浅観音探偵事務所 零話「威血頭にも美術室があったのは、ご存じですか?」
そう切り出したのは、魅那斗會にこの春、加入したばかりの阿久太郎という後輩だった
「……?」
拳一郎は聞かれている事が分からなかった
「一昨年に下の階の化学室が原因で真っ黒になった、と聞いたが」
阿久太郎の問いに「確か旧校舎の3階、だったよな」と、傍で一緒に聞いていた満邦が答えた
「……ええ、そうなんです」
満邦が答えた事に眉間を寄せたが、阿久太郎は続けた
「その事件から旧校舎は全面立ち入り禁止になりましたよね」
拳一郎の興味を誘うように、ゆっくり話し続ける
「でも、威血頭の生徒がそんな事で"侵入しない"なんてあり得ません」
「ぬぅ……」
「そういえば、旧校舎のボヤが消されたのは夜中の2時頃……」
確かに、前から旧校舎では夜中に出入りがあった
原因としては、生徒だけが知っている、簡単に開いてしまう1階の鍵の壊れた窓だ
「可能性として、またいつ"放火"があるとも限りませんから、今晩でも見回りに行きませんか?」
にこり、と人好きのする表情を作り、阿久太郎が拳一郎に微笑みかける
「うぬぅ……」
拳一郎は、その視線に呆れながら、ため息混じりに頬をポリポリと掻いた
△△
夜も更けて旧校舎に11時
阿久太郎と拳一郎、そして満邦が集まった
「夜の校舎を探検する日が来るなんて、入学した頃なら考えもしなかったな! 拳一郎」
「うむ」
まるで、遠足で集まったかの様な態度の拳一郎と満邦は楽しそうに笑う
「なんで、総長まで……」
不機嫌さが声に出てしまった阿久太郎は、拳一郎の裸足ばかり見ている
「俺も一緒に聞いてたんだから、除け者にするなよ」
普段の凛々しい眉毛を下げて「さみしいだろ?」と、それでも笑って言った
△△
花壇だったろう土を跨ぎ、鍵の壊れた窓を開けて侵入する
懐中電灯の持参は確認せずとも、3人が持ち合わせていた
「月明かりや街灯じゃ、やっぱり暗すぎて見えやしないな」
「光が届かないからこそ、旧校舎に侵入者が後を絶たないんでしょう」
廊下に落ちる闇の中にカチッ、カチッ、カチとスイッチ音が静かに響く
その場で満邦が心許ない細い明かりを廊下、天井、掲示板、教室のドア、と順に光を当てると、ここはどうやら調理室前だった
当たり前だが、旧校舎のブレーカーは落ちたままにしてある
明かりをつけて回れば、不法侵入の意味がない
「上への階段はこっちですね」
阿久太郎が率先して、拳一郎と満邦を先導する
「む?」
3人は階段へ進もうとしたが、拳一郎が脚を止めた
「どうしました?」
阿久太郎は振り返って、立ち止まる拳一郎を待つ
「……黒く小さい影だ」
「ああ、俺も見えたよ」
「階段を上がった様に、……」と、満邦が暗闇を見定めるように睨み付ける
動くモヤは暗闇の中でさえ見えるほどに黒く、素早く動いた
人の形だった
「なんだ! 七不思議、知ってるんじゃないですかぁ!」
急に腹を抱えてゲラゲラと笑い出したのは阿久太郎だ
「旧校舎の黒い影、威血頭の七不思議だ!ってクラスのヤツが噂してましたよ」
阿久太郎はふたりに「それが、見えたんですね?」と、聞いた
「じゃあ、美術室がないのもご存じでしたか?」
△△
美術室がない
正しくは、燃えて跡形も美術室だった痕跡がない、という事だ
「でも、現れるんですよ」
「一緒に燃えた美術の教師と共に、ね」と、阿久太郎が口の端を吊り上げて、続ける
「今時、女子高校生にストーカーなんてニュースにもなりませんけど、威血頭にもそういう話があった、って事みたいです」
阿久太郎は「なんて言うんですか? 悲恋? 何度かモデルになったくらいで絵と一緒に心中だなんて馬鹿バカしい……」と、呆れているのかため息をついて、言う
「黙っていた、とは言いませんが、事は次いでです」
「僕たちで確かめに行きましょう?」と、吊り上げた口端を深めた
「嘘だと言う事を確かめに」
阿久太郎はオカルトを"嘘"だと決め付ける人間だった
△△
美術室を出現させるには、条件がある
