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    자마(ちゃま)

    @wo_shi_chama

    ちゃまです

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    자마(ちゃま)

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    2025.05.03スパコミで頒布した『夜のかいじゅう』の番外編②です。本編を読んだ後にお楽しみください!

    これから 人生はときに、びっくりするほどうまくいかない。
    「バデーニさん、やっぱ俺こっちに越して来たいです」
    「ダメだ。一限間に合わないんだろう」
     バデーニにぴしゃりと言われてうなだれる。
     バデーニの友人──共同研究者の墓参りから二日が経った。春休みも残すところ一週間。二人のこれからについて考えていく中で、さまざまな問題が浮上していた。
     その中でも一番の問題は、オクジーがここを離れがたくなってしまったことだ。元々は春休みの間だけバデーニの家に住まわせてもらう予定だったが、叶うならこの先もこの家で暮らしたいと思い始めていた。こころのバランスを崩したバデーニを放っておけないという理由が半分、バデーニから片時も離れたくないというオクジーの願望が半分だ。
     しかし、ここからでは始発に乗っても一限の授業に間に合わなかった。一限を無くせないか時間割を何度も組み直したが、どうしても必修の関係でだめだった。
     リビングで向き合って座ったバデーニは、足も腕も組んでオクジーの頭から胸元を品定めするかのように見回した。鋭い視線に亀のように身体を縮こませる。
    「でも俺、心配で……」
    「でもでも、と子どもみたいなこと言うな。もう子どもじゃないんだろう」
    「…………そしたら、子どもでいいです」
     首をすくめたままじとりと見つめると、バデーニは小さくため息をついた。
    「わがままを言うな」
    「だって……あいたっ」
     ぺちん! とむき出しの額をはたかれる。
    「学生の本分は勉強だ。疎かにしてどうする」
     厳しいが、バデーニの言う通りである。
     全身でしょげ返っているのをアピールすると、バデーニが呆れたように笑った。
    「今日明日発つわけじゃないし、別に一生会えないってことでもないんだ。来期が始まっても週末になったら来るといい」
     と、額をはたいた手で鼻をつままれる。バデーニのこういう厳しさと優しさが同居した言動はいつだって心地よい。


     出発の日、バデーニはターミナル駅で買い物があるからとオクジーと同じ時間に家を出た。買い物は多分、建前だ。昨晩ひどく落ち込んだ様子だったのを気遣ってくれたのか、バデーニも離れるのが寂しいと思ってくれているのかは定かではなかったが、一分一秒でも長くバデーニといれると思うと嬉しかった。
     在来線で高速鉄道が停まるターミナル駅まで向かう。町からターミナル駅まで四〇分ほど。バデーニは座席についてすぐ、うとうとと頭を揺らし始めた。
     以前バデーニは、オクジーといると眠くなる、と言った。「なぜだろう。安心するのかもしれないな」と真剣な顔をしていた彼のことを思い出すと、切ないような嬉しいような気持ちで胸がぎゅうっと痛くなる。
     ガタン、ガタン、と電車の揺れは激しい。そういえば、線路の老朽化で近々改修工事が行われると駅に掲示してあった。新しい線路ができ、他社路線との乗り入れも開始するとのことだ。町は栄えるのだろうか、それとも、人口の流出が深刻化するのだろうか。わからない。どちらにせよ、誰にも止められない変化の波が、この町にも迫っているということだ。
     頭の重みで、バデーニの身体がぐらりと傾く。慌てて肩を抱き寄せバデーニをこちらにもたれかからせた。こてんと金色の頭が肩に預けられる。
     さらりと流れる金髪を指に絡ませた。ここ一週間、栄養満点の食事を取らせ、可能な限り長く睡眠を取らせていたからか、髪の色つやがだいぶマシになった。
     バデーニの壊れてしまったこころは、まだ治っていない。夜中汗だくで起きることも、日中ぼんやりとしていたかと思うと青ざめた顔でオクジーの名を呼ぶことも、なくなったわけではない。何度でも言うが、人生はときに、びっくりするほどうまくいかないものなのだ。フィクションの世界のように一件落着、大団円で終わることなど存在しないのだろう。だからせめて、彼が苦しむ日が一日でも減るように、ひび割れたこころにたくさんの愛を流し込むのだ。一度割れてしまった陶器は元に戻らないけれど、金で継いで、新しく生まれ変わらせることはできる。そんな感じだ。
     さらさらとやわらかな手触りを楽しみながら窓の外を見やった。背の高い木、民家、少し景色が開けて、新芽の揺れる畑が遠くまで続く。鮮やかな緑の絨毯が、電車の振動に合わせて波打っている。いつかあそこにもビルが建ち並ぶようになるのだろうか。
     ふと、バデーニの髪を撫でる手を止めた。
     電車内で眠ってしまった男をこちらに寄りかからせて、肩を抱いて、これってちょっと恋人みたいだ。
     ……恋人、なのだろうか。恋人でいいんだよな。
     繰り返し伝えていた「好きだ」という言葉を、墓参りの帰りに改めて伝えた。公園のベンチでなんだか不格好な告白だったけれど、バデーニはくすくす笑いながら、オクジーにキスをした。受け入れてもらえたのだと思っていたけれど、オクジーの勘違いだったらどうしよう。でもキスしたしなあ、と思いながらなんとなくくちびるを舐めた。
     すうすうと穏やかな呼吸に上下する肩をそっとさする。少しでもうなされる予兆があればすぐに起こすつもりだったが、バデーニはターミナル駅に着くまでぐっすりと眠っていた。


