按摩さんとの別れ何時ものように仕事終わりの按摩さんと玄関先で話をする。何て事のない時間だけど、私にとっては日々の小さな楽しみだ。
「そういえば女中さん、菊田様とは変わらずいい仲なのかい?」
最初の頃からしたら大分砕けた口調になった按摩さんの言葉に、私はどう答えようかと考えてしまった。
「えっと……」
しかし口ごもった私を、按摩さんは悪い方へと誤解してしまったようだ。
「おっと、まずいこと聞いちまったか」
慌てたような様子の按摩さんに、私は
「大丈夫です、問題ないですよ」
と答える。本当はもっと早く噂の真実を伝えればよかったのだろうけど、なんとなく言いそびれたまま。でもやっぱりここでちゃんと言っておかないと。そう思ったのだけれど、
「そうかい……」
「按摩さん?」
ポツリと言った按摩さんの声が暗く感じ、意識がそちらに行ってしまった。
「いや、それなら、よかったよ」
でも次に私を見た時には、笑顔を浮かべていた。でもどことなくいつもの笑顔とは違うように見える。でもそれをうまく言葉に出来ない。
「女中さん」
「はい」
按摩さんは、その笑みを浮かべたまま、静かに口を開いた。
「近いうちに、ここを離れることになってね」
「え、あ……突然、ですね」
突然の言葉に、ショックでそう言うのがやっと。
「前々から知り合いに誘われてたんだが、なかなか決心がつかなくて」
「そう……ですか……」
急に寂しさが込み上げてくる。行かないで、なんて引き留められる仲ではない。もう按摩さんに会えないと思うと、鼻の奥がツンとしてきた。
「どちらに、行くんですか?」
「そうだなぁ、とりあえず知り合いに会ってから、その後は海の近くで暮らせたらいいんだがな」
「海……いいですね。産まれ育った場所は海から離れていたんで、ちょっと憧れます」
「……そうかい、それなら……」
按摩さんは何か言いかけて、口をつぐんだ。
「いや、何でもねぇよ」
按摩さんは笑って私の頭にポンッと手を載せた。
「元気でな、女中さん」
按摩さんは、また、とは言わなかった。つまり登別に戻ってくるつもりはないんだ。それが分かり、背を向けた按摩さんの袖を思わず掴んでしまった。
「あ、ごめんなさい」
驚いたように振り返る按摩さんに謝った。
「どうしたんだい、女中さん」
「いや、あの……」
見えてないはずなのに、按摩さんがじっとこちらを見ているように感じる。
「寂しくなるなって……引き留めてごめんなさい」
「…………あぁ、そうだな」
ちょっとだけ、期待してた。嘘でも、またな、って言ってくれる事を。
思わず俯いていると、また頭に按摩さんの手が置かれる。
「泣いてんのか?」
「……泣いてなんかないです」
泣きそうではあるけど。
私の言葉にははっと笑った按摩さんの手が、頭から頬へと移動していった。いつかのように、按摩さんの手が顔を触っていく。私は按摩さんの顔を見つめながら動かずにいた。
頬骨の辺りを撫でた時に、ほんの少し按摩さんの表情が和らいだような気がする。
あの時は無遠慮といってもいいくらいの手つきだったのに、今はゆっくりと一つ一つを確認するように動いていた。
最後にふにっと唇に指か触れた。それにふっと笑った按摩さんは手を離す。
「これで忘れねぇよ」
最後にぽんぽんと頭を叩いた按摩さんは、じゃあな、といつもと変わりなく背を向けた。
あぁ、今度こそ、本当に最後なんだ。
「按摩さん、お元気で」
そう声を掛けたけど、按摩さんは振り向くことなく雪道へ消えていった。