せめてあと少しだけ この関係は一夜の過ちにしてあっさりと終えるつもりであった。
肥前の隣で眠る刀の後頭部を見つめる。此方を向いて眠らない辺りが一線を引かれているようで、それでも先程まではふたりの境界線が曖昧になっているのではないかという程に求め合ったというのに。
この陸奥守が本当に求めているのは肥前であって肥前でない。彼の本丸に所属する肥前忠広と、陸奥守と関係を持った肥前忠広。前者に想いを寄せる陸奥守と出会ったのはもう数ヶ月も前であった。
一仕事終えた後の塩大福は絶品で肥前のお気に入りである。いつもの茶屋、いつもの座席、いつもの塩大福。違ったのは目の前に現れた男の存在。
『おんし、政府所属の肥前なが? 隣、えいか?』
塩のきいた豆を奥歯で噛み、餡の甘さと薄い餅の食感を楽しんでいた所に陸奥守は現れた。特に拒否する理由も無く、構わないと一言を返した。花が開いたような笑顔というものを初めて見た瞬間だった。途端に表情を綻ばせ、肥前の隣に座せば馴れ馴れしく話しかけてくる始末。
聞けば陸奥守の本丸にも肥前忠広は顕現しているが仲良くなるタイミングが掴めないだとか、話しかけてようにも姿が見当たらないだとかでこの肥前に白羽の矢が立ったらしい。
(代わりかよ)
出会ったばかりの陸奥守に大した感情は抱いていないがいい気分ではなかった。
個体差はあれど肥前は肥前。自分のことは手に取るようにわかる。きっとそこの本丸の肥前もタイミングが掴めていないだけで、陸奥守を意識はしているのであろう。でなければ姿を消すなど不要である。きっかけさえあればここのふたりは紆余曲折はあれどむつひぜになるのだろうと容易に想像がつく。
『おんしはいつもここに居るがか?』
『まあ、大体は』
『ほいたらまたお話したいちや』
一方的に陸奥守が喋っていただけで会話らしい会話など交わしていなかったが、肥前忠広という存在とそんなにも時間を共に過ごしたいのか。然して邪魔でもなかった為に拒否はしないが腑に落ちてはいなかった。
それから待ち合わせていなくとも茶屋に行けば顔を合わせ、おすすめの飯屋があると言われればふたりで昼食を取り、美味い酒を飲ませる店だって行ったりもした。もうその頃にはこの陸奥守は肥前の中で特別枠に入れてやってもいい、くらいには思えてしまっていて戸惑いを覚えた。
燻った想いを表に出すつもりはない。どうせこの陸奥守は肥前と番う事は無く、本丸の肥前忠広への想いを募らせているのだ。
身体を繋げてみて痛い程に実感した。陸奥守の瞳に肥前は映っていても見ているのは別の肥前忠広だと。
酒に酔った勢いと「初めてで失敗したくないなら、おれと試してみるか?」なんて陳腐な誘い文句。まさかそれに乗ってくるとは思わなかったが想いを断ち切るにはいい機会だと思った。
嫌になるほど優しくて丁寧で、時折獰猛さを覗かせて身体を貫いてくる。名前を呼んで、唇も塞がれて、酸素が取り込めず頭がふわりとしてこのまま溶けてしまっていいかもしれないとすら思った。これをこの先向けられる肥前忠広が至極羨ましい。
(おれじゃだめか)
紡ぎかけては唇を噛んで飲み込んだ。
くぅ、くぅ、と寝息を立てるその後ろ姿を見つめる。汗ばんだ後頭部に手を伸ばして控えめに撫でて様子を伺い、起きないとわかればくしゃりと指を絡めた。
不自然に空いたふたりの距離を縮めて背中に額を寄せる。少しでも傍に居たいなんて女々しいにも程があるがもう二度と交わる事がないのだから赦されたい。
(もう少しだけ。あと半刻、いやせめて夜が明けるまで)
【了】