もしもmzkが閉所恐怖症だったらガシャンッ
「くそっ…しくじっちまった」
目の前の外側から何らかの力で施錠されてしまった扉を蹴った後、水木は呟いた。
事の始まりは三日前の出来事だ。
事務所へとやって来た、建設業を営んでいる客から『新しい事業の為にもう誰も使っていない寂れた御堂を潰そうとしたのだが、工事が始まる度に事故が起こる』という依頼が舞い込んできた。
が、水木もゲゲ郎もこの依頼を真っ向から請けようとは微塵も思っていなかった。
使われていないから、と言った理由で元は万物を宿した神が居たとされる御堂を壊すなんて持っての他で、何が起きるやも分かりはしない。
しかし鬼太郎という、大事な我が子を一人養うのにそれほど余裕がある訳でも無い二人は、形式上依頼を請けるも直ぐに帰って『あの御堂は辞めておいた方が良い』と適当な理由で最初から誤魔化すつもりだった。
しかし、事件は起きてしまった。
形式上ではあるが調査で来たのだからと、二人は御堂へと足を踏み入れた瞬間、扉が勝手にバタリと閉じてしまった。
水木は慌てて、閉ざされてしまった扉を引いたり、押したりと繰り返すが、扉は頑なに閉ざされ、微動だにしない。一向に開かない扉に苛立ちを覚えた水木が足を振り上げた所から、現在に至る。
「水木よ、そんなに扉を蹴っていても体力の無駄になるだけじゃ。一度落ち着け」
水木とは対象に、その場に静かに佇み、妖力の気配を探っているゲゲ郎が水木を宥める。
水木とて癪乱する子供でもあるまい。ゲゲ郎の言葉を最後に、水木は一旦扉から距離を置いた。
「お前はこの状況、どう考える?」
「ふむ……ワシが思うに、この御堂は確かに使われなくなり、人は居なくなった。じゃが此処を住処とする主(ぬし)は、どうやらまだ此処へ住み着いていた様じゃ」
そう言うと、ゲゲ郎は狭く薄暗い御堂の中を隅から隅へと片目で凝視する。
「じゃあその主が、許可無く勝手に入って来た俺たちに怒って、それで閉じ込めたって訳か」
「さぁ……そこまでは何とも言えんのう」
原因が分からなければ対象のしようも無い。
つまりは水木とゲゲ郎は、どうにかしなければこの御堂から半永久的に出られなくなってしまったのだ。
外に人がいるなら……そう考えるも、人では無い物の力で閉じてしまった扉を、そう易々と人間に開ける事が出来るのか?と、結局は八方塞がりになった。
(最悪だ。外にも連絡は通じる訳でも無いし、ゲゲ郎もこの調子じゃあ、本当に此処から出る事なんて…)
御堂の中は大の男が二人は入り切るものの、それでも歩き回る事が出来ないほどの狭い密室。
水木は肩を落として、その場へと座り込んでしまった。
「水木?」
座り込む水木に、ゲゲ郎もすとん、と腰を落とすが、ゲゲ郎の目線からして、先程から少し水木の様子がおかしい様に見える。
幸い幽霊族は夜目が効く為、暗い中でも水木の様子はハッキリと分かるのだが、よく見ると、水木の体はカタカタとまるでからくり人形の様に上下へと体を震わせていたのだ。
「み、水木よ…!何処か具合が悪いのか…!?」
「ちが、ちがうんだ、ゲゲ郎…俺は、何処も悪く……」
「悪く無いと言うのならそんなに体が震える訳無かろう!寒いのか?人間は寒いと体が震えると聞くが…」
水木に近づき、様子を伺うゲゲ郎の両肩を、水木はまるで縋る様にとしがみつく。
「俺、俺な、くらい、狭い所が、実は苦手で……」
「…何故早く言わなかった?」
「大人になってから、そんな場所なんて自分で入ろうとはしないだろう?それに、今回は不可抗力で油断していた」
