それは大したことのない贈り物サルカズという種族は強靭な肉体を持っている。
もちろん全員が全員というわけではないが、それでも他の種族と比べれば割合は多いといえるだろう。
とはいえ、だ。
サルカズも人間という生き物である以上、源石病が原因ではなくとも、体調不良を起こすのである。
「くしっ」
うん?、と私は思わず首を捻った。
今はとある作戦の準備段階。
オペレーター達を配置位置へ向かわせ、自分は安全地帯でドローンを使い様子を見ている。
とはいえここも戦場であることは変わりないため、護衛にエンカクを待機させている。
他にも支援オペレーターは何人かいるが、機材の確認や、医療器具の準備で少し離れた位置にいる。
つまり、エンカクと2人きりと言えるだろう。
そんな中で自分のものではない、くしゃみのような音が、冷たい風が吹く中で響いたのだ。
恐る恐る、振り返りエンカクの顔を確かめる。
「…なんだ。」
そこには普段と変わらない、すました顔のエンカクが立っている。
顔どころか鼻も耳も赤くない、風邪なんて引いていませんという表情だ。
この男のことだ、そう簡単に風邪を引くわけはないだろう。
それでも絶対に引かないという保証はない。
戦闘中は仕方ないと言えるかもしれないが、このような待機中で風邪を引かれてしまったら…。
エンカクに対してなんでもないと答え、秘密裏に対策を練ろう、と頭の隅でメモをとった。
「対策、と言ってもなぁ…。」
作戦も終え、ロドスに帰ってからの業務も終え、夕食の時間もとうに過ぎ去った後。
書類提出の帰りにとぼとぼと、誰もいない廊下を歩きながらぽつりと呟いた。
基本的に風邪というのは免疫力が落ちている際に、外的要因やウイルスなどの侵入によって引き起こされる症状である。
ゆえに免疫力が落ちないように対策をうつことが手っ取り早い。
よくある手段としては食品で対策することだろうか。
しかしこの手の話でエンカクに振ると確実に、大きなブーメランとして自分に返ってくるのは目に見えている。
では、サプリメントや栄養剤の摂取はどうだろうか。
はたまた注射や点滴もいいかもしれないと思った辺りで、とあるフェリーンの少年やブラッドブリードの女性の顔がよぎる。
うん、事故や事件に繋がりかねないと思い直し、先ほどの案は脳内でシュレッダーにかけた。
他に対策方法は…と考えはじめたところで、前方から誰かの足音が聞こえてくるのに気づいた。
「まぁ、ごきげんようドクター。」
優雅にお辞儀をしてくれたのはバイビーク。
青紫と白が基調の、ドレスのような装飾のワンピースを着た、リーベリの少女だ。
「こんばんは。もしかして裁縫室帰りかい。」
「はい、そうなんです。つい熱中していたらこんな時間になってしまって…。」
がさりと、バイビーク両手で支える紙袋を抱え直す。
彼女の趣味…もとい生き甲斐は裁縫や服のデザインだ。
おそらくその紙袋の中は服の素材や図面が詰め込まれているのだろう。
「ドクターはお仕事でしょうか。遅くまでお疲れ様です。」
「気遣いありがとう。まぁ仕事もあるけれど少し考え事もしていてね。」
「考え事、ですか?それは私でもお手伝いできるようなことでしょうか。」
バイビークは優しい微笑みを浮かべて尋ねる。
大した内容でもなかったので、掻い摘んで話すと、意外にも彼女はすぐに回答を返してくれた。
「それでしたら、防寒具はいかがでしょうか。」
「防寒具?ああ、体温を保つことで免疫力を維持するという方向性か。」
それは案外いいかもしれない。
服ならどんな状況下でも柔軟に対応できるし、ロドスの技術局に協力を頼めばそれは良いものが出来上がるだろう。
早速バイビークにお礼を言って、準備に取り掛かろうとしたのだが。
「せっかくなら、ドクターもお裁縫してみませんか?」
キラキラとした大きな瞳で見つめられ、私は身動きがとれなくなった。
更には片手をがっしりと握られていて、簡単には逃れられそうもない雰囲気だ。
「あー…、その提案はとても魅力的だけど、私は不器用だから君を困らせてしまうと思うな。」
「大丈夫です、マフラーなら少し練習すれば子供でもできます!」
どうやら既に退路は断たれているらしい。
服の採寸をさせてほしいとか、そういったお願いをされたことはあるが、まさか作り手側に誘われることになるとは。
自室へ戻るはずだった2つの足取りは、くるんと方向を変え、裁縫室へ歩みを進めていくのだった。
**数十分後、裁縫室前の廊下**
「おや…?こんな時間でも明かりが?」
