半人間。獣と人間のハーフを指す。この社会では人間と半人間が共生している。
かつて、半人間は人を襲うといった事例も少なく無かったため、家畜にされたり、奴隷にされることもあった。現代になるにつれ、半人間の凶暴性は低くなっていき、このような事は減って言った。
だが悲しい事に、まだ半人間を恐れ、差別する人間もいるのだ。故に、半人間は正体を隠す。
僕は半人間だ。でも、他よりも偏見の目で見られることが少なかった。というより、舐められていた。
僕は猫の半人間だからだ。
子供の頃はどうせならもっとかっこいいチーターやライオンなどのネコ科の動物が良かったのにと思ったこともあったが、今はただ自分の遺伝子が都合良かった。なぜならそのおかげでこの社会でだいぶ生きやすかったから。今までそれなりに平穏に普通に二十年間生きてきた。……そのはずだったのに、ある日を境に突然僕の頭はおかしくなった。
episode1
最近、嫌な物を見てしまう。多分僕が疲れているのだろう。それは頭を鈍器で殴られたような痛みを伴い、僕の視界を埋め尽すのだ。
奴は、僕を見ている。血まみれでこちらを恨めしそうに無数の目で睨みつけている。何かを必死に叫びながら、奴の首と思われる部位が折れていく。
…あぁ、やめろ。うるさい、そんな恐ろしいもの、もう見せないでくれ。お願いだから、こんなの、僕は知らないから。
体が動かない。逃げたいのに、僕の体が言うことを聞くことは無かった。
やがて奴が蠢き、僕の方に飛びかかる。僕は恐怖のあまり飛び起きた。
ベッドの上で目を覚ます。マンションの一室。部屋の中は闇に包まれ、僅かな月明かりが柔らかく部屋を照らしていた。見慣れた殺風景な自室の壁が目に入る。…さっきのは夢だったらしい。時計を確認するとらまだ午前四時。秒針と僕の呼吸の音がだけが静かな空間に存在していた。
僕は息を整え、カチカチと音を立てて秒針を刻む時計を見つめた。ぼーっと時計を眺め、気持ちを落ち着かせることにする。しばらく見つめると、気分が落ち着いてきた。
しかし突如、激しく激痛が襲いかかった。
「ッ…!う、ぅ…」
頭を抑え、息を荒らげながら必死に痛みに耐える。歯を食いしばり、目強く瞑る。呼吸をする度に頭を殴られたような激痛が走る。しばらく蹲っていると痛みは引いていった。僕はベッドに倒れ込み、現実逃避するように目を閉じる。
あぁ、ついに睡眠にも影響が出てしまった。僕のこの症状は悪化している。どうすればいいのだろう。重い気持ちで頭が沢山になって、鬱々とした心持ちで再び布団の中に潜り込んだ。
朝、僕が洗面所で歯を磨いていると、後ろから僕の肩をちょんちょんとつつかれる。
「りつ、…莉津。」
後ろから声をかけられ、慌てて返事をする。
「…ごめん、おはようましろ。」
「おはぁようぅ」
彼女はましろ。いつの間にか僕に着いてきて、家に住み着いてる。神出鬼没で神を自称している少し変わった子。彼女とはいつ出会ったのかも忘れた。多分2年前くらいだろう。
「莉津、なんか、顔色悪い?」
心配してくれたのかと思ったが、まじまじと僕の顔色を見るましろは、心配というより僕のことを観察する目つきだ。
「ただの寝不足だから大丈夫だよ。」
「寝不足か。ふぅん。」
今日は夜までバイトのシフトが入っていた。服を着替え、長い髪を結う。支度を終えると、ましろはどこかに消えていた。いつもの事だ。気にせず玄関を出た。
ーーーーー
午後八時、バイトを終えて帰宅している途中あの頭痛が襲った。
……もう、限界だった。どうすれば、この頭痛と幻覚が無くなるんだろう。気がつくと僕は歩道橋の上を歩いていた。頭痛が、収まらない。
その時、下の光景が目に入る。交通量の多い交差点。ここから落ちれば即死だ。…即死、出来てしまう。
僕は正気に戻れない。歩道橋の上に乗り出す。
僕は、意識を失うように目を閉じた。
そしてー。
「駄目だ!!」
そんな声と共に意識を手放した。誰かがこちらに手を伸ばしていた。
知らない部屋で目を覚ます。僕はベッドに寝かされていた。…僕は、死ななかったらしい。
…………いや待て。死?
