キャンプウィルルオ5「ル・オー! 発見、発見! あそこに牛がいやがる!」
「この辺りは牧畜も盛んだからね」
「おぉ、あちらにも! あそこにも……ぬぬ!! どんどん増える! すごいぞル・オー! いろんな色の牛がいる!」
「……牧畜が盛んだからね」
助手席の窓に貼り付いて、大喜びしているウィルナスに、ル・オーは微笑みながらハンドルを握っていた。
緩やかな丘陵、まるでアルプスのような一面の牧草地。この国では珍しいそこを、ふたりを乗せた車が駆け抜けていく。
エアコンのおかげで気にならないが、外は8月の眩い日差しで暑いだろうとは思う。それでも牛たちはのんびりと草を食んでいるようだった。
「ル・オー! 牛は! 大きい! 想像していたよりずっと大きいぞ!」
「間近で見ればもっと大きいだろうね。……あそこで休憩をする」
「む! おお、カフェがあるのか!」
牧草地帯にポツンと建った、ログハウス。その前に作られた駐車場には、多くの車やバイクが停められていた。他の客たちは皆、ソフトクリームのようなものを食べながら、ウッドデッキやベンチに腰掛け、それぞれ牧草地や牛を眺めているようだ。
「ここの乳牛から採れたミルクを使ったジェラートが名物らしいのだよ」
「それはそれは、美味そうでいやがるなあ!」
エンジンを切るなり助手席から飛び出していった仔犬を、ル・オーは苦笑しながら追う。
「ル・オー! 味がたくさん有るぞ! 何がいい!」
ここにいる全員に聞こえそうな大声で尋ねられる。周りの人々が笑顔で自分のことまで見るものだから、ル・オーは落ち着かない気分になりながらウィルナスの元に向かうと、少し静かにするように促した。
結局、ふたりして生乳の味が一番楽しめそうなプレーンを選び、空いていたベンチに腰掛ける。ウィルナスが座るとベンチは随分小さく見えた。
日差しは強いが、爽やかな風が吹いて気持ちは良い。風の流れで牧草地は並模様を描いている。ぺろ、と舐めたジェラードは冷たく、優しい甘さがとても良い。
「美味いなあ、ル・オー」
「そうだね」
「ル・オーはこの辺りにも来たことが有ると言っていたな。であれば、食べたことが有るのか?」
「いいや。初めて食べたのだよ。通りかかった時に見はしたがね」
そういえば、ウィルナスと出会うまで、自分は食事に興味が無かったかもしれない。ル・オーはぼんやりと思う。
実家を出てからも自炊はせず、基本は総菜や弁当を食べていた。キャンプに行く時も、朝のコーヒーと夜のインスタント麺ぐらいしか持ち込まず、また遠出したところで何かご当地の名物などを食べるわけでもない。
以前ここを通った時も、気持ちが良いとは思ったが、車を停めて休んだぐらいでこのカフェには立ち寄らなかった。牛も大きいとは思ったが、ウィルナスのように感激はしなかった。
「私に無いものを、君は教えてくれるな……」
ぽつり、と呟いて、それからハッと我に返る。口に出してしまったような気がしてウィルナスを見ると、彼はきょとんとした表情を浮かべていた。
「ああいや、」
「鼎も同じだ!」
「何、」
「ル・オーは鼎に無いものを、たくさんたくさん与えてくれる! 初めて知ることばかりだし、それにおかげで人生も順風満帆だ!」
「そ、それは言い過ぎだろう。変な壺とかでもあるまいし」
太陽にも劣らず眩い笑顔で言われて、ル・オーは思わず目を逸らす。ついでに耳も伏せていた。しかし、ウィルナスは「否、否」と続ける。
「言い過ぎでも何でもない。ル・オーと話しているだけで、鼎は胸がホクホクしてくる。一緒にいるとな、勝手に顔が笑うのだぞ。本当だ」
「…………」
ル・オーは何と返していいかわからず、ジェラートを口に運ぶ。頬が熱いのは、日差しのせいばかりではないような気がした。
「おぉ~~~!」
今日の宿泊場所に入るなり、ウィルナスは大きな声で感動を露にした。
グランピング施設にも様々あるが、ふたりが泊まるのはドームテントのものだ。いくつか建ち並ぶテントはひとつずつ壁で仕切られているからプライバシーも守られている。ドームの一部は窓のように透明になっており、外の景色を楽しむこともできた。当然、ドーム内は冷暖房完備、浴室にトイレ、キッチンまで全て有る。
「まるでホテルでいらっしゃるなあ!」
「まあ、概ねその理解で間違っていないのだよ。食事も予約時間になると全て届けてもらえる。外のウッドデッキにバーベキューをする専用スペースが有るのでね」
