十年を埋める「あれ? おまえの行きつけだったか」
ラッコがサウナで声を掛けたのは、くりまんじゅうだった。くりまんじゅうは外のベンチで整いながら、遠目にラッコの姿を確認していたがその時は、気まずいが声を掛けてくることはないだろうと高をくくっていたのだ。しまった、逃げておけばよかった。
「ああ」
「実は最近子供たちに教わったんだ。懇意にしているのがいてな」
「ハチワレの猫とうさぎか。あとそいつらのあとを一生懸命くっついていく白いの」
「よく知ってるな! 妙に懐かれて、先生なんて呼ばれてる」
嫌味か。くりまんじゅうは自分の手元にワンカップがないことを後悔する。
「あいつら成人だぞ」
「え、小柄だから子供だと思っていた」
「ここいらのサウナは治安が悪いから成人じゃないと入れねえよ」
ラッコはしばらく黙って、くりまんじゅうが立ち上がらないのに安心し、慈しむような笑顔を向ける。
「……元気だったか」
「病気はしちゃいない」
酒浸りで、草むしりや何かの収穫でしか収入を得られない。日雇いの労働者を『元気』と呼べるかどうかはわからない。くりまんじゅうはため息をついた。
こいつとは真逆の生き方になっちまったな。
それは今から十年ほど前、同世代の彼らが揃って討伐に出ていた時代の話である。
「いつかさ、二人で料理屋でもやろうよ。俺たちの種族で店を持つのは難しいかもしれないけど、郎とかで修行してさ」
「でもスーパーアルバイターの資格を取るには勉強も必要だし」
「酒の資格も取れたんだ、きっと取れるさ。そうしたらこんな危険な討伐任務なんかこなさなくても済む」
討伐は長引き、徹夜仕事になってしまった。二人は朝焼けの中、牛丼屋に入って朝定食にかぶりつきながらそんな会話をした。
「ちっぽけで弱くて、何も成せない俺たちの夢だな」
「おまえは状況判断が的確だし、後輩にも慕われているし、このまま討伐を続けていてもランカーを狙えると思うんだが」
くりまんじゅうは椀をそっと置いた。
「危険な目に遭うのはもうこりごりだ。俺はおまえのことも危険な場所で生きさせたくない。討伐で金を貯めるのはやめないか? 俺が頑張って働くから、おまえも一緒に資格の勉強をしよう」
恰好いいこと言うなあ、ほっぺたに米粒つけて……ラッコはくりまんじゅうの頬に付いた米粒をつまんで口に入れた。
「そうだな。そういう、穏やかな幸せもいいかもしれない」
「二人ならどういう風にも生きていけるさ! 俺たちは最強で最高なんだ!」
「最高―っ」
「ははは、さいこーっ」
くりまんじゅうの寝床に帰ってきて、二人は睡眠時間を取り戻すかのように眠りこけた。入り口を巨大な鳥の影が塞ぐ。パジャマパーティーズの耳を食いちぎり、顔に大きな切り傷を付けた史上最悪の害獣、討伐対象である。
くりまんじゅうが異変に気付き飛び起きる。
「でかい」
立てかけてあったさすまたを構え、ラッコをかばうように立ちはだかる。
「どうした……鳥か!!」
ラッコも跳ね起き、ヌンチャクを構えた。巨鳥の容赦ない攻撃が幾度も二人を襲った。
助けを呼びに行くこともできず、血まみれになって地にふせる。
くちばしが振り下ろされた。ラッコが力を振り絞り、くりまんじゅうの前に飛び出す。
ヌンチャクで受けきれず、顔が切り裂かれ痛々しい十字傷ができる。
「ラッコ!! おまえ一人なら逃げられる! 逃げろ!!」
「おまえこそ逃げろ、俺は強い……俺は強い、ランカーになれる男だ、逃げるものか」
震える手でヌンチャクを構え、なおも立ち向かおうとするラッコを羽交い絞めにしてくりまんじゅうが覆いかぶさった。ラッコを捕食したい鳥の怒りはピークに達する。
「ギエエエエエ」
大声を上げ、翼をくりまんじゅうにぶつけ弾き飛ばしたのである。くりまんじゅうは洞窟の壁に左半身を強打した。目がかすむ。
助けられなかった。血まみれのラッコの姿が涙に滲んでいく。あんなに大きな傷を負わせた。庇ってやれなかった。俺は弱いから……。
「大きな鳥! 食ってやる!」
どこからか、まがまがしい声が聞こえ、巨鳥はそちらに視線を向けた。二人とも限界を迎えて意識を失ってしまった。
次に目覚めた時、くりまんじゅうは左目の視力を失っていた。もうあんな怖ろしい想いをするのはこりごりだ。もとより、討伐は苦手だった。この一件でくりまんじゅうは完全に、どんなに報酬がよくても討伐から手を引いたのだ。スーパーアルバイターの資格は取れなかった。左目の視力がネックとなり、資格試験以前の適正検査でふるい落とされてしまうのだ。
