催眠術「芭琉く〜ん…?これ、ちゃんとかかってるのかな?」
芭琉の目の前で手を振ってみる。空中をぼんやりと見ているような視線は全く動じない。これがかかっている状態なのか。
「(せっかくなら、色々試してみよ〜なんて)」
興味半分で始めた遊びが好奇心で満ちる。試しに芭琉に「俺を抱きしめて」と言うと、ラグの上に座っていた芭琉が立ち上がり、ベッドの縁に腰をかけていた戮に腕を伸ばし、背中に回した。微かな柔軟剤の香りが鼻をくすぐった。
「(わぁ、すっごく嬉しいけどなんか変な気分…)」
そう思いつつ、戮も芭琉の背中に腕を回して抱き返す。あったかい、愛しくて大好きな人。その体温に少しだけ浸る。
「次は、そうだなあ。一旦離れて、俺の手を握って」
そう言うと、芭琉はすっと身を引き、まるで執事がお嬢様へ手を差し出すように、戮の手を握った。力強くなく、でも包み込むようにしっかりと手を握られる。自分でも驚くほどそんな情景が頭に浮かんで、ますます戮は芭琉へ色んな指令を出してみようと思った。
「じゃあ、手を離して」
そう言えば、すっと手を離す芭琉。未だ目つきはぼんやりしたままだった。
それから、少しずつ戮は芭琉に指示してみた。頭撫でて。自分のシャツの第二ボタンまで外して。眼鏡外して。俺のことしか見ないで。そして、隣に腰掛けさせた戮は興味本位でこう言った。
「芭琉くんの好きなように俺を欲しがって」
言葉にした後とんでもなく恥ずかしかったが、大好きな芭琉から迫られるのはとても興味があった。この際だ。
芭琉は虚空を見つめた瞳のまま、隣に座る戮の首元にすっとに近づき、触れるくらいの口付けをした。身体に甘い電流が走る。
「えっ、あ、芭琉くん…?!」
予想外の行動に、戮は驚いた。口付けされた部分から熱が広がっているみたいで、思わず首に手を添える。頬も熱い気がしてきた。きっと鏡を見たら、手で覆いたくなるくらい赤面しているだろうと思った。まだ芭琉は動くのを止めず、戮の両肩に手を置いたままそっと押し倒した。戮の右半身に被さるように芭琉がくっついている。頬を赤らめてあたふたしている戮を見つめる瞳はぼんやりとしたまま。しかし、その中にぐるぐると渦巻く熱情が潜んでいるように思えた。
「(え、これホントに催眠中なんだよね…?幸せだけど、なんか不気味かも…)」
上から伏せ目がちな瞳で見つめられ、戮は興奮と若干の恐怖で心臓が跳ねていた。どこまで続くのか、と焦りもあった。そんな戮に構わず、芭琉は戮の耳元に顔を近付けた。
「んっ…」
戮は反射的に目を瞑って身構えてしまう。
「怖かった?」
耳元で聞こえたのは、紛れもなく芭琉の声だった。恐る恐る目を開けば、そばで芭琉が申し訳なさそうに眉を下げて微笑んでいた。
「あれ…催眠解けたの?」
「違う違う、最初から催眠なんてかかってなかったよ」
イタズラした子供みたいに、くすくすと笑う芭琉を見て、戮は身を起こしてがばっと抱きついた。
「よかった…最初はよかったけど、途中で芭琉くんだけど芭琉くんじゃない気がして、ちょっと不気味だった」
思ったより引っ掛けられていた戮に申し訳なさを感じて、芭琉はごめんね、と戮の頭を撫でた。
「あ、でも催眠がかかってなかったってことは、全部芭琉くんは意識あったんでしょ?」
最後のって本気だった?と聞けば、半分本気で半分演技、と笑顔で答えた。
「え!じゃあ、半分そうしたかったってこと?嬉しいなぁ」
えへへ、と戮は一転変わって嬉しそうに笑みを浮かべて、また芭琉を抱き締める。
「いつでも来ていいからね。俺、芭琉くんだったら嫌じゃないから」
「うん、ありがとう」
芭琉は戮の言葉にふわりと笑う。触れている互いの体温が心地よくて、二人はそのままベッドに寝っ転がりうとうとし始めた。催眠なんていらなかったのかも、とぼんやり思う戮。芭琉といつまでも、幸せに一緒にいたい、そう願って微睡みに溺れていった。