その男の考えていること そうだ、あの人にとっての特別が誰かなんて、そんなの分かり切ってる。俺じゃない。俺じゃなれないんだ。そういうむなしさが溜まりに溜まって、ついに、溢れたらしかった。
「…どうせ貴方には敵わないので」
口にしてからしまった、と思った。言われた相手―黒い髪をハーフアップにしおろした毛先をはねさせている大柄な男、つまり夏油傑先生は、きょとりとまばたきをした。純粋な驚きばかり浮かんでいるその顔に別の感情が乗る前に言い訳をしたくて、だが何も思い浮かばず、とりあえずと「ちがうんです、先生」ともごもご言ったあたりで、第三者の声が廊下に響く。俺はぎょっとした。今、一番聞きたくない声だったからだ。
「恵」
シン、と冷えた声が、それでもよく聞き覚えのある人の声だと、いやでも分かった。子供のころ、たくさん聞いた声だから。高専に入った今でも、めぐみ、めぐみ、としょっちゅう呼んでくる声だから。それと、俺が欲しくてたまらないけど、俺のものにはならない声だから。
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