みてみて~から始まるアズイデちゃん「みてみて~、アズール氏!」
先程まで、高い背丈を限りなく小さくしていたイデア・シュラウド。彼は被っていたパーカーのフードを脱ぐなり、いつになくハイテンションに、髪までふんわりと火力を増し……彼の表現法を借りるなら、「幼女」のように切り出した。
その腕の中で大事そうに抱えられていたのは、ぷっくりとした愛らしい、「イカ」のぬいぐるみである。すでに眉を寄せていたアズール・アーシェングロットは、さらに眉間の皺を深めることになった。
ここはオクタヴィネル寮内、アズールの部屋だ。二人はお互いでそう認識していないものの、世間一般には「恋仲」と呼ばれる立場にある。寮へ続く裏道を通り、これまた裏口からこそこそ入ってくるのも未だに慣れない様子のイデアは、毎度いつも以上に体を小さくしてやってくる。なんでも、髪でバレるのが嫌とかで、フードを目深に被っているものだけれど。
そんな不審者が寮からつまみ出されない時点で、それがイグニハイド寮長イデアであり、またオクタヴィネル寮長と「良い関係」であると周知されていると何故思いつかないのか。いや、それはこの際おいておくとして。何故、よりにもよって、自分の部屋に「イカ」を持ってくるのか。
言いたいことは山ほど有ったが、アズールは心の中で深呼吸をする。
(落ち着け、フロイドのやることに比べればまだマシだ。イデアさんがよくわからないことをするのは、いつものことじゃないか)
そう言い聞かせるアズールの前で、イデアは上機嫌そうにニコニコしている。なんだその顔は、と思いながらアズールは営業スマイルでイデアに問う。
「おや、イデアさん。それはなんでしょう?」
「おやおや~? アズール氏、まさかコレがなにかわからんのですか~?」
「は、はあ」
「コレはですね、イカちゃんです」
そんなことはわかってるんだよ。喉まできたツッコミを呑み込んで、「そ、そうですか」と返せば、イデアはぬいぐるみをモニモニ握り動かしながら語る。
「国民的人気ゲームのマスコットですぞ~? CMとかやってると思うんだけど、アズール氏ともあろうかたがご存知無い?」
「……あぁ、もしかしてアレですか? 確か、イカになって魚を食べ、陣地を争う……」
「そ~そ~! 小魚を食べるためにナワバリを奪い合うヤツですわ。そのマスコットちゃんですな。ゲーム知識がこれっぽっちもないアズール氏も知ってるとは、さすがイカちゃんですわ」
いつになくニコニコしているイデアを見ていると、ただでさえ引っかかる言い方をされているわけで、ますます腹が立ってきた。
いや、別にそのイカのゲームがなんだっていいのだけれど。どうしてよりによって、ここに持って来たのか。
貴重な部屋デートの機会である。そこへ向けてタコの自分に対してイカのぬいぐるみ。わざとなのか、嫌がらせ、あるいはバカにされているのだろうか。
次第に崩れ始めた営業スマイルのまま、アズールは少し声を低くする。
「……イデアさん、わかってやってます?」
試みに尋ねると、
「へ? なにが?」
と返事。心の底から「きょとん」という顔までしている。
なるほど、無意識にデリカシーが無いだけか。最悪じゃないか。いやでも、前々からこういう人だったな、この人。
そう考えると、腹を立てている自分が少々あほらしくなってきて。大きな溜息を吐き出すと、首を振る。
「それ、イカなんですよね?」
「そうですぞ? さっきからそう言ってるじゃないですか。手に入れるの大変だったんですぞ。なんせこれ、」
「イデアさん」
早口でなにか説明しようとするイデアに、アズールが口を挟む。
「わかってます? こんなこと言いたくないですが……いや本当に言いたくないですけど」
「うぇっ、な、なんですか⁉」
「僕……タコなんですよ……?」
そう言った瞬間、イデアはきょとんとした表情をした後で「っ!!!!!!!!!!!!」と彼とも思えぬ声量で叫んだ。
「もっ、もしかして やっ、ヤキモチ焼いてます⁉」
「どっ、……ど、どうしてそうなるっ」
思わぬ切り返しに、動揺してどもった上に顔が熱くなった。
そんなつもりで言ったわけではない、断じて。なのに、そう言われてしまえばそれも有るような気がしてきて、どうしてだか死ぬほど恥ずかしい。