「おぉ、それは楽しみだ!」
「焚火を楽しみたければ、焚火台で。飲み物はもう冷蔵庫に入っているし、後はもうゆっくりするだけでいい」
「至れり尽くせり、でありやがるなあ! キャンプ、から想像するものとは少し違うような気もするが……とても贅沢な気持ちになる! ベッドも大きいなあ。ル・オーはどちらで寝やがるか?」
「どちらでも。君が好きなほうを選び給えよ」
淡々と答えながらも、ル・オーだって少し心が浮かれているのを感じていた。冷房のきいた部屋は涼しい。部屋は清潔で、辺りも静かだ。
「ではこちらを頂こう。……おお、マットレスが柔らかい! 枕も布団もフカフカだ!」
はしゃぐウィルナスにつられてベッドに触れると、確かにそのようである。良い時間を過ごせそうだ、とル・オーも頷いた。
そこそこの宿泊料だったが、正しい金額をウィルナスには請求していない。彼のほうが若く、そしてどことなく苦労しているような気がして。それに、暑い中でキャンプをしたくないのは自分のわがままだから、負担をかけたくなかった。
「外を見てきてもよろしいか!」
「好きにし給えよ。私は少し、休んでから行こう」
「ずっと運転してくれていたものなあ。感謝、感謝。ゆっくりしやがってくれ。何か珍しいものを見つけたら、写真を撮って来るぞ」
ウィルナスがそう言うのに、軽く手を振って。ル・オーは自分のベッドに腰掛け、そのままボフリと倒れ込んだ。
「……ん……」
話し声が耳に届いた。瞼を開くと、いつの間にやらウィルナスが戻っていて、管理人と話しているのが見える。それでハッと上体を起こした。また眠っていたのだ。
「す、すまない」
「おお、起こしちまいやがったか。夕食の準備ができたそうでな」
「いや、寝ていた私が悪いのだよ。もうそんな時間なのだね」
休憩をしてウィルナスを追いかけるつもりだったのに。嘘をついたような形になってしまったけれど、ウィルナスは笑顔だ。
「予約から運転まで、ル・オーに任せきりだったからなあ。まだ横になっていても良いのだぞ」
「い、いいや。そういうわけにはいかない。どうもいけないな。君と一緒だと落ち着くのか知らないが、居眠りばかりしてしまう」
寝起きの頭で話すものだから、何を言っているのかもわかっていない。一瞬、ウィルナスが驚いたような表情を浮かべたから、ようやく自分が何か口走ってしまったことに気付いた。
「……今私は、何を言っただろうか?」
「いや、いや。気になさるな。さあさ、食べよう食べよう。御馳走でいらっしゃるぞ」
ウィルナスは満面の笑みを浮かべてはぐらかすし、自分では思い出せないし。ル・オーは落ち着かない気持ちのまま、立ち上がった。
夕食は豪華なバーベキューセットだった。アルコールも有ったが、ル・オーは手を付けない。いつもより高い肉は焼いただけでも甘く、口に入れると蕩けるように柔らかい。美味しい美味しい、とウィルナスはたくさん食べていたし、そんな彼を見ているとル・オーも幸せな気持ちになって、腹も膨れる。
ウィルナスと食べるものは、いつだって、なんだって美味しいのだ。
どうしてなのか考えて、胸がドキドキするのを感じた。理由を知ってしまったら、いよいよ後戻りできないような気がする。ル・オーは小さく首を振って、「入浴はどうしようか」と尋ねた。
「んん、鼎はもう少し食べたいから……ル・オーが先に入るといいのではないか?」
「……そう、だね。君はゆっくり楽しむといい」
まだまだ焼かれている肉を見て、頷く。
バスルームも清潔で、少々狭いながらも安心して過ごせた。ル・オーはふくらはぎほどまで有る長い髪だから、洗うのも乾かすのも時間がかかる。たっぷりドライヤーをかけても、わずかに湿っているのばかりはどうしようもない。ル・オーはバスローブを身に纏い、長い髪を下ろしたまま戻る。
ウィルナスも食事が終わっていたらしい。彼はベッドの近くで荷物を広げ、着替えなどを用意しているところだった。
「出たのだよ」
「応、では鼎も、…………」
ウィルナスがこちらを見て、固まる。ル・オーはきょとんとして、自分を見た。バスローブ姿で、いつも結んでいる髪は下ろしている。驚いても仕方がないかもしれない。
「す、すまないね。すぐ部屋着に着替えるから……」
「ああ! ああ、いや、そう、いや違う、ああ、そうだ鼎も! シャワーを浴びてきやがるぞ! ゆっくりしていてくれ!」
