夢みたいな現実/シャリエグあの日から六年の月日が経った。
変わったもの、変わらないもの。そんなものがたくさんある。変わったものの中で一際大きなことと言えば、シャリアとエグザべの関係性だろう。
世界が落ち着きを見せ始めた頃、シャリアがエグザべに提案したのは「家族にならないか」ということだった。遠ざかる記憶と周囲への羨望。本人も自覚していなかった感情を察したのは、同じくそれを持たないシャリアだった。もっとも、シャリアには初めからその記憶とやらはないけれど。それでも、自身もそれを感じたことがないといえば嘘になる。ふとした時に感じる孤独。それを互いに埋め合わせることが出来たら。――否、埋め合わせる相手はきっとエグザべしかいない。そうであって欲しい。そう思う理由には、在り来りな言い訳を並べて。
一仕事を終え、翌日は休み。そんなタイミングで食事に誘った帰り道、シャリアはエグザべに話を切り出した。
「…有り難い申し出ですが、お断りします」
「理由を聞いても?」
「……僕ではあなたの家族にはなれません」
ふる、とエグザべが首を振る。本物を知っているエグザべからすれば、まともに取り合うことも出来ない話だったのかもしれない。そも、自分はエグザべが家族を喪った原因の一部でもある。確かにどうかしていた。そう思って、「分かりました。忘れてください」と口にした直後だった。
「違うんです。僕が、あなたのことを家族して見ることが出来ないから」
シャリアのコートを握る手はいつかの出撃前のように少しだけ震えていた。その手を上から包み込んでエグザべの名前を呼ぶ。
「…それは、私が上官だからですか」
「………いいえ」
「では、私が君の家族を――「っそれも違う!」……」
「…僕があなたを愛しているからです。……ごめんなさい、中佐」
するりと抜け出した手を慌てて掴む。俯いたエグザべの表情は見えなかった。鼻をすする音が聞こえて、シャリアはギクリとした。あの時からエグザべの涙にとんと弱くなってしまったのだ。成人かつ軍人であるエグザべが涙を流すことは早々ないのだが、感情の昂りが一定値をこえると自然と涙が出てしまうらしい。お恥ずかしい限りです、と笑っていたことを思い出した。
いや、今はそんなことを懐かしんでいる場合ではない。掴まれていない方の手で目元を擦っているのを止め、ポケットから取り出したハンカチを押し当てる。もしかすると位置が違ったかもしれないが、見えなかったのだからそれは許して欲しい。
「ゔ、」
「泣かないでください。君に泣かれると私はどうしたらいいか分からなくなる」
「、ごめんなさい…」
「ああいや、謝って欲しいということでもなくて…」
どう伝えたら良いものかとシャリアは両手が塞がったまま思案する。エグザべが正直に伝えてくれたのだ。であれば、それに対して誠実に応えるべきだろう。『家族』なんて言葉で誤魔化して側にいようとした自分の情けなさが身に染みる。ふ、と自嘲して、掴んだ手を握り直した。エグザべの手が驚いたように跳ねる。
「エグザべくん」
「……嫌、です」
「聞いて」
やや強引に距離を詰め、こつりと額を合わせる。
ひく、としゃくり上げる姿を場違いにもかわいらしいと思ってしまった。
「私もね、貴方を愛しているんです」
「……嘘だ」
「いいえ。嘘ではありません。…『家族』という言葉で誤魔化してまで側にいたいと思っていたんです」
「………」
「信じて欲しい。私は一生貴方の側にいられる、大義名分が欲しかったんです」
「……だから家族に?」
「ええ。情けないと笑ってください」
「…笑いませんよ」
視界がぼやけるほどの距離でシャリアとエグザべの視線がぶつかる。涙で潤んだ瞳が瞬きをする度に宝石のように輝いた。
「…あの」
「はい」
「もう一度言ってくれませんか」
「何……、…良いんですか?」
こくりと今度は縦に首が動く。そのきらきらと輝く瞳に何度だって惹かれるのだ。
「エグザべくん。どうか私と家族になってくれませんか」
「…喜んで」
小さくそう答えたエグザべの肩をシャリアが抱き締める。足元に落ちたハンカチにエグザべが小さく声を零したけれど、今、そんなことはどうだって良かった。シャリアがエグザべの後頭部を撫で、自身の肩口へ押し付けると少しの戸惑いのあと背中に腕が回る。ぐり、と押し付けるような仕草に愛おしいという気持ちがじわりと広がっていく。
「僕、きっと重いですよ」
「心配ありません。私の方が重いですから。……実はね、君宛の縁談もいくつか来たことがあったんです」
「……もしかして、」
エグザべがシャリアの肩から顔を上げる。真横にいるシャリアとは目が合わない。ややあって、気まずそうに口を開いた。
「すみません。私の独断で断っていました」
「中佐…。断るのは構いませんが、一応教えてください」
すみません、ともう一度繰り返したシャリアの背中をエグザべが軽く叩く。
「どうせ結婚するつもりはなかったですし、断っていただけていたのは正直助かりましたから。断った相手と職務上接する機会もあるかもしれないでしょう?後でどなたか教えてくださいね」
「…………」
「中佐?」
「…分かりました」
ずっと抱き締め合っていた体を離す。
改めて目を合わせ、エグザべは差し出された手に自身の手を重ねた。
「エグザべくんさえ良ければこのままウチへ来ませんか」
「…良いんですか?中佐はその、私宅に他人を招かないって」
「他人は招きませんよ。君は先程、他人では無くなりましたから」
エグザべが嬉しそうにはにかむ。
「じゃあ、お邪魔したいです」
「ええ。どうぞ。君ならいつでも」
こうして上司と部下から新しい関係性を得た二人。今では帰る家は同じになり、それぞれ揃いの指輪をどこかしらに身に着けている。
「少し幼く見えますね」
随分と短くなった襟足に指先で触れながら、シャリアはそう呟いた。
「気に入りませんか?」
「まさか。どんな君でも愛していますよ」
ちゅ、と口づけが落とされる。くすぐったい。気障な仕草が様になるのは、きっとこの人だからだろう。エグザべはそんなことを思いながら口づけを受け入れる。
「シャリアさん」
「はい」
「明日の朝、遅いって知ってますよね」
「ええ、それはもちろん」
今度はエグザべの方からシャリアに口付ける。シャリアの腕を引っ張って、二人揃ってベッドへと倒れ込んだ。
「っと、…危ないですよ」
「平気でしょう。あなた、未だに現役なんですから」
いたずらっ子のように笑うエグザべに、シャリアが溜息を吐く。するりと身体をなぞる手にエグザべが呼吸を震わせた。
「……エグザべくん」
「はい」
「全部見せてくださいね」
返事をする前にシャリアがその口を塞ぐ。
ぱちん、と消えた照明。その後のことは二人しか知らない。