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    akimori_moti

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    akimori_moti

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    雨男✖️晴男の朝菊(未満)小説です
    お互いが高校生

    そして雨が止んだしとしとと天から降る雫が体を濡らしていく。外は重々しい雲が広がり、これからの荒れ天候を彷彿とさせる。
     アスファルトの水が跳ねて、肌に服が張り付き、体温が少しずつ冷えていくのが分かる。

     アーサーは傘を差していない。
     天気予報を見そびれた訳ではない。明日の朝から雨が降るとテレビで予想されていたし、朝家を出る時も曇りきった空だった。分かった上で彼は通学路を歩き、決して安くない指定の制服を濡らしている。
     駅を出てから、皆が自宅から持参したであろう傘を差している中、一人だけ何も纏わずに歩き出しているのは朝からの雨天にも関わらず傘を持ち込まなかった馬鹿だと思われているのだろう。
     馬鹿と言われれば適切な言葉ではないが、アーサー・カークランドには英国紳士としてのこだわりがある。
     それは、雨の日でも傘を差さないこと。傘を差すことはスマートではない。小さな頃はよく付き添い人が風邪をひかないようにと傘を持ってくれていたが、家を飛び出して一人暮らしを始めてから、アーサーは絶対に傘を差すことはなかった。
     傘がない訳ではなく、ただ単純に差して歩くのが癪である。
     そして、彼が傘を持たない理由はもう一つある。
     それは、彼が雨男だからだ。

    「ヴェー、今日サッカーだって言ったのに!グラウンドぐしゃぐしゃじゃん!」
    「これやったら、サッカー部も練習できひんなぁ」

     本日の体育はクラスメイトが前日から大変楽しみに待っていたサッカーの授業だった。
     しかし、雨天の為座学に変わり、前の席にいるフェリシアーノとアントーニョは窓を見上げていた。

    「…で、お前はまた今日も傘を差さなかったわけだ」

     クラスメイトの一人がこちらを見やり、忌々しく視線を送る。金髪のいけすかない顔にギット睨み返してタオルで軽く頭を拭うと、その男は隣席にどさりと座った。
     フランシス・ボヌフォアはアーサーとの腐れ縁であり、小学の頃から同じ学校に通っている。高校でやっと離れられるかと思いきや、どうやら互いに同じ学校を受験していたらしく、受験日にはフランシスの落第を必死になって願ったが、夢は叶わずこうして仲良く入学することになってしまった。

    「ほんとお前って雨男だよねえ。俺もサッカー楽しみにしてたのに。お前がクラスメイトになるといつもこう」

     これまでにフランシスと同じクラスに振り分けられたことは何回かあり、その何回かは必ずと言っていいほど雨天によって体育、または体育祭などの行事が潰れていた。
     中学の頃の修学旅行の時なんかは、大雨によって帰りの電車が止まり、騒然とした程だった。
     雨男にも程があるだろと、そう思っても畳み掛けるように、アーサーが夏風邪を引いて体育祭を休んだ日は晴天だった。
     実は、夏風邪を引いたことは今まで何回かあり、そのたびに、梅雨の時期の筈だというのに天気が晴れていたことを思い出す。
     フランシスはその長年の付き合いからアーサーを「雨男」と罵る名前をひとつ増やしていった。

    「うるせぇロング。お前がすっ転けて恥かかないようにしてあげたんだ。良かったな」
    「はぁ?余計なお世話だよこの眉毛!」
    「何だと!この女男!」

     胸ぐらを掴んで睨み合うアーサーとフランシスは、この後担任がやってくるまで喧嘩は止まずに、放課後に反省文を書かされることになる。
     何、日常茶飯事である。
     フランシスは職員室に来いと呼び出されても、何かしらの理由をつけては逃げ出し、放課後は女遊びに明け暮れる。
     一方でアーサーは、自分もまた逃げ出したいと思いつつも少ない内申点が更に下がってしまうことを恐れて教師に特別反抗できなかった。
     中学の頃は、それはもう不良生徒だったが。
     毎日自分の変な雨男の力のせいで曇り空になってしまうのだから、ぐれてしまうのは仕方がないと思いたい。
     何とか上っ面だけの反省文を三百文字書き連ねて、職員室の担任に提出する。担任は最後までやってこなかったフランシスに怒りの矛先を向けており、「明日覚えとけよ…」と半ば呪いの言葉をごちて、アーサーは内心ざまぁみろと嘲笑った。
     やっと帰れる、と窓を眺めて一日中降っていた雨が少し止んだ様子を確認すると、担任から声がかけられた。