ウィルナスは何故かとても慌てた様子で、着替えを持つとバスルームへと駆け込んで行った。首を傾げながら、ル・オーは部屋着に着替える。髪はまだ乾ききっていないから、邪魔でない程度に結んだ。
ふう、とひとつ溜息を吐いて、ベッドへ横になる。ドームの透明な壁から外を見つめた。もうそこには暗闇しかないように思える。スマホを取り出して確認すると、灯りを落とせば星空が見えるそうだ。
ウィルナスが戻って来たら、一緒に見てみよう。きっと彼は喜ぶ。
そんなことを考えながら、ぼんやりとただ転がって過ごす。
(こんな風に、何もしないで過ごすなんて)
いつも忙しく働き、本を読みこみ、勉強を欠かさない日々を送っていたのに。ウィルナスと出会ってから、何もかもが変わってしまった。
(彼は私を優しいと言い、私に感謝をするが……。私の方こそ……)
感謝しても、しきれない。そんな風に感じた。
しばらくそうしていると、ウィルナスが戻ってくる。彼はいつも見るキャンプウェアよりも遥かに薄着で、肌の露出も多かった。そのたくましい体つきに、またどうしたことか胸がドキドキしてきて、ル・オーは誤魔化すように外へ視線を向けた。
「外に何か有りやがるのか?」
ウィルナスが、ル・オーのベッドに腰掛け、外を覗き込んでいる。暗くすれば星が見えると伝えれば、案の定ウィルナスは大喜びで明かりを消した。
そして、ル・オーの隣に転がる。
「……君は君のベッドで見てもいいのだよ?」
「鼎はル・オーと一緒に見たい。ダメ、か?」
ダメか、と問われると、別にダメではない。ル・オーは特に何も言わずに、外を見つめた。
暗闇は深いけれど、次第に目が慣れて来ると微かに星の輝きが見え始める。あちらにも、他にもと探しているうちに、まるで暗い海から浮き上がるように次々と星が煌めく。
やがて暗い天井は、満天の星空へと変わっていった。
「………………」
ウィルナスがポカンと口を開けたまま、空を見上げているのも見えた。ル・オーは微笑んで、指さしてみせる。
「あそこに天の川が」
「! どこだ?」
「私の指の先に」
「むむ、何やら雲のような、モヤがかかっていて見えないが……」
ウィルナスが眉を寄せ、目を細めながら一生懸命見ようとしているのがわかる。そんな彼に、ル・オーは優しい声音で教える。
「そのモヤこそが、天の川なのだよ」
「……なんと!」
「あっちに見えるのが、いわゆる彦星で、反対に有るのが織姫になるね。正確には、アルタイルとベガという名の星で、デネブと合わせて夏の大三角と呼ばれているのだよ」
「……ほぉ~~~~」
大きく頷きながら、ル・オーの指先を追おうとして、ウィルナスがくっついてくる。それだって、全く嫌ではない。むしろ、その体温が伝わってくるのさえ心地がいい。胸の内側まで温かくなっていくようだ。
「彦星と織姫も、七夕は残念だったなあ。一年に一度しか会えぬのに、あいにくの雨で」
先月の七夕当日は酷い雨で、星空のひとつも見えないとニュースでやっていたのを思い出す。ル・オーは小さく頷きながらも、「本来の七夕は7月7日ではないのだよ」と告げる。
「ぬ。ではいつだ?」
「旧暦というものがあってね。月の満ち欠けに則した暦なのだが、今のカレンダーとは1か月程度ズレているのだよ。だから、本来の七夕は8月の今頃ということになるね」
「おぉ、では彦星と織姫も、無事に会えそうであるなあ!」
ウィルナスは自分のことのように喜んで、それから「しかし」と首を振る。
「あれほど近くにいても、年に一度しか会えないなど、寂しくてたまらぬだろうなぁ……」
その声音が寂しげで。寂しがっているのは、ウィルナスなのではないかと思う程だった。
「……ある意味では、私たちも同じかもしれないね」
「うん?」
「メッセージでは毎日のようにやりとりをしても、こうしてキャンプに行くという口実がなければ、月に一度しか会えないのだから………………ぁ……」
ル・オーは言ってから、しまったと口を塞いだ。それではまるで、自分達が恋人のような関係であり、そしてもっと会いたいと言っているようなものではないか。
「ああ、いや、今のは……」
羞恥に耳が動くのを感じながら、慌ててウィルナスを見る。すると彼は、見たこともないような真剣な表情を浮かべていた。
「……今のは……その……」