3人は、上がる為の階段を目の前にして立ち止まっていた
「今から上がる階段は12段ありますけど、最後の段は13と数えてください」
もちろん「1階から3階に上がるまでの全ての階段をです」と、愉快そうに阿久太郎がクスクスとまた笑い始める
満邦はすぐに気付いた
「それは儀式だ、止めた方がいい」
暗闇で階段を数えながら上る事を繰り返す
"繰り返す"という事が良くない
「……総長は意外と信心深いのですね」
「ただの"階段の怪談"じゃありませんか」と、阿久太郎はずっとクスクス笑っている
「拳さんは、"嘘"だと思いますよね?」
阿久太郎は最初から拳一郎を"オカルトを信じない人間だ"と思い込み、決め付けていた
「うぬ」
拳一郎はどちらでもない返事をした後「いち」と、大きく一歩を踏み出し、階段を数え始めた
△△
「「じゅう、さん」」
3人は、階段を3階まで12段目を13段目として数えた
「全ての階段を13と数えて上ると、すでに変化があるらしいんですけど……」
勝負などしていないのに「何もありませんよね」と、勝った様に言う阿久太郎は次の手順を踏もうとしている
だが、満邦には視えていた
奥からひとつ手前のドアに、闇で出来た人間の形がユラリとしながらも、つっ立っている
「そのドアを開ければ、いいのかな?」
満邦は影にないはずの表情を読み取り、"女子生徒"ではないか、と推測する
何故ドアを開けられないのか、までは測れなかった
「はあ?! まずは塩で霊の道を塞ぐんでしょお!」
影が視えていない阿久太郎は、マニュアル通りの手順に従わなければ何も解決出来ない
検証するだけが"嘘"だと判明させられる
満邦に勝手な事はしてほしくなかった
「塩なんて撒くな! 効くわけないだろ!」
阿久太郎が口調を荒げた分、満邦も「この影は、そういうモンじゃないんだ!」と声を荒げた
影が立ち止まるドアを満邦がガラリ、と開ける
開けた先に広がるのは焼けて炭色の床と天井
それに反して四方を囲む壁に飾られた、焼けた痕跡のない幾つものキャンバス
キャンバスにはどれも同じ"男"が描かれている
△△
どのキャンバスにも描かれている"男"
それは満邦に似ていた
「っ!!」
阿久太郎は驚いた
ドアをガラリと開けた瞬間に満邦は消え、代わりである様にキャンバスに満邦が現れたからだ
「一体、どういう事なんだ……」
全ての壁を埋めるように掛けられたキャンバスから満邦が、阿久太郎の心を覗くように見ている
自分の目を疑うも、目の前であり得ない事は起こっていた
否定するはずだった現象に膝が震えそうになる
「……拳さん、僕は今なにを見ているんですか?」
阿久太郎は真っ黒な美術室の奥を見る拳一郎の学ランを、すがるように無意識に握っていた
「うむ……」
拳一郎は美術室の奥を、じっと睨み付けている
△△
美術室の奥の影は、拳一郎たちに目も暮れずイーゼルを広げる
フワフワと影は、準備が出来たとドアの前の影を手招きした
イーゼルにはキャンバスではなくスケッチブックがコトリと立て掛けられる
あ、……ぉい、あ、ぇ……
「ィヒイっ!」
阿久太郎は手招く声に、短い悲鳴を上げた
えぃ、……お、ぃい……ぇ
スケッチブックを広げた影は、もうひとつの影がイーゼルの前に来るまで手招きを続ける
影が影をモデルに描こうというのか?
「……」
拳一郎は、すがる阿久太郎に構わず手招く声のスケッチブックに近付く
二つの影に構わず、イーゼルに広げられたスケッチブックを拳一郎は奪う
ページをパラパラと流し見るが、キャンバスの満邦のような"男"は描かれていなかった
では、何が描かれていたのか
「……顔がない、な」
あまり写実的ではないが、デッサンもあれば静物もある
だが、人間は全て首から先の表情がない
この影は何故顔を描かないのか
影の考えている事など分からない
理解に苦しい気持ち悪さから、拳一郎はスケッチブックを使えないよう真っ二つに割いた
△△
ヒィヒイァァアギャアァァアァッ!!
