「ガイア!」
「!?」
声変わり前の甘ったるい無垢を残した声音が、樹園の木の袂で隠れるように眠っていたガイアを叩き起こした。火に指が掠めた時のような驚き。思わず反射的に上半身を起こすと、少しだけ得意そうな表情を浮かべた義兄、ディルックが膝に両掌をついて覗き込んでいた。
「脅かすなよ、……心臓がどくどくしてる」
「あは、ごめん。やっと見つけたから嬉しくなってしまった」
ころころと笑うディルックが、未だ焦りの気配を表情に残すガイアに手を差し伸べる。ふくふくとした柔らかな手は、ここのところゆっくりと張る筋が増えてきている。感触が変わった、そう思いながらガイアはその手をとった。
「いい隠れ場所だと思ってたのに。よく見つけられたな?」
「君なら何処に身を潜めるかな、って考えたら。何となく」
「俺ってそんなに分かりやすいかなあ……」
「メイド達も、父さんも見つけられなくて僕に探してくれって言ってきたから、そんな事無いと思う」
「でもお前は見つけちゃっただろ。ちょっと探したみたいだけど」
「それはその、だって、……僕は君の兄だし、」
「……」
「……」
「……ふは、顔が林檎みたいになってる」
「うるさいな!」
気分じゃなかった。
丘々人の駆除任務も、城外の区域偵察も、場内の警邏も、街中ですれ違う民に笑顔を撒く事も、ふわりと花の匂いを纏う女に上っ面のいい言葉を囁く事も、何もかもだ。
たまに、ガイアの心中にはそんなような無気力が飛来した。理由に思い当たる事もなければ、特に探ろうという気にもならない。一人でぼんやりと空を見上げていれば、いつの間にかその真っ白にぽっかりと穴の開いた無気力はすっかり消え失せるのだ。気に出しても仕方がないし、その穴の開く理由は、多分そんなに面白いものではない。大概の事に仔細の理解を巡らせる癖に、らしからぬものだ。ガイアは自嘲する。
「くあ、……」
我ながら間抜けな欠伸だ。飛行上手の後輩でなければ来れないような高所で、寝転んでいるが故の油断。それでもこの場所を彼女に見つけられた事はなかった。日差しの差し込みが良く、風の通しも良好で、見上げた人の目もつきにくい場所だ。日で暖められた石は人肌よりもほんのりと温かい。肌を焦がすような日差しを、涼やかな風がひやりと窘める。微かに鼻を掠めるのは、甘酸っぱい果実酒の匂い。
爪で石をかきむしりたくなるような平穏が、石で砕かれた爪を見て微笑みたくなるような安寧が、モンドの城下に満ち満ちていた。仕事を投げ出して、転寝を享受するには絶好の日和に違いない。遠くで鳴く鳥の囀りも、まるでガイアの『休憩』を後押しするかのようだった。けれど、聞こえる鳥のはばたきは、どうにも騒々しい。こんな屋根の上にまで翼をはためかせてくる者など、騒々しい後輩くらいのものだ。休憩もこれまでか、とガイアは閉じかけた瞼を開く。
「アンバー、わざわざこんなところまで追いかけ、っ」
「後輩でなくて悪かったな」
寝転がるガイアを見下ろすのは、他でもない、燃えるような赤毛を少しだけ冷たい風で靡かせる自身の義兄、ディルックだった。姿を見上げて、言葉が止まった。驚きも冷めやらぬガイアは、日を背に負うディルックを茫然と見つめるほかない。
誰にも見つけられた事のない場所のはずなのに、俺を探していたのか、何の用事で。吐いて出そうになる質問を何とかぐっと飲みこんで、ガイアは何事もなかったかのように言葉を続けた。
「ディ、ルック。……驚いた、何故此処が?」
「……」
「ディルック?」
「……用事を先に問われると思った。此処が見つかる方が、君にとっては大事だったか」
嗚呼、いらない墓穴を掘った。
目線を逸らしても、息を長めに吐いても、きっと聡いディルックにはそう思ったことは筒抜けになるだろう。ディルックの問いかけの返答に、一瞬言い淀んでしまった時点でもう遅きに失したが。頭がきっちりと寝惚けていて、どうにもしようがないほどに日和っている所為だ。だからそんなに不思議そうな目で見ないでくれ。ガイアはいたたまれなくって、いよいよ目を逸らした。
「動揺がすごいな」
「突然現れてくれたものだからな、そりゃあ、まあ、そうなる」
「ふ、」
「……なんだ?」
「あの時とは逆だな、今度は君の顔が林檎になってる」
「!」
ディルックがゆるくはにかみながら自身の頬をつん、と突いたのと、ガイアがぱしん、と隠すように自身の右頬に手のひらをぶつけたのは、ほとんど同時だった。
ふう、と流れる風にわらわれている。そのうえ、ディルックまで穏やかにくすくすとわらっている。ガイアの胸中は、穏やかにならざるを得なかった。