈裟なこと、と助言を聞き流す。実際全然大袈裟では無いのだが。
「なあ貴様」
「ハイ。ナンデショウ。」
「生存者は増えたか?」
「イエ。コノリストデ全員デス。」
そういって既に十何回と読み返したリストが表示される。
アルファベット順になっているリストを、ゆっくりと下に辿ってゆく。
「…………」
ぽつり、と呟く。
「貴様らの捜索レーダーとやらは信用できる精度なのか。」
「ハイ。半径一キロノ範囲ハ例エ瓦礫ノ中デモ地中デアッテモ99.99%ノ精度デ生存者ヲ発見デキ、サラニ我々ハ―――」
「もういい。それは大変優秀だな。」
「アリガトウゴザイマス。」
下に辿られていたリストは『F』欄の最後の方を表示したまま止まっていた。求める名の入るべき場所には既に『G』欄が始まっている。
やはり、などという三文字を頭から掻き消し、燈は小さくため息をついた。
ロボにリストを仕舞わせ、天を仰ぐ。
薄雲で覆われた、痛いほどに白い空に目を細める。風で倒れてしまいそうな体を壊れかけの二本の脚で支えながら、燈は胸の内にぽっかり空いた穴を弄んでいた。
後悔しては、いけない気がする。
『燈のようになりたい』という願いに、彼女は正解を答えた。
それ故に、間違えた。
復讐を生きがいとする少女に、道を示してしまった。
しかしそれを後悔することは、相手にとっての侮辱となりかねない。
結論から言えば、探していた名前の主はその悲願を達し得なかった。
仇敵と言っていた相手は、名前の主以外の者たちによって討ち果たされた。
名前の主は単独行動をしていたらしく、その最期を見た者も居なかった。
「―――一人で挑んだか。」
ふっと浮かんだ考えが口から漏れ出る。
黒幕の敵は単独で倒せる程弱くないことは周知の事実だった。
確実に仇を取るのなら複数人で挑むのが最適であることは容易に考えられる。
最後の最後に「自分」が出たのだ。
「教えを乞うておいて最期がそれとは。貴様も根は図々しいではないか。」
呆れたように笑ってみる。
声が小さく震えたのを隠しながら。
薄雲が晴れ、自身の髪と同じ青空が見え始めた。
燈は少しふらつきながらそれに背を向け、歩き始める。
焼け焦げた朱色のリボンを、堅く握って。