割かれたスケッチブックに悲鳴を上げる絵描きだったろう影が拳一郎に襲い掛かる
パンッ!!!
まるで影を蚊であるかのように叩いた
影の悲鳴より大きな手を叩く音は、人間が当たれば打撲だけでは済まないだろう
霧散した絵描きの影
キャンバスのひとつからゴトリと満邦が落ちてきた
「!!」
音に驚いた阿久太郎は、また何が起こっているのか分からなくなった
△△
炭色の床、天井、壁、月明かりの入る歪むガラス窓
キャンバスから満邦が落ちてきた瞬間、壁を埋めるキャンバスは幻に変わった
「いたた……」と、尻もちをついた満邦は痛がるフリをして立ち上がる
「拳一郎、ありがとう」
脱出出来た事にサクッと礼を言い「さて、……君はどうする?」と、モデルであったろう影を満邦が視やる
霧散していく影は安堵した表情をしている、気がした
「……影は消えたけど、改めて来る必要がありそうだ」
△△
顛末から言えば、旧校舎の美術室に黒い影は現れる
だが、化学室のボヤ、美術教師の無理心中からではなかった
満邦が言うには、残留思念や生き霊の類いが今回の黒い影の正体
ネガティブな色をして美術室に既に存在していたのを七不思議に仕立てられたのではないか、と推測した
「コンプレックスの強い生徒だったらしい」
校医や当時の担任から聞いた話は「顔に大きな傷があって、ソレをからかわれていた様なんだ」と、満邦は続ける
「威血頭じゃ、傷は箔付きなモンだから随分と困っていたみたいだ」
「では、何故美術室に?」
阿久太郎が「というか、どっちの影の話なんですか?」と聞いた
「どちらの影、というか、どっちも、というのか……」
満邦は「言っただろ? からかわれてたんだ、って」と少し言葉を選びながら返す
「手招きしていた影は本当は自己主張したい彼女で、ドアが開けられなかった影はソレを恐れて行動出来ない彼女」
説明する満邦の想像でしかないが、話し続ける
「心が別れてしまったというのか、な? 黒い影は本当はひとりだったんだよ」
元々、スケッチブックは教室に隠されていて、好きな時間に描いていたんだろう
「自分の顔にしろ、描いた絵にしろ、好奇な目に曝されている気がして、自分も苛める側だったら、なんて考えて……多分、それで全部、嫌になって燃やした」
顔のない人物像は、特に彼女のコンプレックスを表している様に思う
目も無ければ、口も無い
他人、自己の両方の評価を気にし過ぎている
「だから、手招きする影はスケッチブックを拳一郎に割かれると悲痛に叫んだ」
「自分の存在証明になるモノを否定された、って事ですか?」
ゆっくりと、丁寧でもないが考えながら満邦は阿久太郎に説明した
「多分、俺たちが肯定してやれば素直な影だったかもしれない……」
頭を掻きながら「まあ、拳一郎が無理矢理消してしまったのだけど」と、満邦は笑ってみるが口は苦い
「……なんだよ、ただただメンヘラの迷惑行為から、だったんじゃないか」
もしかしたら、影の顔はもっと穏やかになったかもしれない
「悲恋のロマンは欠片もなかったな」
満邦はそう唸った
△△
「そういえば! キャンバスに閉じ込められてましたよね?!」
阿久太郎が「アレはどう説明するんですか?!」と急に大声になる
「実際に、閉じ込められたわけないだろ」
満邦は「俺はイーゼルの前に、見えなかっただけでソコに居たよ」と平然として言う
ただし、キャンバスの幻は3人に視えていた
「多分、黒い影とは別の怪異だな」
「え?!」
「拳一郎の手を叩く音でボーッとしていたのが急に晴れてコケたから、ドアを開けた瞬間から怪異の術中にいたんだと思う……」
恐らく、階段の最後の段を"13"と"繰り返し"数えたのが原因だろう
「"階段の怪談"って、冗談だとばかり……」
これに懲りて、オカルトを実践するのは止めておいた方がいい
満邦が阿久太郎に今、掛けられる言葉はそれだけだった
△△
旧校舎の怪異は美術室だけではなかった
数年後、肝試しと称して満邦の弟、真宝は幼馴染みの荒仁、魅那斗會の仲間、座布と駒男と共に旧校舎の階段を「じゅう、さん」と皆で数えて3階まで上がるのだが、それはまた別の話