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    ☆ひとひまひぐしみ小説
    既刊「夢うつつ」収録、日車が清水ちゃんに片想いするきっかけの話。ひぐ→しみ

      アルコールで上がった体温が疎ましく、日車はネクタイを緩めると襟元のボタンをひとつだけ外した。節電のためだろうか、高めの温度に設定されているであろうエアコンの生ぬるい風が首筋にあたる。
    「日車さん。ビール追加で頼みます?」
    「あぁ、頼む」
     清水は日車の返事に「はい」と明るく答えると、「高木さんはどうしますか?」と斜め向かいに座る黒髪の女性に声をかけた。名前を呼ばれた高木が「うん、私もお願い」と清水に答えるのを眺めながら、日車はわずかにジョッキに残っていたビールを飲み干した。
    「日車くん、ちゃんと飲んでる?」
    「飲んでます」
     すっかり出来上がっているらしい高木は、そっけない日車の言葉に気分を害した様子もなく「そっかぁ」と上機嫌に笑った。
    「でもまぁ、飲みすぎないようにね。また潰れちゃうかもしれないし」
    「えっ、日車さんが酔い潰れることなんてあるんですか?」
    「昔の話だ」
     高木の発言に目を丸くして驚く清水に、日車は顔色ひとつ変えずに答えた。
    「日車くんがウチの事務所に来たばっかりの頃の話なんだけどね。ほら、私ってお酒強いからさ。つい同じペースで飲ませちゃって、気がついたら日車くん寝ちゃってたんだよね」
    「高木さん」
     日車は、余計なことまで喋りそうな高木の話を遮るように名前を呼んだ。しかし、彼女はそんな日車を気にすることもなく、楽しそうに話を続ける。
    「最初は寝ないように頑張ってたみたいだけど、だんだん口数が少なくなってきちゃってね。結局座った姿勢のまま寝ちゃったんだよ。あの時の日車くん、可愛かったなぁ」
     その時の光景を思い出しているのか、高木はくつくつと笑い声を漏らした。
    「えー、全然想像できないです」
    「日車くんって、今でこそこんな隙のない感じだけどさ。昔はもっとこう、可愛げというか、ちょっと抜けてるところがあったんだよね」
    「そうなんですか!?うわぁ、すっごく気になります!」
    「そうだなぁ、日車くんが初めて事務所に来たとき……」
     興味津々といった様子で身を乗りだす清水に、高木は頬杖をついて懐かしむように目を細める。日車は、目の前で繰り広げられる会話に頭を抱えたくなった。酔っ払い二人を相手にうまく話題を切り替えられるほど、彼は器用ではない。それが口達者な女性二人となれば尚更だった。
    「……トイレに行ってくる」
     居心地の悪さに耐えきれず、日車は席を立つ。いってらっしゃいと手をふる高木に軽く会釈をすると、日車は賑やかな店内をぬけて店の奥の手洗い場にむかった。
        ◇
     「でさ、清水さん的には日車くんって正直アリ?」
     手洗い場から戻ってきた日車は、引き戸のむこうから聞こえてきた言葉に思わず足をとめた。どうやら、タイミング悪く話が盛り上がってきたところに鉢合わせてしまったらしい。
     一旦この場から離れるべきか、それとも部屋に戻って二人の会話を中断させるべきか。日車は引き戸に手をかけたまま思案する。とてもじゃないが、自分はこの状況で部屋に戻れるほど図太い神経は持ちあわせていない。日車は外の空気でも吸ってこようと、引き戸にかけていた手を下ろした。
    「アリって、恋愛的な意味でですか?」
    「そうそう。毎日一緒に仕事してるとさ、多少は意識したりしない?」
    「うーん……、あんまり考えたことないですね」
     高木の問いかけに、清水が唸りながら返答する。
     おそらく、自分はこの会話を聞くべきではない。日車はこの場から立ち去るべきだと頭では理解しつつも、ほんの少しだけ好奇心が勝り、ついそのまま二人の会話に耳を傾けてしまう。
    「そうなの?」