    「悪い、カークランド。これ本田っていうやつのプリントなんだが、返してきてくれないか」
    「…ホンダ?」
    「俺はお前らだけの体育教師じゃねえからよ。隣のクラスの図書委員で、今日返すって言ったんだけど、お前の反省文見なくちゃいけねえから、返せねぇんだよ」
    「…何で俺が」
    「今回も反省してない反省文見せられる俺の気持ちも考えろ」

     力強くプリントを手渡され、おずとずとそれを受け取る。名前には確かに二年三組の本田菊、と丁寧に書かれており、どうやらそれは体育のレポート用紙のようだった。
     遠目で眺めてみるが、びっしりと字が埋まっている。シュートの際のフォームや試合の動かし方などが様々な角度から観察されて、細かに書かれている。
     相当優等生らしいと苦笑いを浮かべると、担任は「今日は図書館にいるから、渡してきてくれ」と言い放ち、アーサーを職員室から追い出した。

    「くそ、何で俺が…」

     あの女ヅラを思い出してくしゃりと頭を掻き乱す。
     気乗りはしないがこれを渡せば帰れると言われてしまえば、そうするしか道はない。
     重たい足を動かして図書室に向かえば、確かに鍵が空いており、一人生徒が眼鏡をかけて受付に座っていた。
     どうやら本に熱中しているらしい。やってきたアーサーに気づかず熱心に黙読している。
     急にここから話しかけるのも忍びなく、ゆっくりと足音を立てないように近づくと、窓の向こうから雨が叩く音に彼が反応した。

     パチリ。
     黒曜石の瞳と目が合い、アーサーの動きが固まる。何度か瞬きをして彼の姿を見とめた後、本田は音を立てずに本を閉じて申し訳なさそうに目を伏せた。

    「す、すみません。何かご用ですか…?」

     図書委員の癖にサボっていると思われているのだろうと、わかりやすく華奢な肩を縮こませて背を丸める。
     このプリントを書いた優等生なのだから、もっとしっかりとした体格の男だと思ったが、自分が思っているより一回りは小柄だった。

    「これ」

     アーサーは握りしめた指の力でほんのり皺のついたプリントを差し出すと、本田は席から立ち上がり、受付の台に手を置く。
     徐にそれを受け取ってプリントを確認すると、納得したように頷いた。

    「ああ…わざわざありがとうございます。別に、職員室に寄って行きますのに」
    「忙しくて手が回らないんだとよ」
    「なるほど」

     目をぱちくりしながら首を傾げる本田から目を逸らした。
     自分の反省文のせいで、と矜持によって伝えることのできない言葉を抱えながら踵を返そうとすると、「待って下さい」と途端に声に止められた。
      
    「あ、あの。これから雨が激しくなるらしいんです。読書は退屈かもしれませんが、少し雨宿りしていきませんか」

     おずおずと発された提案にきょとんと体が固まる。
     つい窓をのぞいてみれば、朝に降った雨以上に重苦しい暗黒の雲が広がり、確かに本降りを彷彿とさせる。
     傘を差さない自分としては、どんな天気になろうが結局は濡れるので関係はない。
     寧ろ、お前はいいのかと問い掛けたかった。一人で読書する時間が減ってしまう。そう伝えて、無闇に遠慮されるのも何だか憚られて、アーサーはゆるゆると首を振った。

    「べつにいい。雨には慣れてるんだ。このまま帰る」
    「え…でも、風邪をひいてしまいます。」
    「慣れてるって言ったろ、風邪なんかひかない」

     夏風邪は引くけど。
     後ろめたさを隠して手を後ろに持っていくと、本田は俯いてはにかむ。

    「わ、わかりました…。」

     徐に立ち上がり、備え付けられていたパソコンの電源を切る。足元に置いてあった鞄に本を入れたかと思えば、目の前を横切って受付から出ていく様子が見受けられた。
     壁にかけてある鍵を取り、チラチラとこちらを見てくる。
     アーサーが使わないのならば、閉館したいのだろう。名残惜しそうに眉を下げながら、本田は受け取ったプリントをファイルに挟んだ。

