「急に降ってきやがったな」
ドアの外から聴こえる大きな雨音を背に簡素なモーテルの玄関でカーサが呟いた。雨水を含んでずっしりと重くなった服を一枚一枚脱いでいく。海将軍の身であるから水に濡れる事は慣れているが雨水が芯まで染み込んだ服は肌に張り付いて正直鬱陶しく思った。
「待ってろ、湯を入れてくるから」
同じく雨でずぶ濡れになったアイザックは服を脱げるところまで脱ぎ、下着一枚になると足早に浴室へと駆けて行った。
雲の厚い真冬の深夜だった。いつものように地上の偵察任務を行なっていたカーサとアイザックは目的を果たし、帰路に着こうとしていたところ季節外れの豪雨に見舞われたのだった。降り始めの雨粒がアスファルトを濡らし始めた時、彼らは海岸沿いを歩いていた。周りに雨宿りする場が見当たらず仕方なく海将軍として鍛えられた脚で近場のモーテルまで駆け抜けたのである。
「南極の海ほどではないがさすがに悴むぜ」
カーサは冷たい雨に濡れて湿った手を開くとはぁ、と肺の底から吐き出した息をかけてそのままぎゅっと握りしめた。
「カーサ!」
アイザックの声だ。
「今行く!」
声を辿り浴室へ入り込むと人二人がぎりぎり入れそうなくらいの小さなバスタブが目に映った。蛇口からバスタブへ勢い良く注がれる湯の蒸気が浴室に充満していた。…温かい。
「ここにいた方が少しはマシだろう」
「ああ、ありがとうな…」
アイザックはカーサの返事を聞きながら浴室の隅に折り畳まれた新品のバスタオルをばさりと開くと冷え切ったカーサを包み込むようにかけてやった。
「…本当に」
気の利く男だ。優しすぎるほど。だから時折戸惑ってしまう。少し照れたカーサの口からぎこちなく言葉が溢れた。
もう少しでバスタブが湯で満たされる。カーサは水面を見つめるアイザックの横顔を盗み見た。初めて会った時はまだ少年だった。あの頃と比べて顔つきには更に精悍さが増し、凛々しく、逞しく成長した。少し吊り上がった涼やかな目、引き締まった口元。正直、こいつは格好良い。秘密ではあるが男である自分が多少なりとも嫉妬してしまうくらいに。けれどアイザックの成長は近場で見ていたカーサにとって楽しみでもあった。こいつは北欧の血が流れているのだそうだ。赤みがかった色白の肌に雨に濡れた緑色の髪がしっとりと張り付いている。美丈夫。艶やかだと思った。
「もういいだろう。先に入れ。俺は後でいい。」
アイザックは湯の溜まったバスタブの蛇口を締めるとカーサに先に浸かるように促した。だがさすがのカーサもこの状況で優先されるのは気が引けた。
「お前だって冷えてんだろ、入れよ」
「入るって、一緒にか?」
「当たり前だろ」
「二人入るか?窮屈じゃないのか」
「つべこべ言ってねぇで!ほら!」
カーサに根負けしたアイザックは一緒にバスタブに浸かる事にした。人二人分を受け入れた湯船から熱い湯が勢い良く溢れ出した。カーサは細身とはいえ男二人で入るにはやはり狭い。けれど構わない。…カーサと一緒だから。
温かさが骨身に染みる。徐々に体温を取り戻していく二人は瞳を閉じながら至福のため息を漏らした。
「なんかよォ、風情がねぇな」
「モーテルの風呂で風情もなにもないだろう」
ケラケラと笑うカーサ。両手で湯をすくい顔を拭うアイザック。そのまま顔を上げでカーサの顔を見つめるとじっと止まり続けた。
「…なんだぁ?俺の顔になんかついてるか?」
「…今人肌の色をしてるから。あんた。」
普段は青白いカーサの肌が熱で温められて紅潮しているらしい。自然な事だが恥ずかしさを感じたカーサは「なんだよ」と呟きながら口元まで湯に浸かった。アイザックの口に笑みが浮かんだ。あまり感情を面に出さないアイザックの笑みはいつ見ても新鮮だった。カーサはバスタブの縁に肘をかけ頬杖をつくといつの間にか一緒になって笑っていた。
真冬の冷たい雨はまだ降り止まない。その艶やかな水音が雨音か、蛇口からバスタブへ滴り落ちる水滴か、ベッドの上で激しく唇を重ね合わせる二人のものかはわからない。夜は白々と明けてきている。雲は早い。じきに雨は上がるだろう。冬の寒さにも耐え続ける海辺のヤシの木の葉に美しい朝露を残して。