    「はい。なんというか、私の中で日車さんって『上司の日車さん』っていうカテゴリーに収まってるんですよね。だから異性として意識したことがないというか」
    「あー、わかるかも。なんかもう、そういう存在になってる人っているよね」
     酔っているせいなのか、普段よりもややテンションの高い高木の声が響く。
     日車は清水に「彼を恋愛対象として見たことがない」とはっきり言われても、特にショックを受けることはなかった。愛想もなく、たいして面白みもない自分に彼女が好意を抱くとは考えられなかったし、日車自身も彼女をそういう目で見たことはない。彼にとって清水はあくまで部下であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
     日車は己に下された評価を妥当なところだと結論づけ、嫌われてはいないようだと一人胸を撫でおろした。せまい事務所で毎日顔を突きあわせているのだ。良好な人間関係を構築できるに越したことはない。
     すっかり部屋に戻るタイミングを失ってしまった日車は、一旦この場を離れようと踵を返そうとした。しかし、中から聞こえてきた清水の発言に再度足をとめる。
    「あ。でも、結婚するなら日車さんみたいな人がいいなと思います」
     予想外の言葉が耳に飛びこんできて、日車はその場に縫い止められたかのように身動きがとれなくなった。「へぇ、なんで?」と高木がおもしろそうに尋ねる声を聞きながら、日車は息をすることすら忘れて彼女の次の言葉を待つ。
    「日車さんって、愛想はないですけど、感情の起伏が少なくて穏やかじゃないですか。毎日一緒にいるならそういう人のほうがいいかなって思うんです」
     清水の言葉に、高木も「確かにね」と相槌を打つ。
    「仕事もできるし、人としても尊敬できるし。付き合うだけなら、ドキドキさせてくれるとか顔がかっこいいとか、そういう人に魅力を感じがちだと思うんですけど。でも、結婚となるとお互いが尊敬しあって安心できる関係を築ける人がいいなって」
     べつに日車さんも顔は悪くないですけどね、と悪戯っぽくつけ加えた清水に、高木はくすくすと声を漏らした。
    「日車くん、不器用なだけでいい子だもんね。それに真面目だし。あーあ、日車くんになら安心して清水さんを任せられるのになぁ」
    「……高木さん、結構酔ってます?」
     呆れたような声音で尋ねる清水に、高木は声を上げて笑った。
     日車は、自身が褒められていることに気恥ずかしさを覚えながらも、そんなふうに思われていたのかと少し驚いた。他人からの評価を気にしたことはなかったが、それでも日車とて血の通った人間である。親交のある二人に褒められるのは悪い気はしなかった。この場を離れようとしていたことも忘れて、日車は二人の会話に静かに耳を傾ける。
    「あはは、ごめんごめん。この歳になるとめったに恋バナなんてしないからさ。ちょっと楽しくなっちゃって」
    「ああ、わかります。こういうのっていくつになっても楽しいですよね」
    「君たちは長年一緒に働いてきて、お互いに信頼関係があるわけだしさ。一度意識したら案外トントン拍子にいくと思うんだけどねぇ」
    「うーん、どうでしょう。そういうふうに考えたことがないので……。あ、でも」
     何かを思い出したのか、清水は小さく声を上げた。日車は無意識に息を詰め、彼女の発言に耳をすませる。
    「前に一度、ウチに相談にきた男性の依頼人に言いよられたことがあって。どう断ればいいかわからなくて困ってた時に、日車さんが助けてくれたんですよね」
     清水の言葉に、日車は瞬時にその時の記憶をたぐり寄せた。
     あれは確か、依頼人の対応を清水にまかせ、自席に資料を取りに戻った時のことだった。自分が席を離れているあいだに、彼女は依頼人にしつこく迫られていた。応接室に戻ると馴れなれしく清水の肩に手を回している男が視界に入り、考えるよりも先に身体が動いた。