    「あの…じゃあ、閉めますね」

     アーサーは本田の横を通り過ぎて、扉を出る。消灯した図書館を振り返ると、雨の中に閉じ込められた一つの空間のように思えて、どこか不気味さを物語る。
     本田は表情を変えずに、何処か億劫そうにゆっくりと扉を閉めて、鍵をかけた。

    「まだ下校時間まだあるんじゃないのか」
    「いえ、もう雨ですし。校内に生徒は殆どいませんから」
    「…」

     雨を理由にされると、間接的に自分のせいにされたように思う。
     自分は自他共に認める雨男だからだ。もしも自分のせいで彼の貴重な時間を奪ってしまったのなら、それを自分のせいだと罵られるのならば、お互いに不愉快だろう。
     どんな言葉を掛けて良いか分からずに背を向けて先に歩くと、後ろからパタパタと足音が聞こえる。
     まるで親鳥について行く小鳥のように、真っ直ぐに後を追う姿に優等生らしからぬ規範的な性格が滲み出ている。
     同じクラスでもなければ、話したこともない本田菊という生徒に、この先どう会話を繰り広げればいいか分からない。寧ろ、会話などいらないのかもしれない。
     そうしてアーサーは振り切るように足を早めて、手前の角を曲がる菊を後ろ目で見送った。

     ざあざあと、雨は未だに止むことなく降り続いている。昇降口の明かりが辺りの暗さを照らし、まだ夕方だというのに、まるで夜のように感じられた。
     さて、このまま駅まで走ろうか。
     お気に入りの下靴を履きながらぼうっと考える。
     本田は落ち着くまで待っておいた方が良いと言っていたが、確かにそうだったかもしれない。しかしもう図書館は閉まったし、自分が赴いて滞在を断らなければ、彼は今でもあそこにいたかもしれない。
     自戒の念が、雨と一緒にアーサーを責め立てた。
     こんなことを延々と考えても仕方がないと割り切り、首を振る。踵を鳴らして鞄を肩にかけると、後ろから騒がしい足音が聞こえた。

    「カークランドさん!」

     荒々しい息遣いと共に聞こえた名前に驚いて振り返ると、本田が肩で大きく息をしながら、膝に手を置いていた。

    「はあ…はあ、すみませ、先生に名前教えて貰いました、あの…傘、持ってないんですか…」

     どうやら鍵を返しに職員室に向かったようだ。
     だったら、自分が図書館に向かった意味など無かったではないか。忌々しい体育教師を思い浮かべる。彼奴の仕業によって傘を持っていないことも暴露されたようだ。

    「いい。このまま帰る」
    「だ、駄目です!風邪を引いてしまいます!」
    「だから、引かねぇって!」

     傘を持っていないことが、皆にとってそれ程に信じられないのだろうか。
     責められたような気がして眉間に皺を作ると、本田は慌てて靴を履き替える。
     忙しなくつま先を鳴らして鞄の中を漁ると、白の折り畳み傘をアーサーに差し出した。

    「これ、どうぞ」
    「…は?」
    「プリント、届けてくださったお礼です。あの、先生も悪かったって言ってて」
    「い、いらねえって。お前の分がないだろ」
    「私は大丈夫です」
    「何でだよ、お前のなんだから、お前が持てよ!俺はいらない!」

     押し付けがましい親切にやけになって押し返すと、冷静な本田の態度がやけに癪に障る。
     拒絶の色を大きく示せば、彼は理解したのか、言葉を返さなくなった。代わりにばつが悪そうに苦笑して折り畳み傘を開いて行く。

    「…でしたら、一緒にどうですか」

     途端に問いかけられた台詞に耳を疑うと、本田は既にアーサーの隣に立ち、彼の許可の有無を問いていた。

    「…は?」
    「ほんの少しだけで、大丈夫です。校門までだけでも、よければ」
    「だから、行かねえって。それだったらこっから走る」
    「少しでも、カークランドさんの体が冷える時間を減らしたいんです」

