レモンとミントにシュワシュワを部屋に響くシャワーの音。
バクバクと鳴る心臓を落ち着けるように深く深く
深呼吸をした。
俺は今日。
常連客、そして絶賛片思い中の男を部屋に泊めるのだ
事の発端は数時間前
いつもクローズ1時間前に来るこの男、武捨海斗は今日も変わらず同じ時間にやってきた。
最初はスコッチ。ストレート
軽くつまみを注文して
他愛のない話をする。
人も少ないこの時間はこの男のお気に入りらしく
よくポツリポツリと話題を振ってくる。
しかし、そんな時間を1本の電話が強制的に終了させにきた
胸ポケットに入っている電話を取ると短く返事をしてガタガタと席を立つ海斗。
テーブルに多過ぎるお金を置いて足早に店を出てしまった。
そう
普段彼が使っているプライベート用のスマホと一緒に
明日まで預かる
いや、でも今時無いと困るでしょ
職場にかける、、、といっても
彼の職場は少し特殊だ
忙しいときに掛けて迷惑をかけるのも申し訳ない
悩みながら閉店準備終えた時
その悩みの種が音を立てて振動した
ディスプレイに映るのは『消防署』の文字
電話に出ると相手の声は持ち主の海斗だった
『はい、星の書庫店主星見が承りますー』
『あぁ、やっぱりそこにあったか』
『お客さんめちゃくちゃ急いでたもんね
大丈夫だった』
『あぁ、大したことじゃなかった』
『えっと、、どうしようかこれ
取りにくるならお店開けとくけど』
『いいのか帰りとか』
『ん、店の上が自宅だから気にしなくて大丈夫』
『なら、15分くらいでそっちつく』
『はーいよ、気を付けてね』
短い会話。
しかし想い人ともなれば
その破壊力は時間など関係なく凄まじい
「声、ひっくぃ
いや、電話口の声はヤバすぎるだろ
あれを毎日
職場で
いやいや、、隊員さんすげーなおい」
1人カウンターで唸ると
愛猫ルルさんが呆れたような視線を向けてきた
呆れないで、自分でもわかってるから
⿴⿻⿸
深夜の1時も過ぎた頃
外の駐車場に車が止まる音がすると
続いて控え目なノック音が響く
ドアを開けると余程急いで来たのだろう
いつも綺麗に上へ纏められている髪が少し乱れていた
「わりぃ」
「大丈夫、大丈夫無いと大変でしょ
あと、これお釣りー」
「いい。迷惑かけた分だ」
「いやいや、平気だってのに」
「、、、」
「はぁ、わかった。じゃあ次に来た時
ちょっと豪華なサービスするからその分」
「おう。」
サービスという単語どこか嬉しそうな海斗に
ふっと頬が緩んでしまう
「お客さんはこれから帰るんだろ大丈夫」
「あー
もうここまで来たら近くの公園止まって車で寝るかと思ってる」
「はぁ」
「家遠いんだよ
帰った所で数時間後には仕事の準備だ。仮眠室も埋まってたしな」
「えと、じゃぁさ
うちで良ければ泊まっていく」
ぽんっと自然に出てしまった提案
身体を使う仕事の人間を車中泊させることは出来ないという良心半分、ほんの少し下心も込めての提案
そして冒頭に戻る
海斗が風呂に入っている間
服は今来ているもの大丈夫だろうが下着はそうもいかんだろうと、近くのコンビニへダッシュする
男が1人、下着だけをレジに通す姿はある意味滑稽だが致し方ない。
外から戻ると丁度風呂から上がった所だったのか
玄関の閉まる音にバスタオルを腰に巻いた海斗が風呂場から顔を出した
「お、さすが俺ナイスタイミングじゃん
はい、お客さんこれ」
コンビニの袋を渡すと海斗は少し目を見開く
「わざわざ買いに行ったのか」
「だって、何も履かないわけにいかんでしょ
サイズ合ってるか分からないから開ける前に見てね」
「いや、大丈夫そうだ
悪い。ありがとう」
短く礼を言うと脱衣場に戻るその背を見送り
ソファに座り込んだ
近くのクッションを抱き締めると顔を埋め
ひとつ深呼吸
めちゃくちゃいい身体だったなんだあれ
え、なにあの筋肉嘘だろ
「ー、、、かっこよすぎた」
「なにが」
「うわぉあ」