     とっさに二人のあいだに割って入り、男の手を引き剥がすと、日車は彼女を自分のほうへと引きよせ背後に庇うようにして立ち塞がった。客にむかってその態度はなんだと喚く男に「どうかお引き取りください」と冷静に告げると、男は日車の威圧感に気圧されたのか、逃げるように事務所を出ていった。今の今まですっかり忘れていたが、確かにそんなことがあった。そういえばあの時は、清水からずいぶん感謝をされたことを思い出す。
    「日車さんって、普段は何事も穏便に解決しようとするじゃないですか。でも、その時はいっさい譲らずにバシッとその男性を追い返してくれて。その姿に、なんかこう、ぐっときちゃいました」
     まぁ、それで恋におちたってわけではないんですけどね、と清水が笑う声が聞こえてくる。
    「わかりづらいだけで、すごく優しい人ですよね。日車さんって。最初は正直ちょっと付き合いづらい人だなって思ってたんですけど、いまは日車さんと一緒に働けてよかったなって思います」
     日車は、先ほどから胸の奥で燻っていた熱が全身に広がっていくのを感じて、思わず口元を押さえた。
     ──これはまずいな。
     べつに彼女は、自分にたいして恋愛感情を持っているわけではない。だから、先ほどの発言も特別な意味などないのだ。それは理解している。
     だが、彼女の言葉ひとつひとつがじわじわと胸の中に染みこんでいくような感覚に、日車は落ち着かない気分になった。
     学生時代から、頭の出来を褒められることが多かった。それは弁護士になったあとも変わらず、日車は賞賛半分妬み半分のそれらを曖昧に受け流していた。しかし、こうして自身の人間性について触れられることはあまりない。それが好意的なものであるのならば尚更だった。
     久しく感じていなかったこの感情には覚えがある。日車は「他人に褒められ慣れていないから、少し舞い上がっているだけだ」と自分に言い聞かせ、深呼吸をして気持ちを静めた。
        ◇
     「あの、ご注文いただいた生三つお持ちしました」
     背後から控えめにかけられた店員の声で、日車はハッと我にかえる。慌てて引き戸の前から離れると、店員は小さく会釈をしてから「失礼しまぁす」と部屋の中に入っていった。店員のあとを追うようにして部屋の中に戻ると「おかえり、日車くん」とジョッキを手にした高木が出迎える。
    「ずいぶん遅かったですね」
    「酔い覚ましに外の空気にあたってきた」
     どっかりと座布団に腰を下ろしながら言うと、清水はそうですかと微笑んだ。
     日車は、隣に座る清水の横顔を盗み見る。高木の話にニコニコと相槌を打つ彼女を見て、そういえば清水はいつも楽しそうに人の話を聞いているなと今更のように思う。たいして面白くもないであろう自分の話に耳を傾け、ころころと表情をかえる彼女を見ているのは、日頃仕事に忙殺されている自分にとって心地よいひとときだった。
     『君たちは長年一緒に働いてきて、お互いに信頼関係があるわけだしさ。一度意識したら案外トントン拍子にいくと思うんだけどねぇ』
     先ほどの高木の言葉が脳裏をよぎり、日車は鼓動が早くなるのを感じる。いや、まさか。そんなはずはない。きっと気のせいに決まっている。日車は清水の横顔を眺めながら、自身にそう言い聞かせた。
    「どうしました?」
     日車の視線に気づいたのか、清水は怪訝そうに首を傾げる。その仕草ですら、今の日車の心をかき乱すには十分だった。日車はジョッキに手を伸ばすと、その気持ちを誤魔化すように勢いよく半分ほど中身を呷った。
    「飲みすぎるなよ」
    「日車さんこそ」
     ぶっきらぼうな日車の物言いに、清水は屈託なく笑って答える。
     自分に向けられた彼女の笑みに、一気に体温があがったような感覚を覚える。頬が熱くなるのを感じながら、日車はきっとエアコンの温度が高いせいだろうと自分に言い聞かせた。
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