記憶を整理する。僕はいつものようにバイトを終えて帰っていた。帰り道の途中であの頭痛が…。完全に今の状況を理解する。
勝手に体が震えた。…死のうとした。自ら命を絶とうとしたのだ。さっきまでの自分が信じられない。死ねば楽になれると考えていた事がたまらなく恐ろしかった。形は自殺なのにまるで、他人に殺されそうになった時のような、そんな恐怖があった。
体のどこも痛まないので、おそらく落ちてすらいなかったのだろう。でも、どうして?
「あ、起きたんだね。よかった。」
軽くパニックになっていると、部屋のドアが扉が開く。そこには青年が立っていた。手には水を持っている。
「ここは僕の部屋だよ。勝手に連れ込んじゃってごめんね。」
「え…?あー…いえ、むしろありがとうございました。」
目の前の青年が意識を失っていた僕を介抱してくれたらしい。かなり迷惑をかけてしまった。文句を言ってくれてもいいのに、彼は優しかった。
彼から渡された水を一口飲む。
「びっくりしたよ。最初は冗談かと思ったけど、本当に飛び降りようとしてたから…」
「すみません…」
「謝らないで。僕も、君の事情知らないのに咄嗟に助けちゃったし。」
彼はどこまでも良い人だと思った。普通は咄嗟に行動なんてできない。
「…それについて聞きたいんだけど、」
「…はい?」
「なんで、飛び降りようとしたの?」
「……、」
すぐに言葉は出なかった。彼があたふたしているのが分かる。僕も何であんなことしようとしたのか理解しきれていないのだ。頭の中で言葉を整理して話す。
「頭痛が、治らないんです。」
「…頭痛?」
彼は訝しげな顔をする。まぁ、当たり前の反応だ。
「それも、ただの頭痛じゃない。激痛の後に、人が死ぬ幻覚を見るんです。」
彼の顔色が変わる。驚いたような、同情するような表情をしている。
「…頻度も最近増えていて、その度に幻覚は強くなる一方。そして今日、流されるまま、死のうとしていたんです。」
「それは…かなりキツイね。」
短い沈黙、気まずい空気が流れる。少し言葉が良くなかっただろうか。
そんなことを心配していると、彼は少し考えた後、突拍子もなく口を開いた
「君、名前は?」
「え、あ、…如月 莉津です」
「そっか。僕は神室 響也。好きに呼んでくれて構わないよ。」
「は、はい…神室、さん?」
突然の自己紹介に戸惑っていると神室さんは更に続ける
「如月さん。突然なんだけどさ、もし良かったらさ」
「僕らとここで暮らさない?」
「……は?」
ーーーーー
「神室さん…よろしくお願いします。」
「ようこそ。玄関で話すのもなんだからさ、入ろうよ。君の部屋に案内するね。」
僕は今日から神室さんが運営管理しているシェアハウスで暮らすことになった。三階建ての大きな一軒家を前に少し圧倒される。遡ること1週間前。つまり神室さんと出会った日。
「一緒に暮らすって…どういうことですか…?」
「言葉通りのことだよ。僕らと一緒に暮らす…。シェアハウスだよ。」
話の流れがよく分からないことになっている。どうして彼はいきなり僕をシェアハウスに誘っているのか。
「えっと、なぜ?」
「君の頭痛を治す手伝いをしたいんだよ。説明するとね、僕が管理しているシェアハウスは、君みたいに、苦悩を抱えてる人が入居しているんだ。」
なるほど、とりあえず話の筋が見えた。つまりは、苦悩を抱える人達と共に生活、交流し、その解消を目指すのか。
「…でも、いいんですか。」
「だって君、そのままじゃ確実に死ぬでしょ。」
言い返せない。現に、神室さんが助けてくれなければ死んでいたところだったのだ。