そんな顔を前にしては、ル・オーも言葉に詰まる。嘘でも言い間違えでもない。深い意味は、有る。思わず零れる言葉にこそ、本心が滲み出るというものだ。発言を否定するのは簡単だが、そうしてしまうと何か大切なものを失う気がして、言葉が出なかった。
「ル・オー」
ウィルナスに名を呼ばれて、びくりと耳が跳ねる。その声音が、優しいのに何処か「雄」を感じさせて、胸の鼓動が速まる。
「……鼎も、ル・オーともっと会いたい」
「ぅ……」
するり、と大きな手が伸びて、ル・オーの頬を撫でる。男同士で、友人同士でする仕草ではない。それなのに、ひとつも不快には感じなかった。それどころか、胸が切なく痛む。緊張しているのか、ウィルナスから目を離せない。
瞳が金色に輝いているようにも見える。その眼差しは真剣そのもので、逃げることも、誤魔化すことも何もできないように感じた。
「鼎は、ル・オーのことをもっと知りたい……」
「…………」
「ル・オーと一緒にいると落ち着くし、楽しいし、何を話してくれても面白いし、何を食べても美味い! 胸が温かくなって、心からの笑顔でいられる。もっとそばにいたい、できることなら触れ合いたい。……だが、……同時に、どうしようもなく怖い」
「……何が、怖いのだね」
小さく問えば、ウィルナスは躊躇するように息を呑んで、それから不安げな表情を浮かべる。
「……こんなことは、初めてで。ル・オーだけなのだ」
「……そうかね……」
「だから、もし。ル・オーとの関係が壊れるようなことになったらと思うと、恐ろしくてたまらない。それなら今のままでいい、こうしてただキャンプの時だけ会う、友人でいられれば十分幸せなのだ……。そう頭ではわかっているのに、胸が苦しい。心が叫ぶ。もっともっと、ル・オーと深く繋がりたいと、喚き散らして、……どうにも、おさまりやがらぬ……」
「…………」
「であるから、どうか、どうかお願いだ。今の鼎の言葉を聞いて……到底受け入れられないと思うなら、申し訳ない限りではあるが、忘れて欲しい。今までどおり、キャンプを一緒に楽しめる関係でいたい。それだけは、どうしても、失いがたい……」
「…………」
はぁ、とひとつ溜息が漏れた。それにさえ、ウィルナスはびくりと身体を固くする。
この男の人生に、これまで何が有ったのかは知らないけれど。忘れて今まで通りに付き合う、など、無理な話だ。言ってしまったことも、聞いてしまったことも。無かったことには、決してならない。有ったうえで、どうするかを選ぶことしか。
自分の胸の鼓動がうるさいほどだ。できれば答えを保留したいと本能は感じている。けれど、目の前で不安げにしている仔犬を、今すぐ助けてやりたいとも思う。
そっと手を伸ばす。怯えるように固まった身体を、抱き寄せようとしたけれど、体格が違いすぎて結局抱き着くようになってしまった。本来しようとしたこととはズレたけれど、まあ、意図していることは伝わるだろう。
「ル、オー、」
ウィルナスが動揺している。そんな彼に、抱き着いたまま語り掛けた。
「私は君に伝えるべき何かが有るような人間ではないのだよ」
「なに、」
「君が知りたいと思う私のこと、それを私自身も知らない。だから君に聞かれなければ、一緒にいなければ君の望みは叶えられない」
「ル・オー……」
「……そして私も、君と同じだ。君にたくさんのものを与えられている。君と一緒にいると、なんでもないことが楽しい。食事が美味しいし、胸が温かくなったり、痛くなったりして困る。……だが、君も同じだというなら、それもいいと感じる」
「…………!」
ウィルナスが息を呑むのが聞こえた。そんな彼をぎゅっと抱きしめて、その胸に顔を埋めた。きっと今、自分はひどい顔をしているだろうから、見られたくなかった。
「ル・オー」
「…………」
「ル・オー。……か、鼎の理解したことが正しいかわからない。確認しやがってもよろしいか?」
「……構わないのだよ」
「……今、鼎はものすごく……ル・オーをぎゅうっと抱きしめて、それで体に触れて、できることならキスしたいと思っているんだが……!」
「…………」
「それでも、よろしいのか!?」
言葉で確認することではないような気がする。ル・オーは苦笑して、ウィルナスの胸から顔を上げた。涙で潤ませた瞳がこちらを見つめている。期待と喜びと、そして不安が入り混じった色だ。
ル・オーは返事の代わりに、本当に小さく頷いて。
それからウィルナスの頬を両手で挟み。目を見開く彼を無視して、その唇に食らいついた。