宿題が、めちゃくちゃ、出た。
ショウゴの話である。いつもはせいぜい英語と数学くらいなのに、今日は加えて古文と地理と家庭科まで出た。地理はあさって、家庭科は来週まで猶予があるが、英語と数学と古文は明日までに仕上げないといけない。今日は男プリに行けないかもしれない。二重の理由で項垂れているショウゴに、手伝ってあげると申し出たのはコヨイだった。
「まず片付ける順番を決めようか。すぐできそうなのを先にやろう。ショウゴ、どれなら早く終わらせられそう?」
「うー……ぜんぶ、わかんねえ……」
頭を抱えているショウゴから、宿題のプリントを取り上げる。英語と古文はB5サイズのプリントが1枚ずつ、数学は教科書の例題と基本問題をそれぞれ大問ふたつ解いてこいという内容らしい。
「この内容なら英語からやろうか。数学は最後にしよう。ショウゴ、がんばろうね。がんばれる?」
「子ども扱いやめろよ……」
むっと唇を突き出しているショウゴが乱雑に教科書とノートを取り出す。該当ページを開いて、むくれながら問題文を読み始めた。すぐに唸り出して、額を押さえている。まずは自分でやってみて、とコヨイが言うから、ひとりでがんばってみるようだ。シャープペンシルの先が迷ったり、止まったり。ショウゴが全部嫌にならないように適度に口を挟みながら、コヨイはショウゴの宿題を見守っていた。
それでも、全部ではなくとも、かなり嫌にはなってきているようだ。コヨイは、まだ1科目めも終わっていないのに、ショウゴがだれてきているのを感じていた。何か、報酬がないといけないのかも。コヨイは向かいに座るショウゴの、ペンを持つ手を覆うように握った。
「コヨイ?」
「ショウゴ、ちゃんと宿題終わったら、ごほうびあげる。だからもうすこし、ペース上げて解いていこう」
「……何だよ、ごほうびって」
ショウゴが頬杖をついて、コヨイを見つめる。そこまでは考えてなかったな。ショウゴが喜ぶことなら、何でもいいんだけど。ショウゴの手の甲を撫でながら、コヨイは考えた。
「……宿題全部片付いたら、キスしよう」
ショウゴが眉を顰める。「はあ? それがごほうびになるって、思って……俺がやる気出すって、思ってんのかよ」
「でも、するよね?」
「……」
ショウゴがコヨイから視線を外す。コヨイが最後にひと撫でしてから覆っていた手を離すと、ショウゴはまたペンを握り直して、黙々と問題に向き合い出した。言わないけど、キスはしたいらしい。かわいい子だな、と思いながら、コヨイはショウゴの教科書を開き、彼が躓きそうなところのヒントになる記述をチェックし始めた。
コヨイの力を借りて、なんとか英語が終わり、古文も片付いた。あとは数学の宿題さえ終わればショウゴはこの苦行から解放されるのだが、それがなかなかうまくいかない。
使う方程式の、理屈が分からない。だから、どれをどこであてはめればいいのかが分からない。もう最後の科目だしそろそろ終わるな、と踏んでいたコヨイは、ああでもないこうでもないと唸っているショウゴを前に、焦っていた。
やばい。俺が、もう、キスしたい。
もう全部解き方を教えて、答えを教えて、早く宿題を終わらせてほしいとさえ、コヨイは思っていた。悩みながらたまに唇にペンを押し当てるショウゴの、その唇から目が離せない。ショウゴが宿題と向き合っているあいだずっと、これが終わったらショウゴとキスをする、ショウゴとキスができるんだと思いながら彼を見ていた。徐々に気持ちは高まって、もう焦れて焦れて仕方がない。下を向いているから伏せられているまつげが、いつもキスを待つときのショウゴの顔を想起させる。目にかかる前髪にも色気が宿るようだった。今日のショウゴはなぜなのか、本当に解答に詰まらないとコヨイに助けを求めてこなかった。だからいつもコヨイがショウゴの勉強を見てやるときよりも時間がかかっている気がする。そこは俺が教えるから早く終わらせてくれ、と、思う時間が長すぎた。
「……ショウゴ」
「んー、ちょっと待って。なんかもーちょい、もーちょいで……」
「ショウゴ」
「うー……もしかして解き方全然違ってる?」
「ちがう。ショウゴ……」
「何? コヨイ」
「ごめん」
何度も自分の名前を呼んでくるコヨイのことを不思議がって顔を上げたショウゴに、コヨイは身を乗り出してキスをした。ペンが机に転がる音がする。ショウゴの唇を舐めて、自分の舌を甘く噛ませて、くちのなかで舌と舌を絡める。抗議するみたいなショウゴのくぐもった声が聞こえたけれど、それすらすこし、興奮する。むにむにと押しつける唇が気持ちいい。ショウゴって口ちいさいな、と思いながらショウゴの口内に舌を擦りつけていると、ショウゴがコヨイの肩を押して突っぱねた。
「お、お、おい……コヨイ、……ほんと、何してんの?」
唾液で濡れたショウゴの唇から、言葉が紡がれる。コヨイはまだ冷静な頭が戻ってはこなくて、すこしぼうっとしたまま、その唇を見つめていた。すぐにハッとして、ショウゴの目に視線を移す。
「……ごめん。我慢、できなかった」
俺が。コヨイは瞬きの回数を増やしながら、それでもまっすぐショウゴを見る。
「……いい、けどさ。別に。……でも」
ショウゴははあ、と息を吐いて、口を尖らせた。
「まだ宿題終わってないのに、ごほうび寄越して、よかったのかよ? ……じゃあ、宿題ぜんぶ終わったら、コヨイは今度は何してくれんの?」
ショウゴの瞳が、ぎらりと光る。挑戦的に上がった口角に、コヨイは思わずぞくりとした。
「……何、しようか? ……でも、そんな問題に躓いてるくせに、ショウゴはずいぶん、生意気だね?」
うるせえ、とショウゴは机の下でコヨイの脚を蹴る。コヨイはとんとんと教科書を指差しながら、解法は基本的にこの例題と同じだよ、と囁いた。ペンを持ち直したショウゴが、何かを掴んだように文字を書き進める。この問題が解けるなら、きっと次も解ける。終わるまで、本当に、あとすこし。
キス以上のごほうびを、1秒でも早くしたいと思っているのは、ショウゴも、コヨイも、同じだった。