それを言われたら断る理由も思いつかなかった。
という経緯だ。
二階へ向かう。階段を上がると細長い廊下に、住人の個室が並んでいた。手前から三つ奥の部屋へと入ると、ベッドやら、クローゼットやらが既に置かれていた。荷物が入ったダンボールが積み上げられている。
「ここだよ。荷物は後で片付けておいてね。」
「はい。」
「あと、これ。」
神室さんから何かを手渡される。小さいキーホルダーと僕の名前が書かれたプレートが付けられている鍵だった。
「?部屋の鍵ですか?」
「そう!ここは、それぞれの部屋に鍵が着いてるんだよね。珍しいでしょ。無くさないようにね。」
「なるほど、分かりました。」
「それじゃあ、色々案内するよ。同居人は見つけた人から挨拶しよう。」
2階から降り、リビングへと向かう。玄関のある廊下を経由すると広いリビングがあった。
「ここは、リビングだよ。ご飯食べたり、テレビ見たり、ゆっくり休む場所だよ。」
「うわ、テレビ大きい…」
外から見た時も感じていたが、この家はかなり大きい。広いリビングは丁寧に掃除が行き届いており、快適そうだ。
すると、ソファーに座っていた栗色の髪に黄色いインナーカラーの少女がこちらを見て礼儀正しく話しかけてきた。部屋着なのか、少し大きめのパーカーに、ショートパンツを履いている。
「はじめまして。新しくいらっしゃった方ですよね。私は呉宮有栖です。高校生です。」
「僕は如月莉津。よろしくね、呉宮さん。」
こちらも挨拶すると有栖と名乗った少女は少し照れながら目を泳がせた。何か言いたそうにもじもじしている。どうしたのだろうと思いながらなんと声をかけるか迷っていると、彼女は意を決したように口を開いた。
「あの…私のことは有栖って呼んでください…!私も、莉津さんって呼びたいです…」「そう?それじゃあ…有栖…?」
彼女の顔がぱあっと明るくなる
「はい、よろしくお願いします!莉津さん…!」
「良かったね。有栖。如月さん、有栖は君が来るのすごく楽しみにしてたんだよ。」
「ちょっ…神室さん…言わないでください…!」
とても礼儀正しい少女だ。愛想が良く、笑顔が可愛らしかった。少し緊張の緊張は彼女がほぐしてくれた。
有栖と挨拶したあと、浴室に向かった。浴室を通る前に玄関を経由する。その時、タイミング良く玄関の扉が開かれた。
「たっだいまー!…って、響也くん…!もしかしてその人…!」
「おかえり。翠。うん、そうだよ。新しくここに入居する。如月さんだ。」
紫色の髪にサイドテール。制服をカーディガンで着崩していて、スカートの丈を膝の上まで短くしている。見た目からしていかにも変わり者のような雰囲気を醸し出していた。印象的だったのはその声質。女性にしては低く、男性にしては高い不思議な声をしていた。
響也に翠と呼ばれた人物はやけに慌てたようにその場でジタバタしている
「待っ、待ってよ!今日来るってボク聞いてないんだけど!?」
「翠は人の話聞かずにどこかに言っちゃうからでしょ…他のみんなが伝えてくれると思ってたんだ」
「うぅ!響也くんのいじわる!知ってたらもっと早く帰ってきてたのに!」
「あはは、ごめんね。」
第一印象は「騒がしい人」だった。いかにも元気そうだ。僕はとりあえず自己紹介することにした。
「僕は如月 莉津。よろしく。君は?」
「おぅ!ボクは杠葉 翠だよ!高校生!好きな物は可愛いボクと妹!趣味は放浪!よろしくね、りっちゃん。あ、ちなみに男だからね!」
「……りっちゃん?」
「そう!良くない?ふふん。君は特別にこのボクが親しみを込めて呼んであげよう…!」