     図書館の滞在はあっさりと引いたのに、帰り方になるとめげずに話しかけてくる。
     余計なお節介だ。相手は知人ですらない。今日初めて会話した人物だ。
     けれども、フランシスのようにこれ以上とやかく言い合うような敵を増やしたくない。
     互いにストレスを溜めたくなく、数刻の後渋々と頷いた。

    「わかった、わかったよ。入ればいいんだろ、入れば。校門出たら、一人で帰るからな」
    「…はい、ありがとうございます。」

     気まずい空気の中、雨音だけが救いだった。
     傘をばさりとひらけば、二人分入るには少しスペースが心許ない。
     けれど本田はそれでも構わずにアーサーの方に寄せて、自分の肩をほんのりと雨で濡らしていた。それに気づくと途端に申し訳なくなり、アーサーは本田に数センチ、できる範囲まで近づく。
     知らない人間にこれ以上近づくのは耐えられなかったが、本田が施してくれたことを考えると胸が痛む思いだった。
     こんな事されても、自分には返せるものがない。ありがとうと言えばいいのだろうか。でも、自分は断った、彼が自らこれを選んだ。
     それ以上でもそれ以下でもない。押し付けがましい恩と、やる気のない恩返しに、一体どんな親切関係が生まれるのだろう。
     アスファルトに溜まった遠くの水面をふと眺めていると、本田と肩が当たる。

    「ご、ごめんなさい」

     慌てて彼はアーサーから離れた。
     しかし、腕を伸ばして彼がまだ庇護下に入れるように工夫されている。
     何だか、何も知らない彼が昔の付き添い人のように思えてやけに腹が立つ。アーサーは本田の手から傘の持ち手を奪い取ると、彼に寄せるように傘を差した。

    「普通、お前の傘なんだから、お前が入らなくちゃ駄目だろ」
    「…え、でも、校門を出たら、貴方が、出るから、少しでも」
    「お前、俺に何がしたいんだよ」
    「何って…そんな」

     答えを捻り出せずに唸る本田を横目に、アーサーは歩幅を合わせて答える。

    「知ってるか?俺、雨男なんだよ」

     本田の肩の向こうには雨でぐしゃぐしゃに濡れたグラウンドが見える。
     クラスメイトが待ち侘びていたサッカーが出来なかった。たった一人の人間によってだ。多少は季節や気温のせいもあるかもしれない。だが、今日は本来、数日前から晴天の予報が出ていたのだ。それだけはわかる。
     アーサーもまた、サッカーを楽しみにしていたからだ。

    「だから、慣れてるんだって」
    「ですから、傘を持たれていないんですか?先生が、そう言ってました。カークランドさんは傘を持たないって」
    「そうだよ、なんか悪いか?傘を持つのは好きじゃないんだ。持つのはカッコ悪いって家で躾けられてきたからな」

     傘の中だと、本田の低い声がやけにはっきりと聞こえる。
     自分の声もはっきりと相手に伝わり、会話がスムーズに出来ているように思う。

    「そうなんですか。それは…実にすみません」
    「は、何でお前が謝るんだよ」
    「だ、だって、私、持たせてしまってます」
    「それはお前より俺の方が背が高いから仕方ないだろ。合理的に考えろ馬鹿」

     もう目と鼻の先に校門が見える。
     そろそろアーサーが傘から出る時間だ。
     初対面の相手とここまで話せたのは久々かもしれない。何せ、アーサーに話したいと思う生徒や教師はそうそう居ない。中学の不良時代は中々荒れていたからだ。
     さて、どうやって終わらせようかと言葉を悩むと、本田は唇を一文字にして、また開いた。

    「…じゃあ、私たち出会えて良かったですね」

     その一瞬で、強かった雨音が少しずつ弱くなっていく。

    「ここだけの話、私のお家は、凄いところのようでして、」
    「…凄い?」
    「ああ、凄いと言っても…別に大金持ちとか、そういうわけではないのですが」

     本降りが少しずつおさまっていくのだろうか。傘から伝わる雨の衝撃を感じなくなる。
     隣で歩く本田は平然と前を向いたまま、それを語る。

    「先祖様を大きく辿ると、その昔に、太陽の一族と呼ばれた人たちがいまして」
    「…はっ、じゃあお前は晴れ男っていいたいのか?」
    「…ふふ、そうなります。私は、別に何か超人的なパワーを使えるわけではないんですけど」