頭の上から声をかけられれば飛び上がる。
着替えが終わったらしい海斗は
首からタオルをかけ緩くジーンズを履くだけというスタイルでソファに座る蒼月を覗き込んで居た
「あー、ほら
お客さん筋肉すげぇからさ
男から見てもカッコイイなーって思ったり
あと風邪引くから上着なさいよ」
我ながら苦しい言い訳だが、海斗は俺の身体をじっと見るなり納得したように頷き
事もあろうに両手で腰周りを鷲掴む
「」
「お前が細すぎるだけじゃねーの」
ほら、こんなんだぜ
お前の腰の細さと手で表されるも
正直それどころじゃない
これだからノンケはたちが悪いっ
風呂上がり、上半身裸、そして俺のシャンプーの匂い
その三拍子が揃ってるんだぞ
ときめかない方が可笑しい
「俺だって少しは筋肉付いてるっつーの
お客さんがゴリゴリなだけ」
とりあえず落ち着こう
逃げるようにキッチンに向かうと冷蔵庫からレモンとソーダを出して氷の入ったグラスに入れる。
ミントはどうするか
自分の方には入れるとして
うーんと悩んでいると
ふと手元が暗くなった
ん
「え、なに」
「なに作ってんの」
影の主が肩越しに手元を覗きながら尋ねる
消防士って距離感近いのか
この人が特殊なのか
まるで大きな犬が
おやつをくれるのかとソワソワしている姿が重なって見えたが半分に切ったレモンを握り潰し
冷静さを保つ
「レモンスカッシュ作ってるんだけど
お客さんミント大丈夫だっけ」
「おー、、、、それより」
「んー」
「そのお客さんっての止めねぇ」
「な、んで」
「名前教えたろ」
「武捨サン」
「下」
「海斗、、さん」
「敬称いらねぇ」
「」
これはなんのプレイだ
なんだこの甘い空気は
思わず出そうになる声を出来上がったレモンスカッシュごと飲み干した
「、、、ふぅ
か、いとはミント入れる」
「入れる」
あ、ちょっと嬉しそう
ミントをグラスに入れてマドラーで軽く潰すとレモンの香りが一層爽やかになった
「はい、おまたせー」
「ん」
喉が乾いていたのか
受け取るや否や一気に飲み干す姿に笑ってしまう
「シャンプー」
「ん」
「あれ、もしかして彼女のか」
「はいやいやいや、無いから居ないから
俺のだよ。」
「ふーん」
「あ、もしかして苦手だった」
「いや、随分甘ったるいの使ってるんだなって」
「あー、ローズ入ってるからなぁ
好きなのよ俺。タバコもそうだし」
「だからいつも甘い匂い纏ってんのか」
「今は海斗もそーだけどね」
確かに、サンダルウッドベースにトップがローズ
甘い香りはこの男に似合わないが
自分の香りを纏う姿は悪くないと少し顔が緩んでしまう
「ほら、もういい時間だぜ
明日何時に起きんのよ」
「6時」
「あいよ、俺のベッド使っていいから」
「お前は」
「来客用の布団敷く。あ、ちいせぇから海斗は寝れねーよ」
そっちでいいという言葉を遮り先手をうつ
弟がよく使う布団は俺でも少し小さいのだ
「じゃあ、おやすみ海斗」
「ん、おやすみ蒼月」
⿴⿻⿸
「で理性は保てたのか」
「サンドイッチ作って素数数えてた」
「通報されなくて良かったな」
結局寝れずに朝食分と海斗の弁当を作っていた昨晩。
目の下には薄くくまが鎮座しているが
まぁ、大丈夫だろう
「ねぇ、トバリ君まじであれは危険。
俺本気になりそう」
「ノンケ相手は程々にしとけよ」
「おー、ぁ」
はいはいと頷くと
エプロンに入れてあったスマホが短くメッセージを伝えた
『弁当ありがとう。また店行く
武捨』
短い一言のメッセージ
ただそれだけにトキメク俺は乙女スイッチが完全に入ってしまったのだろうか
三十路手前の男でそれはほんとに笑えない
スマホを握り百面相する俺をトバリが溜息混じりに見つめて来た
「何でもいいが、女に寝盗られても慰めないからな」
「おっふ厳しい、頑張りまぁす」
⿴⿻⿸
『お粗末様
また車中泊するんだったら、泊まっていいよ
美味しいお酒作っとく』