「あはは…また調子乗ってる…」神室さんは苦笑した。
正直、かなり癖が強い。男とは思えないほど可憐な見た目をしていて個性的だと思った。そして初対面なのにあだ名をつけられた。
しかし、嫌な気分にならないのは彼が純粋にこちらと仲良くなりたいという気持ちが伝わってくるからだろう。彼は他人と話すのが好きで誰とでも親しくできるタイプだった。自分に自信を持ち、堂々としている様子は少し尊敬する。
…でも、うるさい。あまり僕とは波長が合わなそうだ。
「あぁ、よろしく。」
「ふふん。困った事があればボクに聞きたまえ!…まぁ、家にいないことが多いけどね。」
「えぇ…」
「さーてと、ス〇バで勉強してくるかぁ」
「今日は夕方までには帰ってきてね」
「うん。多分ね〜」
神室さんの言葉に返事して翠は二階の自室へと勉強道具を取りに行った。真面目なのか不真面目なのかどっちなんだよ。と心の中でツッコミを入れる。
翠がその場から去った後、浴室やキッチン、屋上のバルコニーなどを一通り見て回った。一旦リビングに戻ると神室さんが一つ提案した。
「如月さん、今から地下に行こうか。そこに篭ってる子がいるんだ。彼女は羊の半人間でね。」
半人間。その言葉を聞いて少しドキリとする。彼には僕が半人間だとは明かしていない。…いや、教えてもいいのだが、タイミングが無いのだ。
羊の半人間の住人。一体どんな人なのだろう
「地下まであるんですね。」
「そうなんだ。シェアハウスやるなら、どうせなら凄くしたかったんだよね。エモい?感じにしたくて」
「エモい」の、その使い方は合っているのか…?
会話をしながら地下への階段を降りる。扉からは何か音が聞こえる。
「夢那!今ちょっといいかい?」
神室さんは、ノックして扉の奥に声をかける。すると、扉が開かれ、頭に羊の角が生えた少女が顔を出した。
「響也くん!こんにちはぁ。……あれれ?知らない人だぁ!」
黒髪の少女。神室さんの言う通り、彼女は羊の半人間だった。頭からは羊の角が生え、瞳孔が地面と平行になっている。服装はコスプレのような、魔法少女を連想させるような、そんな服を着ていた。
不意に彼女が顔を近づけ、蛇のようにこちらを観察する。彼女の羊目の瞳孔が僕を捕らえており、思わず少し後退ってしまう。
「あなただあれ?」
「……如月、莉津…です」
すると彼女は顔を離し、ぽんと手を叩く。
「あ〜。もしかしてあなたがここに新しく引っ越してきた人?莉津ちゃんって言うんだぁ〜」
「うん。夢那も自己紹介して。」
神室さんが彼女に促すと、彼女は氷が一瞬で溶けたかのようにふわっと微笑みながら自己紹介した。
「こんにちはぁ!ゆめはね、夢那!胡桃田 夢那だよぉ。ここでお薬のけんきゅーしてるの!これからよろしくねぇ。お怪我したら、ゆめに言うんだよぉ?」
「あぁ、よ、よろしく、胡桃田さん」
「夢那って、呼び捨てでいいよぉ」
手を握られる。さっきの威圧感との温度差で調子が狂う。それに…彼女は、なんというか、幼い雰囲気がする。見た目は中学生か高校生程だが、言動がそれに釣り合っておらず、それが更に彼女の異質さを増幅させているのだ。
一方神室さんは笑顔でこちらの様子を見守っていた。
「如月さん、僕は少し夢那に用があるから、あと二人には自分で挨拶をしていてくれないかい?」
「あ、はい…。では…」
「またねぇ〜」
夢那がこちらに手を振る。控えめに手を振り返すと、夢那は嬉しそうな表情をした。
神室さんと夢那をその場に残し、二階の部屋へと向かった。神室さんは夢那と何か話していたが、僕の気にすることじゃないだろう。
「…あの子…。」