その日の仕事を終え、キアーベのお世話係も終え、やりかけだった裁縫仕事を少しだけ、と思ってアオスタは裁縫室を訪れた。
裁縫室は大抵、昼間に利用されることが多い。
そのためか、夜遅いこの時間帯に明かりがついているのは珍しいのだ。
よほど熱中しているのか、盛り上がっている声も扉越しに聞こえてくる。
一体誰が、と思い部屋の中を覗いてみれば、常連のバイビークと、ほぼ初めての来訪だろうドクターが机の前で盛り上がっていた。
あれもいいこれもいいと話していることから、何かのデザインか生地で相談しているのだろうか。
意外な組み合わせに内心驚きながらも、ひょい、と覗いてみると。
「な、なんですか、これは…っ。」
悪趣味、という言葉をアオスタは寸のところで飲み込んだ。
蛍光色のオレンジベースに赤と緑が混じり合い、青と黄色と白がアクセントで散らばる。
ペンキをひっくり返したようなデザイン画が、ああでもないこうでもないと色んなパターンで机一杯に広がっていた。
「やぁアオスタ、こんばんわ。ちょっと今マフラーのデザインを考えていたんだ。」
「ま、マフラーですか…。」
ぐるりと机の反対側へ向かい、散らばったデザインをいくつか見るが、奇抜としか言いようがないものばかり。
月が浮かんでいることからおそらくはオレンジの夜空だろう、そこに謎の人々が薪を囲んで踊るデザイン。
オレンジの下地に、様々な色の模様がいくつも重なり合い、謎の紋章が浮かび上がっているデザイン。
バイビークの悪い癖である、要素の盛りすぎだけが原因とは言えない、異様なデザインだ。
おそらくはドクターの思いつきや斜め上からの提案が混ざった結果なのだろう。
…もしやこのドクター、理性がないのでは?
誰のためのマフラーなのかはわからないが、こんなデザインのものを渡されて喜ぶ人などいないのではなかろうか。
「ちょっと落ち着いてください、2人とも。」
哀れな被害者を出さないためにも、アオスタは2人の会話を遮った。
そして、どういう目的でこのようなデザインを考えているのかを聞き出して、頭を抱えそうになった。
あのサルカズの贈り物に、このデザインのマフラーを?
目の前で八つ裂きにされるか燃やされるのでは?
「いいですか、所謂夜中のテンションで制作されたものは、目的からズレていることが多いです。ですので日を改めましょう。そして僕も協力します。」
今更制作を止めることはできないだろう、ならばせめて軌道修正をするしかない。
ドクターが手痛い目にあうのは仕方ないとしても、バイビークまで巻き込まれるのは忍びなかったのだ。
そうしてこの場は一旦解散となり、後日またこのメンバーで集まることになった。
そして、ドクターの手芸修行の日々が始まったのだった。
**数日後**
「なんとなくでデザインはしていけません。セオリーを踏まえつつ、相手のことを考えてですね。」
「じゃあこの髑髏の模様は?かっこいいからいいんじゃ、」
「却下です。火傷ではすみませんよドクター。」
「ええと、こっちがこうで…?あっ、糸が抜けた!」
「落ち着いて、ドクター。ここだけやり直せば大丈夫。」
「そうか、よかった…。頭ではわかっているのだけれど、手がついてこないな…。」
デザインを直すこと数十回、ダークグレーにオレンジのラインが2本はいったシンプルなものに決定。
糸の種類は初心者でも扱いやすい、素直な性質の平均的な太さの糸を採用。
道具はアオスタのものを借り、編み方はバイビークに学ぶ。
ここまでは順調そのものだった。
が、実際に私が手を動かすとなると荒波の中を進む船のように難航した。
頭では編み方も手順も完全に理解できているというのに、手指が思った通りに動かないのだ。
狙った違う穴に突き刺してしまったり、力加減を誤って締めすぎたり緩ませすぎたり。
これについてはひたすら練習するしかない、というサポーターからの判断には眩暈を覚えたものだった。
そして容赦なく月日は流れていき、12月。
私は仕事に忙殺されていた。
なぜこんな時期に限って危機契約が、なぜ人はなんでもキリのいい日時を締め切りにしたがるのか、なぜ必要な時に経費も資源も不足するのか。
まるで呪詛のような愚痴をぶつぶつと紡ぎながら、モニターに向かって書類を作成していた。
その正気のない姿に呆れたのだろうか。
本日の秘書という書類の運び係に選出されたエンカクはため息をついた。
「ぶつくさ文句を垂れていないで、さっさと片付けろ。」
「もちろん片付けるよ…。」
