キャンプウィルルオ 番外編2 引っ越し「ウィルナス、これはその……本気、なのかね?」
ル・オーは途方に暮れていた。
それもそのはず。引っ越し業者が来る三日前だというのに、ウィルナスの部屋はひとつも片付いていなかったのだ。ばかりか、溢れんばかりに荷物が有る。
「すまぬ、すまぬ。そのう。鼎はこう……細かいことが少々苦手で……」
ウィルナスはそう、気まずそうに呟く。その姿はまるで、イタズラが見つかった仔犬だ。しゅん、と上目遣いでこちらの様子を窺う姿に、ル・オーは呆れた溜息を吐き出した。
思えば。新居候補を見学に行った時から、妙ではあったのだ。
男ふたりが暮らすのだし、当面家族が増える予定も無い。2LDKで十分だろうと選んだ物件をル・オーはすぐに気に入った。お互いの職場の中間にあたり、周囲には生活に十分な種類の店もあるし、住居の周辺は静かだ。
完璧な部屋だと思ったけれど、ウィルナスはと言えば「ちと狭いか?」と不安げな顔をしていたのだ。
ル・オーはその時も首を傾げた。確かにウィルナスの部屋はキングサイズベッドを置くため狭くなるかもしれないが、クローゼットもついていることだし、充分過ぎる広さだと思うのだが。
「収納庫も有るし、クローゼットも備え付けが有る。それにリビングも君の物を置いて構わないのだよ。私の物はあまり無いのでね」
そう伝えてやれば、ウィルナスは「それなら大丈夫かもしれない」と、その部屋に決めたのだが……。
今、ル・オーはウィルナスがどうして心配していたのか、ハッキリと理解することになった。
「何故、パスタが5袋も有るのかね!?」
「安い時に買い溜めしやがったから……」
「缶詰……缶詰が20個も! しかもそのうち半分は賞味期限が切れている……!? 缶詰の賞味期限が!?」
「奥底にしまっていたら、忘れてしまい……」
「独り暮らしにしては皿が多くないかね!?」
「それは、その、良いものなのだ! パン祭の食器はとてもよいもので……!」
「どうしてこうなるまで放っておいたのだよ! もう三日後には引っ越しだというのに!」
「う、うぅ~、すまぬ、すまぬぅ……」
しょぼくれているウィルナスと共に、ル・オーは大量の荷物を整理しなくてはいけなかった。
「捨てるもの」「持っていくもの」「売るもの」「実家に送るもの」と書かれたエリアに、どんどん物を運んでいく。
食品はまだいい。捨てるものはハッキリしているのだから。ひとまずキッチンのものをまとめている間にウィルナスへ服などの分類を頼んだ。賞味期限切れの物を処分し、食器類をあらかた床に出してからウィルナスの様子を見に行く。
すると彼は、クローゼットから出した服を全て「持っていくもの」のエリアに置いているではないか。あまりにも大量である。
「……ウィルナス!」
「ぬ! なんでいらっしゃるか!」
「本当にこれほど服が必要なのかね? その……よく似た服も有るようだが」
「むむむ」
ウィルナスは積み上げられた服を一枚一枚手に取りながら、ル・オーに説明してみせた。
「これは鼎が初給料で買ったジャケットでいらっしゃる! ル・オーと初めて会った時に着ていたものだ」
「ふむ、確かに見覚えはあるね」
「こちらはル・オーと2度目に会う時、買った上下だ! あの日は本当に楽しかったなあ!」
「…………」
「それにこれは、ル・オーと牧場に行った時の……ああこちらは海に行くと知って買ったもので……」
「ま、待ち給え。いい、わかった。わかったのだよ。……その。つまり君にとっては、「要るもの」なのだね?」
「応、応! ここにあるものは全て、ル・オーとの大切な思い出の品だ!」
それ以上説明されないように会話を打ち切ろうとしたのに、ウィルナスときたら眩いほどの笑顔で言い切った。ル・オーはなんとも言えない落ち着かなさを感じながら、服の山に目を落とす。
確かに。どれもこれも、見覚えがある。質素なル・オーに比べて、ウィルナスはファッションを楽しんでいた。初めて会った日はともかく、次に会った時から彼なりに選んで着ていたのだろう。
ル・オーまで様々な思い出が蘇ってきて、首を振った。
大切な記憶だ。それは認めよう。しかし、3日後には新居に引っ越しなのである。
「……ウィルナス、君の大切にしているものはわかった。しかし……」
ル・オーはウィルナスの目を見つめて言った。
「このペースでは私との同棲に間に合わないのだよ」
「!!!! それは、困る! ううっ、鼎は頑張って荷物を仕分けやがるぞ!」
ウィルナスは大慌てで自分の荷物の整理を始めた。ル・オーも苦笑しながら、それを文字通り一日中手伝った。
「なんというか、嵐のような日だったなあ」
「そうだね……」
新居の中には家具が並び、そしてたくさんの段ボールが転がっている。ついでに、そんな床にウィルナスとル・オーが座り込んでいた。
引っ越しは一応のところ、成功した。ウィルナスは無事に荷物の選別を成し遂げ、ル・オーの2倍の段ボールを新居に運びこむほどまで抑えたのだ。ふたり分のキャンプ用品も厳選することで、玄関の収納スペースに入りきった。
家具が置かれただけで、新居が落ち着くにはまだまだ先が長いだろう。段ボールを開けなければ、と思うのに、どうにもその気にならない。
ひとつには疲れ果てているから。もうひとつには、遂にふたりの新しい暮らしが始まるのだという実感から――。
胸が温かくなるような、顔が熱くなるような感覚を覚えて、ル・オーは耳に触ってみた。ぴるぴる動いている。これはダメだ。こんなものを見られては、何も言わなくたって喜んでいることがばれてしまう。
ウィルナスを見ると、彼はとびきり幸せそうな笑みを浮かべて、こちらを見つめている。
「な、なんだね、その顔は……」
「ん? ル・オーとずっと一緒にいられるなんて、幸せだなあと感じている」
「…………」
素直に言われてしまうと、ル・オーだってそれ以上何も言えない。耳がぺしょりと伏せたのを隠すように(全く隠れない)顔を逸らして、ル・オーは
小さく溜息を吐いた。
どうもウィルナスと一緒にいると、鼓動が乱れて仕方がない。こんなことは、彼と出会うまで無かったことだ。
「ル・オー?」
背後から声をかけられる。ぴくりと耳だけを向けていると、「ル・オーは……嬉しくはないか?」と不安げに問われた。ゆっくりと振り向けば、先ほどまでの眩い太陽はどこへやら。すっかり曇っている。
「…………いいや」
ル・オーは思わず苦笑して、首を振った。
「私も……これからのことを思うと、満ち足りた気持ちになるよ」
「!」
言うや否や、ウィルナスはまた「ぱあっ」とでも音を出しそうなほどの笑顔を浮かべ、そしてル・オーにずずいと身を寄せた。
「ル・オー。近くに寄ってもよいか?」
「もう来てるではないかね」
「ああ、失敬、失敬。では……さ、触りやがってもよろしいか? その。……ああ変な意味ではなく、その、なんだ。つまり、……抱きたい……ああいやいや、変な意味ではなく! 抱きしめやがりたい!」
ウィルナスはひとりで慌てたり言い直したりを繰り返した。ル・オーはそれを優しく見守って、するりと彼の腕の中へと身を寄せる。
その体を、おずおずと大きな腕が抱き寄せる。その温もりが、代えがたいほど心地よかった。