水木の行き場の無い腕は、ブルブルと震え、それはやがてゲゲ郎の着流しの裾をグシャリと掴んだ。
それは、まだ水木が五つの子供の頃だ。
初冬を迎える十一月頃、遊んでから家へと帰ろうとする道中、近所に住んでいる中年の男が家で育てている柿の木が、偶然にも水木の目に留まった。
その頃にはもう木の枝から実を成して、色付き、誰がどう見ても甘く熟れていた果実が、とても美味しそうに見えた。
気がつくと、水木は柿の実へと手を伸ばして、家の中へと入る前に、建物の影に隠れてこっそり食べていた所を、母親に見つかってしまった。
「全くあんたって子は!何考えてるんだい!?」
「いたっ、いてぇよ母さんっ!」
息子が食べていた柿が、近所の住人が育てていた物を勝手に取っていたのだと知った母親は、まず最初に柿を食べていた水木の手が赤く腫れは上がるまで強く引っぱたくと、そのまま水木の手首を掴み、ある場所へと引き摺ってでも連れて行こうとする。当時の水木はまだ幼子であった為、女である母親の力には逆らえずに、手を引かれ続ける。
「他所様の柿なんて持っていって!罰として今日はこの中で一晩過ごすんだね!」
すると、母親は目的の場所を指差す。
水木はその指先を視線で追うと、そこは大の大人一人分くらいならば入る事のできる大きさの物置だった。
家の物置へと何度もで入りした事がある水木は思わずゾッとする。
扉が完全に施錠してしまえば昼間でも薄暗いというのに、それが一晩中ともなれば、中は完全な闇に包まれる事は当時の水木でも直ぐに分かった。
「母さんごめん、ごめんなさい!おじさんにも一人で謝りに行くから、それは勘弁して……」
「今更謝ったって遅いよ。さぁ、入るんだ!」
力では母には叶わず、水木はそのまま物置へと押し込まれる。
母親は今にこれでもか皺を寄せ、額には血管を浮かび上がらせながら、物置の扉を力強く閉じ、万が一水木が出られぬ様にと外からカチャカチャと鍵を施錠する音が聞こえる。
やがて、音が鳴り止むと外にはもう母親の足音すら聞こえない。水木は此処で初めて、自分が犯した過ちに後悔する。
美味しそうだから、と言った小さな理由で柿をもぎ取ってしまったせいで、まさかこんな事になるとは……
この調子では晩飯も抜きだろうな、と水木はその場にへたり込む。
しかしたったの一晩、次に寝て起きたら以外にもあっという間に日の出が登るやもしれない。
水木はそのまま物置の床へと直に寝転がる。
勿論腰や尻は痛いし、冷たい。
水木は我慢して目をふ…と閉じて、そのまま眠りにつこうとした、その時だった。
(…もしこのまま、母さんに忘れられてしまったら、
ずっと此処に閉じ込られるのかもしれない)
ぞわぞわとした感覚が一気に全身に突き抜ける。
そんな事は有り得ない、筈なのに、当時の水木はその可能性を捨て切る事が出来なかった。
その頃、外は陽が完全に落ち、辺りには夜の闇が立ちこむと、水木の視界は真っ暗になり、辛うじて自身の近くに置かれてある道具類が肉眼で判断出来る程度だ。
(あ、無理だこれ……)
際限の無い、思わず引き込まれてしまいそうな程の暗闇に襲われると、水木の脳内は危機を察知して、施錠された扉をドンドンと叩く。
「誰かぁ!頼む、此処から出してくれ!!」
中から大きな音を出して、大声を叫べば外から人がやって来るのでは無いかと思ったが、そう簡単に行く筈も無く、外からは何も反応が無い。
閉ざされた密閉空間の中では、扉と腕がぶつかる弟、そして自分の叫び声だけが反響した。
「誰か…誰かぁ……」
気がつけば、股間の辺りにじんわりと生暖かい感覚が伝わって来る。