     ただ。
     本田は柔らかな声で言葉を紡ぎ、それに空が答えるように雲が薄れていく。
     もうすでに、雨は止んでいたのかもしれない。立ち止まった本田を、傘を持ったアーサーが振り返る。彼はすでに傘の下におらず、丸腰で空の下に立っていた。

    「お天道様に愛されているなあって、感じる時はあります。」

     天使の梯子。
     雲から光が裂くようにして、本田に降り注ぐ。まるで舞台のスポットライトに当てられるように、彼が祝福を受けていると言わんばかりに。
     代わりに、自分の空の上にはまだ重い空があった。雨と太陽の交わるところ、決められた境界線のようなものが張り巡られているような気がして、迂闊に彼に近づけない。
     彼の話した言葉が本当だとは信じられない。太陽の一族なんているものか。だったらなぜ、自分は雨に苦しまれているんだ。
     彼らが本当に存在するなら、アーサーが雨に悩むことはないのに。

    「でも…気まぐれですよね。お天気というものは。ですから、猫ちゃんみたいなものだと思ってます」

     本田は穏やかな所作でアーサーに近づき、彼の手にあった傘をやんわりと受け取る。
     パタンと、水飛沫を小さく飛ばして傘を仕舞うと、アーサーに一縷の風が吹いた。
     柔らかく、暖かな太陽の風にふと目を見開くと、自分の頭上から太陽が降り注いでいるのがわかる。そしてそれに呼応するように、七色の橋が空を繋ぎ、燦々と輝いていた。
     絶句し、言葉を見失う。
     こんなにも近くに太陽を浴びたのは何年ぶりだろうか。雲が少しずつ去っていき、空が青さを取り戻す。この清々しい空を間近で見たのは、初めてだったかもしれない。
     呆然と空に魅入られながら、本田を見下ろすと、彼はまるでお日様のように笑っていた。

    「今日はご機嫌らしいです。カークランドさんが雨に濡れなくて、よかった」

     便乗するように小鳥たちが鳴き出す。
     晴れを喜ぶように。
     アーサーは小刻みに震えながら天を仰ぎ、そして太陽を見た。漆黒に塗られた髪と瞳、そして小さな体。
     その中にどれ程強い光を放っているのだろう。
     自分には決して与えられないものだと思っていたものが、こんなにも近くに、簡単にあった。
     徐に、縋るように手を伸ばすと、本田は不思議そうに首を傾げる。答えを確かめるみたいに手を重ねられ、はにかむ顔を見てまだ呆然としてしまう。
     本田の指は小さく、暖かった。
     雨に濡れた冷たい自分の手とは大違いだ。

    「か、カークランドさん?」

     太陽のように赤く火照った顔がこちらを見上げる。
     たちまち汗がぶわりと吹き出し、アーサーはその手を離した。

    「わ、悪いっ!違う、ただぼーっとしてて!」
    「だ、大丈夫ですか?やはり、風邪をひいてしまったのでは…」
    「ひ、引いてない!濡れてないんだから、引くわけないだろ!」
    「でも…」
    「な、何なんだよ!何でそんなに気にかけてくれんだよお前!俺に何がしたいんだ!」

     ばくばく、と心臓が煩くて止まない。雨なんかよりもよっぽど激しい。
     壊れてしまったのだろうか?それとも本当に、風邪をひいてしまったのか。アーサー自身にも分からない故障に胸が痛くて堪らない。
     じんわりと目に滲んだ涙を擦ると、本田は心配そうに眉を顰める。

    「そ、そんな。私、そんな、あの、ただ、…カークランドさんが、体を壊さないか心配で」
    「いらねぇってそういうの!何度言えば分かるんだよ!」
    「だ、だって。今日だって、びしょ濡れの中登校してたじゃないですか!」
    「は?なんで知って…!」