ラッコは住処を引き払っていた。自分のせいで目に怪我を負わせたことや、討伐任務に誘ったせいで体に血の臭いが染みつき、巨鳥を呼び寄せてしまったかもしれないことなど真摯な謝罪の言葉が並んでいる。どこまで行っても真面目な男だ。
「まああいつが俺の代わりに夢をかなえてくれりゃいいや」
その日から、くりまんじゅうとラッコの親交は途絶えた。
ラッコはトップランカーになり、武器はヌンチャクから立派な剣になった。車を運転している姿も見かけた。高収入で、酒におぼれている様子もない。相変わらず真面目で人当たりも良く、強いだけではない憧れの存在になった。もうくりまんじゅうが声を掛けられる相手ではなくなってしまったのだ。
「ここ、外だから風が入ってきて気持ちいいな」
ゲームのやり方も知らない。サウナの入り方も知らない。このサウナが、治安が悪く一部がハッテン場になっていることなんて、知る由もない。
差し込んだ光がラッコだけを照らした。くりまんじゅうは建物の影に包まれる。
訊く気にもなれなかったが、独身ごく潰しの自分とは違いラッコは妻子があるのかもしれないと思った。責めてはいけない、羨んでもいけない。
くりまんじゅうは、倒れてしまってはいけないから火照りが覚めてから飲もうと、缶ビールには手を付けずにいた。代わりに手前に置いてあったオロポを飲み干す。
「それはなんだ?」
「オロポだ」
「おろぽん?」
純粋さの塊のような顔面を見て、バチンと何かが弾けてしまった。
ラッコの肩を掴み、揺さぶりながら震えた声で叫んだ。
「相変わらず何もしらねえんだな。ここは……っ、そういう場所だぞ! イライラするんだよおまえのそういう顔見てると! いつ見ても俺のせいで付いた傷が見える。それなのにあの頃と一つも変わらずおまえは」
ただならぬ様子のくりまんじゅうに、ラッコはおびえたように眉を下げた。
ベンチに倒し、強引に唇を奪う。店内全体がハッテン場なわけではないが、そういう意味合いの場所もあるせいか外を通りがかった客も目を逸らすだけで騒がない。
「なんで、討伐のランカーなんかになったんだ! 二人で店持つって言ってただろ! 俺は……せめておまえがその夢をかなえてくれればそれでいいと思ってたのに、あの日からもうおまえの中から俺のことは消えてしまったのか……。親友との約束なんてどうでも」
「俺がおまえの夢をつぶしたんだ。だから俺は、穏やかな幸せなんて手に入れちゃいけなかったんだよ。おまえの視力を奪ったやつを、それに加担したやつを、根絶やしにしないといられなかったんだ」
くりまんじゅうの力が緩む。だがラッコは起き上がろうとしなかった。
「親友なんだろうって、どこまでいっても……それが苦しくて離れたというのもある。俺たちももういい歳だ。俺は、独身だが、おまえにはきっと伴侶があるのだろう?」
「ない、日雇い労働者が結婚できると思うのか」
「ひとつ。ひとつだけ、秘密を打ち明けてもいいか。二人で店に立つ姿を想像すると夫婦のようだと思ってしまった。照れくさくて、だけど身の程知らずに浮かれた。おまえは何にも、知らなかったろう?」
上から、水がぽたぽたと落ちてくる。くりまんじゅうが泣いているのだ。十年だ。十年もの間、何も知らずにいた。自分の不遇だけを嘆いて。
「俺のせいで付いた傷が……あるのに、どうしようもなくおまえはきれいで。時々この傷を愛おしいとさえ思ってしまった。この傷を欲の捌け口にしたことがある。俺は最低の男だ」
「この傷がおまえのトラウマになっていなかったのなら、俺はその方が嬉しい。なぁ? 汚いものではないと思うのなら、触れてくれ」
くりまんじゅうはラッコの十字傷に唇で触れる。
「随分遠回りをしたのだな」
ラッコはくりまんじゅうを抱き寄せた。
「好きだ……好きだった、あの頃からずっと」
今度は先ほどより甘く、唇が合わさり舌が絡まった。オロナミンCの爽やかな香りのキスだった。
「ん……なあ、もう一つ打ち明けていいか?」
「なんだ?」
「俺はこう見えて案外ロマンチストだぞ」
「酒が残ってたか? 臭かったか?!」
ラッコは目を細め笑った。違う違う、と手を振って。
「移動しないか、どちらかの家に」
「俺の巣穴、酒の臭いが染みついてるぞ」
じゃあ俺の家だなとラッコは起き上がり、くりまんじゅうの頭をするりと撫でる。
「三十年大事に守ってきたんだ……」
何でもできる経験豊富な『先生』じゃないのか、今のおまえは! くりまんじゅうは目を開いてラッコを見つめる。
「初めて好きな相手と結ばれるのがサウナのベンチなんていうのは嫌だからな?」
終