他にやることもあるし、と聞こえるかどうかの呟きを落とす。
サプライズプレゼントにするつもりではないが、わざわざ話すことでもないので、マフラーの話は伏せてある。
とはいえ、こそこそと作業をしているのはたまに目撃されているので、何かやっているということは把握されているだろう。
それ故にエンカクと2人きりになるとなんだか落ち着かなくなってしまう。
こんな忙しい中、そわそわしている暇はないんだけどなぁ、ふぅ、と軽いため息をつき、軽く背伸びをする。
仕方がないのでコーヒーを淹れ直して気分転換しよう。
カップを持って立ち上がったところで、何かに引っかかったのか背後で崩れる音が響いた。
「おい?」
「ああ、だいじょうぶだいじょうぶ。後で片付けるよ…。」
書類の仕分けをしていたエンカクが、こちらを見て立ちあがろうとするのを片手で制する。
確か積んであったあたりは倒れても問題ないものばかりだったはずだ。
コーヒーを淹れてから片付けようと、その場を後にした。
****
よたよたと給湯室へ歩いていくドクターを見送り、作業を途中で中断したエンカクは再びため息をついた。
いつの頃からかドクターの集中力が、目に見えて低下していることにエンカクは気づいていた。
打ち合わせ途中に両手を奇妙な動きをさせていたり、予定にない訪問を行うと慌てて何かを隠したりと、なんだか妙なのだ。
ただ他のオペレーターも関わっているようなので、妙な事件ではなく、企画か何かだろうと検討をつけ、そこまで心配はしていない。
しかし、睡眠不足や体調不良にでもなられたら、とても面倒で不本意な展開になることは目に見えている。
興味も必要性もないため聞き出すことはしないが、さっさと済まして欲しいと内心考えていた。
「…あいつが散らかすと俺の仕事が増えるのは何故だろうな。」
放っておいてもどうせ片付くことはないだろうと、先ほど何かが崩れた現場へ向かう。
見てみれば何かの試供品の箱に、空の理性剤などのガラクタに紛れて、ドクターには似つかないものが床に転がっていた。
「毛糸…?」
よくわからないが、毛糸で出来たもこもこした何かであるのはエンカクでも理解できた。
しかしあまりにも唐突で異質な存在だったため、即座にどういうものかは判断出来なかった。
「あーっ!!」
ドクターが思わず上げた大声に、流石のエンカクもびくりと動きを止めてしまう。
するりとエンカクの脇をすり抜け、慌てて回収するドクターの姿に、ああこれが原因なのだと納得した。
「あーと、えーとこれはだね。」
「お前がどこで何をしていようと興味はない。が、指揮に影響が出るのなら…。」
わかっているな、と口ではなく視線で訴えると、ドクターはしおらしく「はい…」とうなづいた。
少ししょぼくれたドクターの姿に、エンカクは燻った気持ちをぐずりと捻り潰した。
かまってくれないからと八つ当たりをするのは子供の仕事であって、傭兵の仕事ではないのだ。
**12月24日**
「やばいやばいやばいやばい。」
ロドスの職員達が忙しく歩き回る廊下を、それ以上の忙しさで私は早歩きしていた。
何故ならあと1時間ほどで日付が変わってしまう。
更には、その頃にエンカクに自室へ来るようにと連絡してしまっている。
ギリギリではあったが、マフラーの制作が間に合うだろうという目処がたった安堵から、先走ってしまったのだ。
今日の会議はさっさと終わって、余裕で仕上げが出来る計算だったのだが、こういう時に限って伸びてしまうのはどういう呪いなのだろうか。
エンカクに連絡して少し遅らせてもらうか、とも考えたが、いや何とかなる、とアクセルを踏み切る判断をくだす。
そもそも伸ばしたら今度は睡魔に負けて完成に至らないという、強い予感を感じているのだ。
自身最速の早歩きタイム(計測初)を叩き出しつつ、自室へ飛び込み、夢中になってマフラーの制作を再開する。
「で、出来たー!」
「それは、良いことだな。」
そして25日へと日付が変わって少しした後、無事マフラーは完成し、その瞬間、エンカクが執務室へ足を踏み入れたのだった。
「え、エンカク!?いつからそこに!?」
「3分ほど前だ。こちらの声に気づかないほど集中している姿は滑稽だったな。」
えっ、と思わず片手で口を押さえ記憶を遡るが、声をかけられたという記憶は一切残っていなかった。
その集中度であったから何とか完成したのかもしれない。
少し時間切れであるのは見逃してほしいが。
「それで?わざわざこの時間に呼びつけたのは、必死にこねくり回していたそれと関係があるのか?」
