空を見上げれば満天の星。
乾いた風が頬をなでるとどこか落ち着くような心持がした。
世界中のどこにいようと何年先の未来に居ようと空だけは変わらないものだな、と私は小さく息をつく。
「夜の散歩かい?」
不意にかけられた言葉に思わず私は体をびくりと震わせる。私としたことが、警戒を怠っていた。微笑みながらゆっくりと声の主の方へと振り向く。
「おっとパーシヴァルか。君こそどうしたんだい?こんなところで」
「いや、バーソロミュー……貴方がホテルを抜け出すのを見かけたから追いかけてきたんだ」
「私を?」
マスターの護衛として選ばれたものの一人とはいえ、海賊の行動に警戒するのは当然か。私が逆の立場であれば間違えなくそうする。騎士であれば猶更だろう。
「調子が優れないと言っていたそうじゃないか。気分が悪いとか体調がよくないのであれば無理をせずにいってくれ」
「うん?」
肩をがっつりとつかまれ、真剣なまなざしを向けられる。想定外の言葉に混乱をする。
「もしかして私を心配している?」
「えぇ。あまりアクティビティに積極的じゃない様子も見られたのでもしやと」
「はは!いやいや、体調に支障はないよ。今もただ外の空気を吸いたくなっただけだからね」
「ではただの散歩」
「あぁ、ただの散歩」
よかったと安心するようにパーシヴァルは屈託のない笑みを浮かべた。邪心がないとはこのことをいうのだろう。
「まさか身の心配をされるとは思ってもみなかったな。海賊なぞ人から疎まれる方が大抵のことだ」
「何を言ってるんだ。君も私たちの仲間だろう?何かあれば気に掛けるのが当然だよ」
さらりとそういってのける彼は心の底から善人なのだろう。人を疑うことを知らないのではないかと錯覚させられるほどだ。だがそれは私から見れば太陽の光を反射する海面のようにとてもまぶしく見えた。
「もしよければなのだけど、もうしばらくここにいてもいいかな?」
「空を見上げて潮風を夢想する男の隣でよろしければどうぞ」
ひらりと手を広げ会釈する。パーシヴァルの方も仰々しく礼を返すものだから、思わずお互いに笑いあった。そうして二人並んで空を見上げる。
「見事なものだ。異国の地で見る星というのも感慨深い」
「同感だ。旅先で見上げる星空ほど心躍るものはないよ。船乗りの血が騒ぐ」
「船乗りの?」
「あぁ、君は知らないかもしれないが、目印のない海の上で道なき道を見つけるために日中は太陽、そして夜は空に瞬く星を利用したんだ」
ほぉと興味深そうにパーシヴァルは相槌をうつ。彼は随分と外の世界に関心があるようで、このドバイに来る前にもいろいろと下調べをしてきたと言っていたことを思い出す。少年のように目を輝かせる騎士の姿を見てしまえば、ついつい興が乗るものだ。
「星の位置で方角や今いる場所がわかる。それに、おおよその時間を割り出すこともできるんだよ。まあ……今は難しいことを考えずとも楽に割り出せてしまうがね」
そう言って手に持っていたスマートフォンを振る。航海士たちが長年の経験や知識で割り出していたものが、GPSとやらは機械で計算してくれるらしい。
「すごいなそれは。貴方の知識に感服するよ」
「ふふ、このくらいは大したことでもないよ。生きるために必要なことだったからね」
「星といえば……たしか星座として名前を付け始めたのはこのアラブ地方の人々だったはず」
「ドバイのかい?」
「いや、厳密にいえばシュメール、メソポタミア。今でいうイラクのあたりだよ」
「ほう」
パーシヴァルはそこまでいうと少し逡巡するように、視線をさまよわせる。
「……エレシュキガルがいた土地だね。それに彼女の妹はイシュタル、金星の女神だと聞いている」
「金星というと明けの明星、宵の明星か。私にもなじみ深い」
エレシュキガル。パーシヴァルが言いよどんだのは彼女の名のせいか。マスターと彼女の『隠し事』については目下私たちの頭を悩ませている問題である。それでもマスターのことを慮り皆で楽しく過ごせるようにしたいと決めたのだから、私に対しても気負わないようにさせたいと気を使っているのだろう。
「ほかにも星を司る神がいるのだろうか?もしかするとまだ見ぬメカクレの美しき人がいるやもしれないね!ぜひとも彼女たちから話を聞かなくては!」
「その勢いで行ったら驚かれてしまうんじゃないかな」
「ふむ。それもそうだ。慎重に行こう!だがロマンのある話だろう。宝物に出会える可能性があれば海賊は熱くなるってものさ!」
私の熱弁に気圧されてか、パーシヴァルは苦笑いする。気を使う必要のない相手だとわかってもらえれば、彼も多少は気が楽になるだろう。マシュと共に自然とリーダーシップをとっているが、二人とも自分の身を使って守ることを念頭に置いているからどうしても抱えこもうとするきらいがある。騎士というものはそういう性質なのかもしれないが。
「君だって夢やロマンをもってるだろう?このドバイの美食を端から端まで食べつくすとかどうだい」
「ははは、それができたら楽しいね。あぁ……でもその、貴方は私を大食いだと思っているようだがそこまでではない。おいしいものはついつい食べてしまうけれど、どちらかというと自分よりも皆にお腹一杯になるまで食べてほしい、そう思っているんだ」
冗談交じりで尋ねればパーシヴァルは恥ずかしがるように歯切れの悪い言葉を吐いた。彼に山盛りの食事を施されていた施しの英雄カルナの姿が浮かび、思わず笑う。
「そうか、よく覚えておこう。まぁ、食べ物は別としても土地の歴史や文化にも興味あるんだろう?知識欲というのかな。ドバイの話をする君は楽し気だったからね」
「あぁ、そうだ。恥ずかしいことだけれど、私は無知だと自覚している。少しでも多くのことを学びたいんだ」
”清き愚か者パルジファル”そんな呼ばれ方をされていたとも耳にしている。自分に足りないものを自覚し得ようとするどこまでもまっすぐで真面目な男だ。それを愚かといえようか。皆から慕われるのも彼の人となりからすれば当然のことだろうな、と私は思った。
「恥ずかしいことではないさ。そうやって真摯に学ぼうとする姿勢は実にすばらしいものだ」
「ほめるのがうまいな、バーソロミューは。ありがとう。自信が持てたよ」
素直さを絵にかいたような笑顔をパーシヴァルは私に向けた。礼を言われるとは思わず、驚いてしまったがはにかんでごまかす。彼の悪意や欲望のにじむことのない言葉で、漠然とした不安でさざ波だっていた私の心が少し凪いでいくようにも感じた。海賊の勘などあてにならない方がいい。心配性の私の杞憂で終わるのが一番だ。
「礼を言うのは私の方からもだね。ありがとうパーシヴァル」
「ん?私が礼を言われるほどのことはしていない気はするけど、どういたしまして?」
「フフフ。そういうところも含めて君のいいところだ」
細やかさは少々かけるようにも見えるが、気遣いを自然とできる人間は好ましい。