「そ、そうじゃないの⁉」
「ち、違いますよ! ほら、僕はタコの人魚で……だからその……デリカシーに欠けるというか!」
「ええっ⁉ アズール氏がタコなのに、イカちゃんのぬいなんて持って来たから怒ってるんじゃないの⁉」
「だから、そうですけど、絶対あなた誤解しているでしょう! そうですけど、そうじゃないんです!」
「で、でも」
「でもじゃありません!」
これ以上の議論を避けようとするあまり、母親のようなワードが飛び出てしまった。流石のイデアも、これにはたじろぐ。
「うっ、うう、さ、さーせん……」
しゅん、と髪までしおれている。普通、彼は間違いを指摘されてもつっかかったり屁理屈をこねて認めなかったりするので、これほど素直に謝罪するのは珍しい。それだけで、しっかり反省しているのはわかる。
アズールは「ああいや」と慌てた。折角の機会に、喧嘩がしたかったわけではない。なんとこの場をおさめるか考えていると、イデアが小さな声で言う。
「うう……だ、だって拙者はアズール氏のこと、タコの人魚だと意識したことはあんまりなくて……ああいや、これはアズール氏のタコ生を否定するとかそういうわけではなくて、拙者と致しましてはアズール氏に含まれるものは全部まるっとオッケーと申しますか」
「……? イデアさん?」
「だからその……僕にとってはアズール氏はタコとか人魚とかそういう以前にアズール氏で、つまり美人でがんばり屋でかわいいという認識しか無くてですな、」
「イ、イデアさん」
「イカちゃんがそんなアズール氏にとって地雷だとは本当にわからず……す、すんません、でもですな! 拙者アズール氏に最初に見せようと思って、遠路はるばるイグニハイド寮からこのぬいを抱えて、うっうっ」
「い、イデアさんっ」
これ以上褒め殺されては困る。アズールが頬を染めながら制止すると、イデアは不安げな上目遣いでこちらを見る。抱き潰してやろうか、とアズールは正直思った。
「も、もういいです。そんなに、怒っているわけではないですから。ええと、その。ああ、はい、それで? どうしてもそのイカを、最初に見せたかったと?」
デリカシーが無いだけで、悪意は全く無かったのなら、まあ愉快ではないが許せないこともない。アズールが問いかけると、イデアはまた「ぱあっ」と音がしそうなぐらい髪を燃やして言った。
「そうそう、このイカぬい、限定販売でぜんっぜん手に入らなくて! すっごい抽選倍率ヤバくて、ついに当たって手に入れたんですぞ~! なんせこれ、フリマサイトではえらい高額で取引されてて」
「……高額で、ですか」
そのぬいぐるみにそんなに価値が? とアズールは顎に手を当てる。それを見て何を思ったか、イデアはぬいぐるみを隠す。
「だ、ダメですぞ、高額転売しちゃ!」
「人のことをなんだと思っているんですか。似たようなものを売り出せばいいと思っただけですよ」
「海賊版! パクリ商品! ダメ絶対!」
「冗談です。あなた僕のことなんだと思ってるんですか」
「えっ、金の亡者……」
「抱き潰すぞ」
「ヒッ、さーせん!」
「冗談です」
次第に冗談では済まなくなりそうになってきているがそう言うと、イデアはまた上目遣いでこちらを見る。
「じゃ、じゃあ、アズール氏の部屋に置いてくれる? イカちゃん」
「……なんでそうなるんです」
いい加減、頭が痛くなってきた。その問いにイデアは小声で答える。
「だって、拙者の部屋にはアズール氏のカップが有るでしょ」
「……え? その代わりってことですか?」
あの高級ブランドカップとそのイカちゃんとやらを天秤にかけられているのか。アズールは面食らったが。
「せ、拙者にとっては大事なモンですし、なかなか手に入らんモンでもあるし、好きなモンだから……。だから、つまり、その、ね? 同じように、その。アズール氏も僕にとっては……ああいや、アズール氏の部屋に置いて有ったら、嬉しいなって……」
「…………」
頭が、痛い。
「……抱き潰す……」
アズールは呟いて、イデアは小さく悲鳴を上げた。
その後、アズールの部屋にイカのぬいぐるみが置いてあることを双子から大いにからかわれたことはまた別の話。