     高速鉄道の発車時間は午後五時。それまではバデーニの買い物に付き合うつもりだ。
     バデーニは駅ビルの中にある本屋に入った。理系分野の難しそうなエリアに入っていってしまったので、しかたなく、雑誌や文芸書の棚を眺めて時間をつぶした。新品の本の匂いの中をぶらぶらと歩き、気になるタイトルをめくったり、裏表紙のあらすじをなんとなく読んでいると、後ろからトントンと肩を叩かれた。
    「オクジー君、待たせたな」
     バデーニは買い物を終えたようで大きな紙袋を携えている。
    「結構買いましたね」
    「町の本屋には売ってないものでな」
     なるほど。確かに専門性の高い本は大型の書店でないと売っていないだろう。
    「あと、これ」
     と、バデーニはさらに、紙袋のなかから手提げのポリ袋を取り出した。
    「俺にですか?」
     不思議に思いながら袋を受け取り、中身を引っ張り出す。
     グレーの箱に入った本だった。取り出し口から、赤がね色の布が張られた背表紙が見える。
     あの本だ。
     あっと叫んで取り落としそうになった袋をすんでのところでキャッチする。バデーニは面白そうに口角を持ち上げた。
    「向こうにいるときに読みたくなったら、な。こっちに戻って来るときは、うちのを読めばいいから」
    「はい……あ、てことは、週末は泊まっていいってことですよね」
    「最初からそう言っているだろう」
     バデーニは得意そうに目を細めた。すっと流れるまつげがきらきらとしていて危うくキスしてしまいそうになったけれど、公衆の面前だと思い留まった。


     バデーニは、入場券を買って高速鉄道のホームまで来てくれた。ホームは休暇を終えて日常へ帰る人々でごった返している。チケットで指定された席は後ろの方だ。ホームの端に移動し、他愛のないことを話ながら高速鉄道の到着を待った。
     日が長くなった。五時前だというのに空はまだ昼間と同じ顔をしている。春特有のぼんやりと溶けるような青色の空は、ビル群の長方形にところどころ欠けている。作り途中のパズルのようだ。
     バデーニの爪が、ちょんとオクジーの手の甲に触れた。指先だけを控えめに絡ませれば、ひやりとした体温が伝わってくる。
     到着メロディとともに、流線型の車体がホームに滑り込む。ドアが開き、ボストンバッグやキャリーケースを手にした人々が続々と車内に吸い込まれていった。
    「じゃあ、元気で」
     バデーニは手を離した。
     オクジーが最後の乗客だ。バッグを持って、列車に乗り込む。けれど名残惜しくて、なかなか座席へ移動できなかった。乗降口に立ったまま、バデーニと向き合う。
     もうすぐドアが閉まってしまうだろう。そうしたら、来週末まで会えない。寂しい。眉を下げたオクジーに、バデーニは困ったように首を傾げた。
    「会えなくなるわけじゃないんだぞ」
    「そうですけど……」
     少なくとも五日は会えないのだ。
    「電話もチャットも、していいですか」
    「いつでも」
    「寝る前、電話したいです」
    「君、中学生みたいなこと言うんだな」
    「だって……」
     また、子どもじみた駄々のこね方をしてしまう。今まで誰かに恋をしたり、恋人として付き合ったりしたことなんてなかったから、適切な距離感がわからなかった。
    「……寂しいな」
     そう言うバデーニの表情が本当に心細そうだったから、たまらない気分になってしまった。
    「ッバデーニさん!」
     こらえきれずバッグから手を離し、ホームに立つバデーニを、力いっぱい抱きしめた。
     背後で列車のドアが閉まる音がする。間を置かず発車メロディが流れ、列車が走り出す。徐々に速度を上げながら、高速鉄道はあっという間にホームを去っていった。
     抱きしめられたままのバデーニがもぞ、と動く。
    「君……」
    「すいません」
    「カバン、中に置いてきたな」
    「……すいません」
    「それに電車、出てしまったぞ。指定席だったんだろう」
    「す、すいません……」
     口では謝りつつも、この行動をちっとも反省も後悔もしていなかった。
     これからのことを考える。高速鉄道のチケットを取り直さなければいけない。そういえば、ルームメイトへの土産を買っていなかった。大学が始まったら、また怒涛のレポート地獄だ。バイトに復帰する必要もある。毎週末バデーニのところへ帰るから、平日のバイトのシフトを増やしてもらおうか。明日以降へ馳せた思いが、今抱きしめているバデーニへの強烈な愛おしさに上書きされる。
    「……夜のバスで帰ります」
     今夜の夜行バスで帰れば、春学期の開始には十分間に合うだろう。
     バデーニはすっかり呆れ果てた様子だ。
    「映画みたいなことやらかして、たった七、八時間の延命か」
    「それでも、ちょっとでも長く、一緒にいたかったんです」
     バデーニの手が、オクジーの背中に回る。大人の男が人前で抱き合っている状況など異常にもほどがあるというのに、バデーニは咎めることをせず、ただ抱擁を受け入れていた。
     これからのことなど、考えたって仕方がないのかもしれない。何が起こるかなんて、きっと神さましか知らない。未来はどうしようもなく予測不可能で、再会の約束だって、突然の災害や不幸で果たされない可能性もゼロではない。だからこそ、何一つ後回しにはしたくなかった。
     そして、『これから』が『思い出』に変わっていく瞬間を、一つでも多く胸にしまっておきたいと強く願うのだ。
    「好きです」
     抱きしめても抱きしめても足りない。絞め殺すつもりか、と抗議の声が上がったので、泣く泣く腕の力を緩めた。
    「私も好きだよ」
     バデーニが笑う。その言葉は、春のぬくもりをたたえていた。
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