エンカクはその長い足で椅子に座っている私のそばへ歩いてくると、もこもこと丸まっているそれを指差した。
「それは、そうなんだが…。」
この日に渡すというのはなんとなくの流れで決めたことだった。
ゆえに、どういう言葉を添えて渡せばいいかほとんど検討していなかった。
しかも、完成の瞬間を見られてしまっている。
うーん、気まずい。と考えるも、仕切り直しをさせてくれる雰囲気ではないのは、これまでの経験でよくわかっていた。
「よし。エンカク、そこのソファーに座って。」
「何を企んでいる?」
「いいからいいから、大したことじゃないよ。」
本当に大したことではない。
だが、適当に済ますことは自分にはできなかった。
だからこれはせめてもの、願いの贈り物だ。
「じゃあ次は目を瞑って楽にして。眉間に皺をよせないで、リラックスだよ。」
余計なことをされるのではないかと疑われているのか、素直に従ってくれない。
おかしいな、悪戯なんてこれまで数えるほどしかしていないのに。
その内、キリがないと判断してくれたのか、エンカクは渋々目を閉じる。
残念ながら眉間に皺が残っているが、この短時間で従ってくれただけ御の字であった。
軽く深呼吸をして、その整った美しいサルカズの顔を見つめる。
そして長い角に引っかからないよう、丁寧にそれを首へゆるく巻きつける。
「ハッピーバースデー、エンカク。」
そして吐息をもらすように祝福の言葉を紡ぎ、口づけを唇へ落とす。
触れるだけのキスだったが、気持ちは伝わっただろうか?
ゆっくりと開かれた焔色の瞳と見つめ合う。
怒られるかもしれないと思っていたが、案外エンカクは穏やかな表情だった。
「本当の生まれた日ではなくても、今日まで1年、君が生きていてくれた事に私は感謝したい。願わくはなるべく長生きをしてもらいたいね。」
夜空を溶かして染めたような美しい黒髪を1房掬い、指に滑らせる。
近距離でこんなにゆったりと顔をあわせているなんて久々ではないだろうか。
ほんの数分だったかもしれないが、永遠に続いているような時の流れだった。
「…それは俺を振るうお前次第だな。」
髪に滑らせていた手をとられ、指先に口づけを落とされる。
そうだ、彼の命の半分くらいはこの指にかかっているのかもしれない。
どうか取りこぼさないよう、少しでも大切に。
「ところで、なんだ?これは。」
「なんだって、マフラーだよ。」
せっかく頑張って編んだマフラーへのダメ出しがはじまった。
確かに、ところどころ糸が飛び出していたり、少し編み方を間違えてしまっていたりするところはあるけれど。
これでも短期間で仕事の合間をぬって頑張ったんだぞ、というのを伝えたところでようやくエンカクの気が収まったらしい。
「…まぁいい、次はもう少し精進しろ。」
「わかっ…、次?」
思わず聞き返すと、エンカクはチッ、と舌打ちをうつ。
まだ受け取ってもらえるチャンスがあるのだなという事実に、頬が緩んでしまう。
彼は傲慢で厳しい態度のところもあるけれど、こういったささやかな優しさが自分にはとても染みるのだ。
こうして、その日の夜はゆっくりと更けていった。
**蛇足**
深夜3時すぎ
「ん、ぅ…、ふぅ…っ?」
なんだか身体が熱い、とドクターは意識を浮上させた。
その日の夜はゆったりとエンカクと語らい、そのまま特に何もせずベッドで眠りについたはずだ。
エンカクの体温は自分より高いから、多少は熱く感じるかもしれないが、それにしたってまるで身体の奥から湧き上がってくるような熱は異常だった。
「あぅっ!」
びくん、とドクターの身体が刺激によって跳ねる。
その勢いのまま目を開くと、あられもない姿になっているドクターの姿がうつった。
「はぇ、な、なにっ、ちょっ、エンカク!?」
自分の足元に座り込んでいるエンカクを睨みつける。
もちろん彼もあられもない姿で、なんならあそこが準備万端だった。
ガチガチである。
「あの程度で満足すると思っていたのか?浅はかだな。」
ぐりっとエンカクが指を動かすと、更にびくんっとドクターの身体が揺れる。
どうやら熟睡しているうちに、強制的に準備万端にさせられていたらしい。
「ま、待て、まって、明日というか、今日は午前中に会議がっ」
「安心しろ、ある程度は配慮してやる。ああ…。」
くすりと笑うエンカクに、ドクターは身体を震わせる。
「むしろ寝込むまでやったほうが、いい睡眠がとれて健康になるかもしれないぞ、ドクター?」