不意に声がする。ましろだった。いつの間についてきていたのか。
「どうかしたのか?」
ましろは、夢那のことを気にしているようだった。
「べつに、何でもない。」
そう言うとましろはまたどこかに消えてしまった。何だったのだろう。
二階の廊下。ある部屋の扉をノックする……。返事が無い。もう一度ノックして数分待つが、それでも返事がない。
「いないのか…?」
ドアノブに手をかけてみると、扉はあっさり開いた。鍵はかかっていなかったようだ。予想外の事に驚きながらも、そのまま部屋に入る。部屋の中は暗く、デスクトップPCだけがついていた。
「…これって」
…曲の、データだ。この部屋の人は作曲をしているのか。好奇心が刺激されPCにもっと近づいてみると、おかしなことに気づいた。目に入ったのは一つのファイル名
「…え?」
「……あ、の」
そのファイルを開こうとすると、後ろから肩を叩かれる。いきなり後ろから触れられ飛び上がる。振り返ると、そこにはそこには高校生ほどの少女が立っていた。…翠に、見た目が似ている。一目見ただけでそう思った。
彼女は黒髪に緑色のメッシュが入っており、若干、声色が翠よりも高かった。固まっていると、彼女が口を開く。
「あ、の…見な…で、ください…」
「あ…!ご、ごめん」
慌てて机から離れる。勝手に部屋に入った上にPCまでいじろうとしていた。かなり良くないことをしてしまった。
「……あ、そ、…の」
「…?」
「見……た?」
彼女の指がパソコンを指す。指先が震えている…
「少し、見てしまった。本当に申し訳ない。」
「あ、い、ッ…いいん、です…。誰にも、言わないでください…」
そう言うと彼女は椅子に座る。…気まずい空気になってしまった。僕は「失礼しました」と言ったあと部屋を出た。
挨拶はまた後でしよう。…あの空気で自己紹介するメンタルは僕にはなかった。
部屋を出て、最後の住人の部屋に行く。扉をノックするが、また返事が無い。困った。またさっきのように勝手に部屋に入る訳にはいかない。
どうしようか考えていると後ろから肩を叩かれた。さっきと似た展開だ。
「君、引っ越してきた人?」
「あっ、はい。はじめまし…」
振り返って挨拶しようとしたところで言葉が途切れる。相手の顔に目を見開いた。それは相手も同じで固まっていた。
「……もしかして、莉津?」
「理生…!?なんでここに…?」
「それはこっちのセリフなんだが。」
そこには、僕の昔からの友人。月居 理生が立っていた。綺麗な白髪の長い襟足と赤い瞳。昔より身長が高くなっており、僕の身長を越していた。理生は愛想良く笑う。
「引っ越してきた新しい住人って莉津の事だったのか。久しぶりだな。」
「本当にね。もう会えないものだと思ってた。」
「感動の再開というやつか。あはは。」
喋り方も雰囲気も、変わっていなかった。彼は狼の半人間。昔、小学校高学年の時に出会い、その時からずっと友達だった。兄弟のように過ごしていた中だったのだが、ある日僕が事故で入院してそのまま引っ越した後、連絡が途切れていたのだ。
「理生、ごめんね。急に引っ越してしまって」
「許さない。一生恨むから。」
ヘラヘラと笑いながら理生がキッパリと返す。冗談に聞こえないのがつらい。
「…ごめん」
「何、本気にしてんの?冗談に決まってるだろ。まぁ、心配だったけど、今会えたし。改めてよろしく。」
「冗談に聞こえないんだよ…」
その後、理生はこちらに着いてきて、部屋の整理を手伝ってくれた。手を動かしながら口を開く
「あの、翠の隣の部屋の子って…」
「あぁ、妹ちゃんの事?」
「妹…」