     本田はまずいと言わんばかりに後退り、口を噤む。
     しかし、アーサーの視線に後ろめたさを感じたのか、目を逸らしながら受け答えた。

    「と、図書館から…見えるんですもん…いつも、一人だけ、傘を持ってなくて…」

     辿々しく語る口調に、本田から焦りが見受けられる。はにかんだ表情に目を疑うと、本田は居心地が悪そうに俯いて手遊んだ。

    「な、名前は知らなかったんですよ、どこのクラスにいらっしゃるかも、分からなくて、でもきっと、明日は風邪をひかれるだろうなって思っても、毎日、登校してらして…」
    「…」
    「良かったと思う反面、このままじゃ、お体を壊してしまうじゃないですか!でも、私たち、話したこともなかったし、初対面の方にいきなり傘を貸しますよなんていうのも、憚られて」
    「お、お前…じゃ、じゃあ今日、話しかけた時、お前は」

     こくん、と小さく本田は頷く。

    「漸く話せると思って…それで…案の定傘を持ってないと聞いて…」
    「もしかして、さっきの先祖の話は」
    「え、そ、それは!ほんとです!ほんと!全く、信ぴょう性もないんですけど!あはは、おじいちゃんがそう言ってたの伝えただけです…」

     自分でもあまり信じてなかったんですけど。でも、何を話せばいいか分からなくて。
     本田は赤面しながら背を曲げ、気まずそうに笑う。
     まるで、今まで彼に、気にかけられていたとでもいうのか。
     ずっと、自分が体を壊してしまわないか、名前も話したこともないアーサーを心配してくれたというのか。

     可笑しい。
     本来、今まで自分が見られていたと言われれば、不快感を覚える筈だろうに。気持ちが悪くて、もう二度と関わりたくないと拒絶すると思っていた。
     何故だろうか。先程の雨上がりを見てしまったからか。
     自分はまるで、太陽に微笑まれているような、見守られているような気分になった。超常的な何かが、例え曇りや雨になってもアーサーを優しく照らしてくれていた。
     馬鹿みたいだと自分でも卑下できる。
     目の前の人物は人間で、人間でしかなく、この雨が上がったのも偶々に過ぎない。
     偶然の出会いに過ぎず、偶然の出来事の中に過ぎないのに、全てがアーサーの心を動かさせた。感動という言葉に相応しい心持ちにまた涙ぐむと、そんな自分がおかしくて仕方がない。

    「…変なやつだな、お前」

     乾いた笑いが浮かぶ。
     自虐的な筈だったのに、何故か彼を馬鹿にするような言葉になってしまった。

    「……へ」
    「…本田?」

     また彼は顔を真っ赤にして固まった。また太陽の真似事かと面白がって覗くと、暑そうにパタパタと手うちわで微弱な風をたてる。

    「あ、あはは。わ、私ってば、ほんと…すみません」
    「べ、別に、謝れなんて言ってないだろ」
    「で、ですよね、すみません。謝りません御免なさい」
    「お前な…」

     下からの姿勢を貫く本田に目線を送ると、彼は気恥ずかしそうに目を逸らす。
     ふと見上げた晴天の空にある時計を見やると、すでに完全下校時刻になっており、一番早い電車まであと数分というところになっていた。

    「やべっ」

     せめて六時には帰りたい。
     アーサーは振り返って本田を見やる。

    「俺、もう行くよ」
    「…え?あ、はい。」

     きょとんと立つ本田をもう一度見下ろして、また胸が暖かくなる。その手にあった折りたたみが無ければ、今日これまでに心を動かされることはなかったのかもしれない。
     気恥ずかしい。
     感謝の気持ちを伝えるのは。
     けれどもこんなに晴れやかな気分になるのは久しぶりで、体が言おう言おうと背中を押した。

    「ありがとな、本田」

     返事は聞けなかった。否、聞きたくなかった。恥ずかしすぎたからだ。
     中高生のよくある、思春期みたいなやつ。
     アーサーは軽く手を振って一心不乱に走った。雨上がりの道はまだ湿って、濡れて、転びそうになるのを必死に堪えながら駆けた。
     太陽と虹の住処に見下ろされながら、坂を下っていった。

     アーサーは、傘を差していなかった。
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