蕎麦屋の君と二人乗りバイクは趣味とも呼べるし、移動の手段としてもかなり重宝している。乗ることになんのストレスもなくて、むしろ楽しさや爽快感を味わえる。
今日みたいなオフの日にも、特段予定がなければひとっ走りしようと思い付くのも自然なことだ。
どこかうまい飯屋でも探しに行くか。海沿いを走るのも良いな。そんなことを思案しながら、俺はバイクを走らせる。
考え事をしながらでも周りの状況には細心の注意を払っている。あそこに人がいる。あの車はこちらへ曲がってくる。あ、鳥が飛んでる。あの公園で泣いてる子、大丈夫かな。
フルフェイスのヘルメット越しでもそれは当然に視界に捉えることができて、俺はいろんな人のいろんな日常を目にしながら悠々と道を進んでいた。
ふと、人通りの少ない道で立ち尽くしている男性を見かけた。後ろ姿しか見えないが、手には岡持ちが見えるので蕎麦屋か何かだろう。時折足をウロつかせるも、その場から移動する様子はない。
困っているのだろうと、容易に想像がついた。
とはいえこちらはバイク。その様子も一瞬で視界から消えてしまう。振り返るわけにもいかず、俺はそのまま視線を前へ向け続けた。
「…………うーん」
迷惑にならないことを確認してからバイクを道の端に停める。そして周囲を見回し、誰もいないことを確認するとUターンした。
困ってるなら助けなきゃ。
そんなことを、咄嗟に思った。
先ほどの場所に、まだその人は居た。
俺が近くにバイクを停めると驚いた様子でこちらを見る。途端、俺は喉がおかしくなるんじゃないかと思うくらい変な声を発してしまった。
そこに居たのは、八乙女楽だった。
なんの変装もせず、顔も隠していない。ただ、その格好は明らかにいつもと違っている。和風の装いに、腰にはエプロンをしている。先ほどチラッと見た時の印象と同じ、“蕎麦屋さん”だ。
「………やおと、め?」
思わず名前を呼ぶと、彼はビクッとしてからすぐに取り繕うみたいに笑った。
「よく似てるって言われるんですよ!全くの別人です!」
「べ、別人!?」
「そんなに似てますかね、俺あんなにカッコいいかな」
意味が分からない。顔を見ても声を聞いても、所作も笑い方も何もかも八乙女楽だ。別人であるはずがない。何をとぼけているんだ。そしてその格好はなんだ。手にある岡持ちは一体なんだ。
「いや、八乙女だろ……」
「違いますよ。そば処 山村です!初めまして」
こいつは一体何を言っているんだ。そんなことを言われても、俺は一向に飲み込めない。
そこではたと気付く。あ、俺、ヘルメット外してない。俺だって気付いてないんだ。
慌てて目元を開けるとバッチリと目が合う。八乙女は無言のまま大きく息を吸い、それと同時に大きく目を見開いて、そして「あ」の形に口を開けた。
「………あんたは……」
「そうだよ、偶然だな」
「も、もしかしてŹOOĻの狗丸トウマ!?」
「はあ!?」
あたかも「初めて会いました」と言った反応で、八乙女は1人で盛り上がっている。まさか本当に別人なのかとも思うが、残念ながらどう考えても八乙女本人にしか見えない。
何か理由があるんだろうと、一旦話を進めることにした。
「それで、こんなところで1人でどうしたんだよ」
「ああ、それが、配達先を間違っちまったみたいで」
八乙女が言うには、電話で受け付けた配達の届け先を聞き間違えて、似た名前の違う場所に来てしまったらしい。控えてあった電話番号にかけ直して再確認したところ間違いが発覚したのだが、本来の届け先はなんと隣町だったというのだ。
「近いと思って徒歩で来ちまって、このままだと麺が伸びるから一度店に戻って作り直すか、それとも……って考えてたところ」
「なるほど。ちなみに届ける住所ってどこ?」
八乙女の口から発せられたのは俺の知る地名だった。そしてそこは、バイクで向かえばすぐの場所だ。
八乙女の真意を知りたかったし、何より困っていることは明白だったので、俺はヘルメットをもう一つ取り出すと彼に手渡した。
「後ろ乗れよ。連れてってやる」
「いいのか!?」
「もちろん。あ、その代わり、バイクで蕎麦を運ぶの初めてだから中身の無事は保証できないけど……」
「俺が全力で死守するから問題ない。助かるよ、ありがとう」
二つ返事で了承した八乙女は、いつの間にか敬語が抜けてしまっていることにも気付かずに、早速バイクの後ろへ跨った。
「いやー、助かったよ。本当にありがとな」
奇跡的に蕎麦は無事だったようで、正しい届け先へ引き渡すことができた。
せっかくだから店まで送ると伝えると、八乙女は心底嬉しそうに笑ってくれた。
「それで、なんで八乙女は蕎麦屋の手伝いなんかしてるんだ?」
バイクを走らせながら、背中にくっ付いている八乙女に向けて改めて問いかけてみる。彼は急に黙り込んで、それから「あー」と煮え切らない声を上げた。
「いや、そのー……やっぱり分かるか」
「当たり前だろ。どこからどう見ても八乙女楽だし」
「マジか……」
さすがにごまかせないか…、と小さく呟きながら、意気消沈といった様子のため息が聞こえる。「別にバレたって何も問題ないのに」と思うのは、あくまでも俺目線での考えだ。
「狗丸、あのさ」
「んー?」
「……今度、ちゃんと話すよ」
やけに真剣な声色だった。やっぱり何か理由があるんだなと察して、俺は努めて明るく笑って見せた。
「分かったよ!今度な、待ってる」
「ああ、うん。………ありがとう」
しがみ付く腕の力が強まった気がして心臓が高鳴る。八乙女とこんなに密着するの、多分初めてだな。
「あ、もしかしてここ?」
“山村”の看板が見えて慌ててブレーキをかける。八乙女は「ああ」と返事をし、バイクが止まったことを確認すると呆気なく俺から離れた。
「本当にありがとう」
「良いって良いって。楽しかったし、力になれて嬉しかったよ」
八乙女は照れくさそうに笑って、それから何か言葉を続けようと口を開く。
その時。
店の扉がガラッと開いて、中から女性が出てきた。
「あ」
「ん?」
2人同時にそちらへ視線を向ける。
女性は八乙女と俺を交互に見てから、それはそれは嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
その後、店の女将さんだというその女性の強い希望で俺は店内に通され、とても美味しい蕎麦をご馳走になった。
その女性が誰で、八乙女とどういう関係で、何を喜ばれていたのか。それを知るのはもう少し先のことだ。
八乙女が店内で終始慌てふためいていたのも、俺と目が合うたびに真っ赤になって顔を逸らしていたのも、それにつられてなぜか俺まで顔が熱くなってしまったのも、後から考えれば照れ臭い理由があったのだが、その時はフワフワした気持ちのままやり過ごしていた。
“無自覚な恋心”をお互いに自覚するのも、それこそ、もっともっと先の話だ。