一兎を追う④ラスト帰国後、悠仁は休学していた大学を出て友人と共に会社を立ち上げた。仕事が軌道に乗ると、業務の殆どを友人に任せ海外を飛び回る。
一番最初に行ったのはあのアジアのとある国だった。あの人が住んでいた家はまだあったが彼は居ない。
もう5年も経ってしまっていた。
悠仁は再び探し出す。不思議と焦燥感は無く、また必ず会えると何処かで確信めいたものがあった。
そうして仕事がてら地球を一周したあたりに、地中海に面したある国で鼻に傷のある日本人の噂を聞く。
その人は雑踏の中にいた。多くの品物や人々が行き交う中で、悠仁にはその人だけが違って見えた。だからすぐに分かった。彼もすぐに悠仁に気付き、目を見開いた。
そして悠仁の腕の中で美しく笑ってくれた。
「捕まえた」
「今回も一周したのか?」
「まあね、どっから話そうかな」
*
ベッドの上の盛り上がったブランケットがもそもそと揺れる。窓から見える太陽は真上にあるので昼間だろうか。ブランケットから白い手が伸びて、シーツを探るがお目当てのものが無く不機嫌そうな顔をした男が渋々ベッドから起き上がる。
彼の首や胸元、太腿には上書きされ続けた鬱血痕が散らばる。
昨夜もたくさん愛された。10年越しの愛は重たかったが、様々な事情で人に愛情を貰って来なかった男には新鮮で照れくさく、心底嬉しくて恐ろしい。
彼、脹相は裸に羽織だけ着込み、裸足でペタペタと書斎部屋へと向かう。
一年前、雑踏の中で悠仁が見つけてくれた日、もう二度と離れたくないと懇願された。脹相の事情は聞かず、何があっても必ず守るから、と。脹相はと言うと、アジアに滞在中悠仁に再会した時から、彼を愛している自分に5年かかって気が付いた。アジアから出ても各地を点々としていたが、何時でも悠仁が自分を探していやしないかと考えていた。悠仁の分厚い掌や声や眼差し、あの熱に再び触れて愛されたい。早く見付けて捕まえて欲しい。
ただ流れに身を任せて生きるしかない自分の境遇の中、悠仁といつか再会したい、出来るかもしれないという僅かな期待だけで生きてきた。
書斎部屋では、悠仁が丁度Web会議を終えたタイミングだった。書斎のドアが開き、あられも無い姿の恋人が入ってきた。寝癖もそのまま眠そうな目元の脹相は悠仁の胸の中に飛び込んだ。筋肉質の大男二人分の重さに椅子が悲鳴をあげる。思わず悠仁は脹相を抱えて立ち上がると書斎の壁側に置かれたファブリックのワンアームソファに移動をする。
ここは主に悠仁の昼寝用だった。
「おはよ」
「悠仁が居なかった」
昼寝用のソファにはブランケットが置いてあり、目に毒な恋人をそれで包んで膝の上に抱き締めると、寝起きに隣に居なかったことを詰られた。
「仕事してくるよって起こしたけど?」
「俺は寝てた」
「はいはい、ごめんな」
悠仁の黒い兎は、寂しがり屋だった。不器用に甘えられる度、悠仁は口元が緩んでしまって本当に駄目にされている。出会ったときはかっこよくて優しくてえっちなお兄さんだったのに、今は寂しがり屋で甘えたでわがままで愛されることに不慣れな可愛い黒兎だ。
悠仁が友人と立ち上げた会社を回すため、この国で取り引き先を探すことにしたのだ。それに加え、地球二周の経歴と悠仁の元来の性格もあり世界各地に知り合いが出来、仕事も順調だった。
たまに他の国への渡航や、日本に帰らねばならない時もあるが、この国のこの家で脹相は悠仁に囲われる形で定住し悠仁の不在時は留守を守る。家に帰ると悠仁は脹相を目いっぱい愛してくれた。
「仕事は終わりか?」
「午後から人に会うから出掛けるよ、構ってやれんでごめんな」
「高校生のときはあんなに俺に夢中だったのに」
「今も夢中だよ。昨日もいっぱいシただろ」
「でも、足りない」
脹相は悠仁の上で腰を揺らめかす。再会してからというもの、二人はそれまでの空白を埋めるように抱き合ったが兎の発情期は治まりが見えない。
悠仁は鋼の理性で色んなものを抑え込む。
「脹相を守る為、ずっと脹相の傍に居たいから、仕事も頑張らないといけねえの」
悠仁は自分に言い聞かせるようにぶつぶつ独り言を零す。さすがの脹相も、少々バツが悪そうに眉を下げ厭らしく体を擦り付けるのを止めてくれた。
「俺は悠仁が好きすぎるみたいだ」
「嬉しい。俺も大好きですよ」
「違うんだ、もっとだ。寝ても醒めてもお前のことばかりだ。俺は頭がおかしくなったんじゃないかと」
「きっと脹相は俺が初恋なんだな。今まで体は売ってたけど好きになったことは無かったって言ってじゃん、だから俺が初めてなんだよ。嬉しい。幸せだな」
「幸せ?ずっと胸が痛くて苦しい。おかしいんだ。怖い。悠仁が居なくなるのが怖い」
「居なくならんよ」
悠仁は脹相を落ち着かせるように、ずっと穏やかな声で答えてくれる。愛してるよ、好きだよ、大事だよ、そう伝えれば伝えるほど脹相は最悪を考えてしまうらしい。もう離したくないと懇願したのは悠仁からなのに、離さないでと臆病な兎は鳴くのだ。
「脹相、また離れ離れになっても、俺は何処まででもお前を追いかけるよ。地球を何周しようが世界人口が100億人になろうが、絶対絶対見つける」
「俺は地獄に居るかも」
脹相が何故そんな風に言うのかを悠仁は知らない。推測するに、カジノを辞めて海外に渡航するまでの間に何かがあったのだけはわかる。計画はされていた事かもしれないが、彼の人生を大きく変えるだけの出来事のはずだ。やはり肝心なことは話してはくれないが、悠仁にしたらそんなことは瑣末なことで、彼を腕の中に抱き締めておけることだけがこの世の全てだ。
「俺を待っててくれるんだろ?なら何処だって行くよ」
黒い兎を追いかけて。