「ぜんぜんそういうのじゃねェんだけどさ」
燐音は組んだ指越しにじっと藍良の目を見た。燐音のその真剣そうに見える仕草に続く言葉は大抵が碌でもないのだということを、藍良はすでに学んでいた。
「一彩のモノを口に含みたい」
「はぁ〜〜〜、今日は何が来るかと思えばこれだよォ……」
ナッツとブラウニーがたっぷり乗ったチョコレートパフェをつつきながら、深くため息をつく。燐音はさっさと体勢を崩して「いやいや」とまだ何も言及していない藍良へ言い訳を始める。
「ちげェのよ、フェラとかじゃなくて」
「カフェでそーゆー単語出さないでくれます〜!?」
「ちげェくて、気持ちよくさせたいとかじゃなくて、口に含みてぇの。わかる?」
「わかりませ〜〜〜ん」
「オイオイ、パフェ代の分はしっかり話聞いてもらうぜ藍ちゃん?」
「話は聞くけど同意はしません〜。燐音先輩とはお金だけの関係なんで」
「おめェこそカフェでそういうこと言ってんじゃねェよ、俺っちが誤解されンだろ」
スプーンの先を口に入れたまま、藍良はふん、と鼻を鳴らした。こうして食べ物で自分を釣ってしょうもない話を聞かせてくるときの燐音は怖くないし、多少生意気に振る舞っても見逃してくれる。一度や二度ではないこのお茶会で燐音の態度が分かってくると、藍良も早々に緊張と畏怖を捨てた。
燐音はたまに、藍良を呼び出して(大抵甘いものを引き合いに出される)だらだらとした会話に付き合わせる。その内容のほとんどが、猥談である。
「目に入れても痛くねェ、腹に入れても苦しくねェ弟のよォ……あ、腹に入れてもっつうのは俺っちがソッチ側っつうことじゃなくて」
「はぁ〜〜〜〜」
「とにかく口に含みてえンだよ……そのあとどうするとかじゃなくて、ただ口に含んで愛でたい」
「それさァ、されてる側はどうなの? 咥えられたままじっとしてるわけ?」
「あ? そりゃあ、あー……」
燐音は藍良の顔の横にぼんやり目をやった。それから片手で目元を覆った。
「…………」
「…………」
「…………」
「うわあ、この人弟で想像してるよォ……」
「いや違う! ほんと、ほんとにそういうんじゃねェの、わかるっしょ?」
「わかりませ〜〜〜ん」
「今のは藍ちゃんが悪ィだろ!? 俺っちは純粋無垢な夢の話をしてたっつうのにさァ〜〜〜」
「どこが!? っていうか、燐音先輩はとっくにもう否定できる段階にいないからねェ??」
「あ? 何を」
肩肘をテーブルに乗せて体を傾けていた燐音の眉間にスプーンの先をびしっと向ける。
「ヒロくんへのそーいう気持ち」
「無ェって」
燐音はスプーンの先をつまんで藍良の手から取り上げた。藍良のチョコレートアイスを遠慮なく削ってそっぽを向きながら口へ運ぶ。
「あいつは俺のかわいい弟。それだけだ」
「こないだはチューブ蜂蜜をヒロくんの舌の上に絞り出して食べさせたいって言ってましたよねェ?」
「兄としての正常な欲求だろうが」
「その前はええと……ヒロくんの抱き枕になりたい?」
「一彩が抱いて寝るぬいぐるみになってあいつの体温を移されて同じ温度になりたい、だろ」
「ぜんぜん胸張って訂正できるような内容じゃないから!」
燐音がパフェに刺して返したスプーンに手を付けずに藍良は燐音を詰めた。人の恋路を応援したいとかそういうお節介心は無い。ただ燐音の包みに包んで捻くったような欲求を何の進展もないまま毎回延々と聞かされている身としてはそろそろ色々と溜まっているものがあるのだ。
「変に遠回しな言い方して誤魔化そうとしてるだけで、本音はヒロくんと恋人みたいなことがしたいっていうの見え見えだから! 素直にキスしたり抱き合ったりしたいって言えば?」
「言えるわけねェって、お兄ちゃんとお付き合いしてください〜ってか?」
「言ってフラれるなりしたほうがマシなんじゃないんですか? いつまでもこーやってオレ相手に謎妄想語ってるつもり?」
本音について燐音が否定しなかったので、自分の予感が的中したと踏んだ藍良はそのまま言い募った。燐音はハァ、と静かなため息を吐く。
「フラれねェから駄目なんだろうが……」
「ええ、なにその自信……」
燐音の態度を奥手ゆえだと思っていた藍良は予想外の言葉に面食らった。燐音はテーブルに肘をついて片腕で頭を抱えた。
「あの弟くんだぜ? 『兄さん愛してるよ! えっ兄さんも? ウム! それじゃあよろしくお願いするよ!』ってとこだろ? 俺が自制しなきゃ俺たち多分キスハグどころかどこまでも行くぜ?」
「いやいや……さすがのヒロくんも嫌なことは嫌って言うでしょ」
「なんで嫌なのが前提なんだよ」
いやいや……と藍良はスプーンをくるくる捻った。話始めは燐音のほうがいやいや言っていたのに、逆転である。
「ヒロくん変なところで頭固いしさ、『兄さんとそういう関係になるのは正しくない』とかって突っぱねるんじゃない?」
「いーや、無い。一彩は受け入れちまう」
「あのさぁ、そりゃ燐音先輩のほうがヒロくんとの付き合いは長いだろうけど、オレだって同じユニットメンバーなんだよ? ヒロくんのことは……」
「キスした」
顔を半分覆った指の隙間から燐音の目が覗く。藍良は「えっ?」と頓狂な声を出した。
「一彩とキスした」
「……まじ??」
藍良は手を膝に揃えた。声を低くして尋ねる。
「それは……どういう流れで」
「酔った流れで、『お兄ちゃんとキスしよ〜』って言った。そしたら、あいつがした」
「一応聞くけど、ほっぺたとかじゃないよねェ?」
「ガチ唇。マジのやつ」
「はぁ〜〜〜〜〜……」
藍良は天井を仰いだ。それなら話は違ってくる。
「それは、行くかも……」
「っしょ? 行くっしょ? どこまでも行っちまうんだよ」
「どこまでも、はわかんないけど……それは、うん」
「だから俺っちが自制しなきゃいけねェんだよ。健全な兄弟関係を保つためにも……」
「そこは一応保ちたいんだ、燐音先輩が思ったよりまともで良かったかも」
「俺っちはずっとまともだろうが」
燐音はため息を吐いて、自分のドリンクを飲み干した。薄いアイスティーがカランと底を鳴らす。