Melty night and cat鏡に映る自分を見て、ため息をついた。
左肩と胸の刺青も、昔と何も変わっていない。
こめかみに銃口をあてて脳天を貫いたというのに、死ぬ前と同じ姿が映っている。
今の風呂も、食事も睡眠も、生前と大差ない生活だ。
別の世界で人生の続きがあるなんて、本当に変な話だと思う。
現界の人間にこれを予想できた人間がどれだけいるだろう。
そんなことを考えながら、備え付けのタオルで髪を拭いて着替える。
だが、明らかに足りない。
傍にかけておいたコートがなくなっている。
「あいつか……」
犯人は一人しかいないだろう。
それ以外はありえない。
今まで様々なホテルに泊まってきたが、ここは綺麗なほうだ。
彼女は「あなたと一緒にいられるなら狭くてもいい」と言っていたが、今日は広めの部屋を取った。
旅を続ける中で、様々な町と人間に出会ってきた。
この二度目の人生で、旅を選んだのも自分だ。
それでも一番落ち着くのが、夜に彼女と過ごす時間というのは──いささか矛盾しているかもしれない。
バスルームを出て、ベッドのほうを見る。
ベッドの上に、人のコートを着て喜々としている背中が見える。
当然袖も余っており、立ち上がったら裾を引きずりそうだ。
しかも鼻歌まで歌っている。
いつ話しかけようか、少し迷ってしまった。
だが、たとえ見ていて飽きない光景でも、これはいつか終わらせなくてはならない。
「おい、ルーシー」
「わああ!?」
声をかけると、彼女は柄にもない悲鳴をあげた。
誰かに見られたら間違いなく誤解される光景だ。
「いつからいたの!?」
「気づかなかったのか? さっきから見ていた」
「うそでしょう……!」
彼女は振り返ると、顔を真っ赤にして目を逸らした。
「ちょ、ちょっと! 何で上着てないのよ!」
「お前が着ているからだろう」
声にならない叫び声と共に、彼女はこちらに背を向ける。
俺のコートを着たまま、膝を抱えて丸まってしまった。
「何でもう上がってくるのよ……もっと長く入ってなさいよ……」
「これでもゆっくりしていたんだが」
フードを引っ張っても、ろくにこちらを見ようとしない。
裾からすらっとした白い足が伸びていて、無理やり剥いだら蹴りが飛んできそうだ。
「返してくれ。それがないと外出できない」
仕方なく頼んでみる。
勝手に奪った相手に頼むのもおかしいと思う。
だが、この女が変なことをしてきた時は、下手に動くよりそうするほうがいい。
「そうじゃなくて、恥ずかしいのよ……下にネグリジェ着てないの……」
「初めてじゃないだろう。前に包帯を巻いた時は……」
「そういう問題じゃない!」
「分かった。後ろを見ていてやるから、早く返せ」
彼女が枕に手を伸ばそうとしたので、肩をすくめて壁を向く。
枕は飛んでこなかった。
「じゃあ……このホテルの高いお肉奢って」
「どうして人の服を奪ったほうが奢られるんだ」
「まだ、返したくないから」
「それがそんなに気に入ったのか? お前には大きいだろう」
「き、着てみたくなっただけよ……悪い?」
余った袖で顔を隠しながら、いじらしく見つめられる。
いつから、誘惑する術まで覚えたのか。
「……全く」
踵を返して、彼女の頭を引き寄せる。
蝶々の飾りが揺れる耳元に、ついばむように口づけを落とす。
「ふぁ……まって、くすぐったい……」
彼女の唇から思わず声がこぼれる。
口元を抑えようとする手を握ると、耳まで赤くなった。
少しでも慣れないことをすると、いつも彼女は力が抜けてしまう。
慣れないことをしているのは、俺も同じだ。
悪人に堕ちてから、こんなふうに誰かを愛したことなんてなかった。
ずっと触れていたいと思うのは、何度死んでも、きっと彼女だけだろう。
座り込む前に肩を抱いて、首筋に少しだけ舌で触れた。
彼女の肩からコートがするりと落ちた。
それを彼女が気づく前に回収して、そっと離れた。
「これでよし、と」
「え、ちょっと……」
コートを元の場所に戻すと同時に、腰に細い腕が巻き付く。
温かい熱と、柔らかい感触が背中から伝わってくる。
「待ってよ……まだ口にしてもらってない……」
「なら奢るのはなしだ」
また、くだらない意地を張っている自分に呆れる。
奢るとか利害関係なんて、本当は必要ない。
この時間を、何よりも求めているのは自分自身だというのに。
「……わかったわよ……だから……」
巻き付いた腕を解いて、やめないで、と言いかけた唇を塞いだ。
少しだけ離して、抱きしめながらもう一度重ね合わせる。
初めてした時程ではないが、鼓動から彼女の緊張が伝わってきた。
「先に、謝っておく。しばらく、休ませてやれそうにない」
「じゃあ、先に伝えておくわ。……大好き」
「……ああ」
彼女をそっと押し倒して、貪るように唇を求めた。
この時間だけは、何も疑えなくしてくれる。
何もかも、忘れていられる。
心を凍り付かせる過去も、暖かかったはずの思い出も、全て──。
一度枷を外したら、失くしたはずの感情が溢れてきて、自分の理性を埋め尽くしていく。
何も感じられなくなったと思っていた。
それでも、彼女と触れ合っている時だけは、幸せというものを感じられる。
これからもずっと、変わらず渇望していくのだろう。
誰かに心を許し、心から愛されることを。
次の日、羽織ったコートは、彼女の香りがした。