七月。
真夏の纏わりつくような熱気を振り払って、私は走っていた。
待ち合わせ時間は7時50分!!
現時刻!7時48分っ……!!
視界の端に、ムチのように飛び回る髪。いつもお昼を買っていくコンビニも、今日は素通り。
大丈夫!いつもはもう合流できてる時間だけど、今私は走っている。歩くよりも速いのだ。大丈夫だって!
「遅刻。暑い」
「はっ...はひゅっ……ご...ぜぇ、はあ、ごめ……」
ショートボブを汗でぐっしょり濡らし、息も絶え絶えな私。見ないで下さい。
しれを、涼しげな顔をして見下ろしてくるロングヘアの美少女。言葉とは裏腹に、汗一つかいていない。どこかの童話のお姫様と錯覚する。
うっ、隣に並べないでくれ...。
「日焼けしたら陽菜が責任取ってくれんの?そもそも”成海と一緒に学校行きたいよ~~!”って行ってきたの誰だっけ」
「それ小学校の時の話ィっっあ、でも待っててく」
「は?もう先行こうかと思ってたよ。汗だくの女が叫びながら全力疾走して来るから、他人のふりしようかと思った」
食い気味なお姫様。その目はまるで、虫けらの糞でも見ているよう。
なんでこういう時だけいっぱい喋るの...他のときもいっぱい話してよぉ…。
泣いてない、泣いてないぞ...。
「ねえ、到着しても動かないってどういう了見?暑いなあ〜〜〜」
「待ってぇ…!膝笑ってるからあ!」
「もう置いて行こうかなこのゴミ…」
「ちくちく言葉!よくないと思います!!」
先にせかせか歩いて行ってしまう成海を、また走って追いかけるのでした。
あ゙ー、暑い……。
校舎に入ると、クーラーの冷たい風で一気に身体が冷える……
なんてことは、この田舎の高校ではあり得ない。生ぬるい外の風が舞い込むのみ。贅沢を行ってはいけない。この地獄のような密室に、風が吹くだけマシなのである。
「最悪、汗くさ。こっち来ないで」
成海は髪をかきあげ、フローラルのような香りを撒き散らしながら、生ゴミに集るハエを見るような目をする。
確かに、朝からずっと走り通しだったから汗だくだ。
ワイシャツはびしょ濡れで、気持ち悪い。
「ごめんね…あああ暑い……」
第2ボタンを外して、生地を肌から離すように摘む。
パタパタ動かすと、外気が入って気持ちよかった。
「ちょっと涼しいよ!成海もん゙ぐふgdjfっ!?」
成海の方を向いた瞬間、綺麗な右ストレートが決まる。
何!臭すぎて耐えられなかった
「見苦しいのよ!!!」
「理不尽!!」
階段を2階分上がり、右に曲がると、私たちのクラスに着く。
いつもより遅く登校したため、結構な数のクラスメイトが既に席に着いていた。
「陽菜〜!遅いの珍しいねえ」
「どうせ寝坊でしょ」
「違わい!」
一斉に声をかけられる。寝坊疑惑は全力で否定せねば。イメージダウンだからな。寝坊だけど。
さっきまであんなに暴言を吐いていた成海は、急に静かになる。私や人の輪からスッと離れて、誰に声をかけることもなく自席に着いた。いつものことなので、見守っておく。
一通り雑談を済ませ、私も椅子に座った。
ああ、やっと心を鎮められる。ふう。
「あ、ちょっと、あんた透けブラ」
「えっちょっ待って」
放課後。
4時半をまわり、教室には私と成海だけ。
知識の過剰摂取によってショートしている私の頭に、成海はチョップを繰り出した。
「なに…ねむい…」
「待っててって言ったのあんたでしょ。さっさと帰るよ」
それも小学生の時の話…。
起きないとまたチョップされるなあ…。ただでさえ愚鈍な脳細胞がこれ以上減るのは困る。起きなきゃ、と思うのに、手足は鉛になったみたいに重くて、こっちの命令を聞きやしない。
「やだ〜…もうちょっと」
「………」
「お願い〜…」
「…30秒したら椅子引くからね」
ん?
ギッと椅子を引く音。成海が隣に座ったのが、気配で分かる。
あれ、絶対引きずられると思ったのに。元気がないのだろうか。夏バテかなあ?
熱を持った瞼を無理やり持ち上げる。
頬杖をついた成海と目が合う。
まっすぐに私を見る目。長いまつ毛が小刻みに揺れている。艶のある長い黒髪が、肩から机までカーテンのように垂れていた。
ゆっくり口を開く。成海はぴくりと反応した。そして、私の言葉を待つように、目を伏せた…。
「もしかして、日頃の私への態度を反省して…?」
「ねぇ喋れるんなら立てば〜?」
ガタン!
ちょ、まだ30秒経ってない…!!!
お尻を擦りながら、ローファーをつっかけて外に出る。
夕方だというのに、外の日差しは現役だ。
私はすぐに焼けちゃうけど、成海は全然焼けないよなあ。
「陽菜」
鞄で日差しを遮っていると、後ろから声をかけられ、思わず振り返る。
成海は昇降口に突っ立ったまま、こっちを見ていた。
自分が呼んだくせに、目が合うと、開いていた口を閉じてしまう。
どした、と声をかけるけど、首を振るばかり。そこから動こうとしない。
髪の毛がカーテンのように表情を覆い隠している。
私は昇降口の中に戻った。
成海の横に立つ。いつもみたいに蹴られないので、ちょっと安心。
成海の方は向かず、ただ外の景色を眺めた。
さっきの声が、母親に置いていかれた子供みたいで。
縋るような響きがあったから。
何分経っただろう。
顔を上げた成海は、いつもの不機嫌そうな眉根を寄せた
顔。
何事もなかったかのように歩き出したので、文句を言いながら後を追う。
「…なに」
「昔みたいで良くない?」
追いついた私に、振り向いた幼馴染みの顔は少し赤い。
しっかり握られた自分たちの手を見て、むっとした顔をする。
それでも離さず歩きだすと、「先を歩くな」とお尻を軽く蹴られる。痛い。
繋いだ手は、私の汗で湿っている。
怒られるかなと思ったけど、
振り返った私の目に映る幼馴染みは、見間違いかもしれないけど、多分ちょっとだけ笑ってた。
花のような笑みに少し見惚れ、
それから、私も顔いっぱいで笑ってみせる。
ひだまりの中を、私達は手を繋いで歩いていった。
「私が日陰いくから、あんたはそっちね」
「理不尽!!」