どおりで、姿や声が似ていると思った、
「そ、杠葉 ねいろ。杠葉 翠の妹だよ。まだ挨拶してないのか?」
理生の言葉に顔を背ける。
「少し、気まずくなっちゃって…」
「あ〜、そうか。まぁ、後でちゃんと挨拶しとくといいよ。あの子、最近はずっと落ち込んでて、部屋から出てるの見たことないんだよね。」
「…そう、か」
尚更罪悪感がのしかかる。手を動かし続けても、部屋の片付けは夕方までかかった。
部屋の扉がノックされる。返事をすると、有栖が部屋に入ってきた。
「莉津さん。夕食なので一階に降りてきて下さい。…あ、理生さんもここにいらしたんですね!」
「分かった。すぐ行くよ。理生、手伝ってくれてありがとう」
「もうそんな時間か。早いな、時間過ぎるのって」
一階のリビングに降りると卓上には夕食が並び、神室さん、翠、有栖、夢那が既に座って待っていた。
僕と理生も空いた席に座る
「今日からこのシェアハウスに仲間入りする。如月莉津さんです!みんな、仲良くね。」
みんなが僕の方を見て拍手した。その後は食事をし、わちゃわちゃと会話したりしている。
「杠葉、人参食べないのか?お子様だな。」
理生がクスクスと笑うと翠が被せ気味に反論する
「はァ!?馬鹿にしないでくれ!ボクは人参なんて食べなくても栄養が補えると判断しただけで…!」
「はは、そんなに苦手なのか」
「ゆめは人参好き〜」
「翠さん。好き嫌いはいけませんよ!」
「僕も人参苦手だから気持ちは分かるよ。翠。でも食べなさい。」
「うぅ〜、りっちゃん〜」
四面楚歌の翠から助けを求めるように僕に視線を投げかけられる。
「…食べた方がいいと思う。好きになれるかもしれないし。」
「クソッ!敵だ!全員敵!」
こんなに賑やかな食事をしたのは久しぶりだ。仲良く会話している様子から、彼らは皆信頼しあっているのだということが分かった。それが少し羨ましく感じた。
夕食を食べ終えると、あることに気づく。
「…それ、ねいろさんの分?」
「あ、そうですね。ねいろちゃん、今日もみんなと食べなかったな…」
有栖が盆の上に食事の乗ったプレートを乗せ、二階へ行こうとする。
「有栖、待って。それ、僕が運ぶよ。」
「え?いいんですか?」
「彼女にはまだちゃんと挨拶できてないからさ、ついでに。」
「そうですか。…ありがとうございます。それではお願いしますね」
「うん」
有栖から盆を受け取り、二階へ向かう。ねいろの扉の前で意を決して、声をかける
「ねいろさん。食事、持ってきたよ」
「…。」
「……。」
「…………。」
……やっぱり出てきてはくれない。諦めて戻ろうとすると、突然扉が開いた
「…あ、あり、がとう、ございます」
彼女は震える手で盆を受け取る。
「…では、」
「待って」
扉を閉めようとするねいろを止める。ねいろはビクッと飛び上がる。
「な、な、なんですか…」
「…僕は、如月莉津。今日からここの住人の一員になった。その…よろしくね。」
彼女は少し狼狽えたあと、恐る恐る口を開く。
「杠葉…ねいろ…です。」「よろしく…お願いします」
「うん。」
そう言った後、直ぐに扉が閉められる。一先ず、挨拶ができた事に安堵のため息を着く。
ねいろは兄である翠とは真反対だった。何かに怯えたような態度。全く合わない目。翠に自己肯定感を全て吸い取られたのかと思うほどに、ねいろは自分に自信が無いように見えた。
その後、シャワーを浴び、髪を乾かした後自室のベッドに寝転んだ。天井を見上げ、ぼんやりとした頭で今日のことを思い返す。
これから、どんな日常になるのだろうか。期待と少しの不安に僕はそっと目を閉じた。