水木は恐怖のあまり、小便をズボンの中心部分にびっしょりと濡らしていた。
しかしそんな事を気にかける余裕も無く、結局水木はその日、扉を叩き、泣き叫び続け、疲れ果てた後はその場で眠りについたのだった。
話は戻って、御堂の中。
水木は過去の出来事を、自業自得だよなと自嘲しながらゲゲ郎へと話す。
あれからというもの、水木は暗く、狭い場所がからきし駄目になってしまった。
南方へいた頃は、生きるか死ぬかの状況でそんな事を気にする余裕も無かったのだが、今は戦争も何も無い、ただの山の中の御堂に閉じ込められてしまうと、あの記憶が蘇ってしまう。
すると、ゲゲ郎の裾を掴んだ水木の呼吸に異変が起きた。
フー、フーッ
息を吸って、吐いてと、何らいつもと変わりない呼吸を繰り返していた筈なのに、気づけば酸素は喉元まで止まり、肺は生命活動を持続させようとするも、満足に膨らもうとしない。
「はっ…ん、ぐ、はぁ……っ」
精神的な不可のせいで、呼吸が上手く体へと回ろうとはせず、水木の体は呼吸を始めとした、様々に異変が起き始める。
自分の意思とは関係無くぎょろぎょろと不規則に動き出す目玉、手先や顔は冷たくなって来ていると、自分でも分かった。
すると、自身の下半身が、何かじんわりとした不快感を催す。
不快ではあるのだが、この感覚は初めてでは無い。
まさか……と思い水木は恐る恐る自身の股間を見やると、ズボンの中心部分が、あの日と同じく、じんわりと生暖かいシミを作っていた。
(嘘だろ、こんな三十路の男が……漏らすなんて)
酷く独特な臭いが、水木とゲゲ郎の間を包む。
漏らした事で水木は羞恥から顔を赤く、わなわなと震えさせた、それがいけなかったのだろう。
この歳にもなって暗い場所が駄目だと言う事、そしてそれだけで、相棒であるゲゲ郎の目の前で漏らしてしまった事が、水木の精神的負荷に拍車がかかってしまった。
水木の呼吸は更に荒くなり、体内へと上手く酸素を循環させることはできずにいると、ゲゲ郎の着流しを掴んで強ばっていた手の力も、薄くなる意識と共にに力を失ってゆく。
(まずい、こんな所で、意識を失ってる暇なんぞ…)
意識が薄れる中、ふと、震える自身の背に、ひんやりとした手に包まれる気がした。
背に回された手の正体を確かめようと、水木は目の前にいる相棒へと咄嗟に顔を上げようとすると、水木の事がどうにもいたたまれなくなったと分かるゲゲ郎が、水木の背を撫でてやったり、軽くとんとんと、普段の呼吸の刻みを思い出させる様にと叩いていたのだ。
「水木よ、心配は要らぬ。此処にはお主だけでは無い、ワシも居る。必ず二人で、此処から出よう」
とん、とん
まるで赤子をあやすかの様な声色と、背を叩くゲゲ郎に、水木は取り乱していた呼吸へと集中していた意識が奪われる
「……っひゅ、ふー…ふ、は、ぁ…」
ゲゲ郎の掌の感触が背へと伝わって来る度に、水木は荒れていた呼吸が、不思議と一定の刻みへと戻ってゆくことを実感する。
(呼吸が、楽になって来る……此奴、また俺の知らない幽霊族の力とやらを使ったのか…?)
強ばって上へと上がっていた肩も、落ち着いて来る。ゲゲ郎はようやくか、とそのまま水木から離れる事は無く息をついた。
「マシになったか?」
「あ、ああ……」
「もう少し、水木が落ち着いたら改めて此処から出る方法を探そう。……それと、後で替えの服を用意せんとのう」
「……すまん、みっともない姿を見せちまった」
「気に病む事は無い。誰しも苦手な物はあるじゃろうて」
水木が蹴ったとて出られぬ扉なのだ。
そう焦っても仕方が無いと結論を出したゲゲ郎は、水木の気が済むまで背を撫でてやった。