【マサセイSS】年齢の壁 シュートスタジアム併設のカフェで、遅めのランチタイムを楽しんでいたセイボリーは、飲んでいたロズレイティーを盛大に吐き出してしまった。原因は店内のモニターで流れているワイドショーだ。画面の右上に“年の差恋愛?!私が抱いてしまった禁断の恋心”というテロップが出ている。
セイボリーは激しく咳き込み、ナプキンで口許を拭う。このカフェはカウンターを挟んで一般客用、リーグ関係者用と飲食スペースが分けられているため、周囲にはあまり他の客が居なかったのだが、それでも苦しそうに咳をしていれば、ちらりとこちらを見やる者が複数名いた。普段紳士らしい振る舞いを心がけているのに、ワイドショーに心を乱されるとは実に情けない。しかしあまりにもタイムリーな話題だった。
話題の主役は三十代の独身女性だ。彼女はそれまでこれといった恋愛をしたことがなく、通勤途中に出会った少年に惚れ込んだという。少年は十三歳であるが、女性側が思い切って想いを伝え、彼が応えてくれたことで恋人として付き合うようになった。しかし世間的に、このような関係はどう見られるのか。それが今回のテーマらしい。
『いや、しかし一回り以上離れている子に恋愛感情とはねぇ……しかも相手はまだ成人もしていない男子でしょ?』
コメンテーターの男は渋面を作って言葉を濁す。彼が良く思っていないのは、表情からして明らかだった。周囲の出演者もそれに賛同するように次々と意見を言う。
『恋愛経験のない独身というのも、少年に走ってしまった原因なんではないですかねぇ。おそらく寂しかったのでしょうし』
女性タレントでさえも、そう発言する始末だ。彼らの言葉がいちいちセイボリーの心に刺さってくる。だが公共の場でチャンネルを変えてくれとは言えない。
三十代女性と自分では状況が違う。何しろ告白してきたのは向こうからだし、キス以上のこともしていない。それも告白された日の夜にたった一度だけだ。その時に危うく一線を越えかけたが、セイボリーが慌てて止めている。まだ早すぎるのではないかと。
流れに任せないで本当に良かった。もし繋がっていたら今頃卒倒していたかもしれない。徐々に平静を取り戻しつつあるが、まだカップとソーサーがカチカチと音をたてるほどに震えている。
己は、世間が思うように異常性癖の持ち主なのだろうか。マスター道場の主を務めるマスタードとミツバも年の差夫婦であるが、彼らが出会ったのは互いに成熟してからだ。もしマスタードか、或いはミツバが幼子だったならば、果たして彼らは付き合うという選択をしただろうか。
マサルの告白に対し、肯定の返事をしたことが些か軽率だったのかもしれない。もし何処からか情報が漏れて、自分だけが批判を受けるならまだしも、確実にマサルも巻き込まれる。
あの時、大人としての自覚を持って断るべきだったのか。身内で唯一愛を注いでくれた母は既に亡き人になっているし、マスタードやミツバ、道場の門下生達はセイボリーを愛してくれているが、それは家族的なものだ。マサルが向けてくれたのは大切な人を想う特別な愛であり、たった一つの感情を何も持たない凡人たる己に与えてくれる事実が、本当に嬉しかった。だからこそ彼の告白に応えたというのに。
ショタコン、倒錯、ペデラスティ、少年愛――――様々なワードがセイボリーの頭に浮かんで思考を埋め尽くしていく。言い訳を探そうとすればするほど、泥沼に嵌っていっている気がする。
マサルを男として意識せず、本当に子供の恋愛ごっこに付き合っているだけなら、ここまで苦悩はしなかった。彼の愛を受け入れた翌日、一人で借りているマンションに帰ってから、心が傾いていることを自覚した。そしてその瞬間、身体がどうしようもなく火照ってきてしまったのだ。以前までは前を慰めるだけで満足していたのに、マサルの名を呼びながら後ろに手を伸ばしてしまっていた。自分で彼を止めておきながら、本能では求めていた証左であった。
以来彼と会ったり話をする度に疼いて、一人で処理している。立場上頻繁に顔を合わせられないのも、想いの成長に拍車をかけているのだろう。まだ自身より遥かに若く体も小さいのに、日に日に“男”の顔になっていく彼に情緒を狂わされている。ワイドショーの事例を他人事として受け流せなくなっていた。
「ねえ先輩、難しい顔してどうしたの?」
思い描いていた顔が眼前に現れ、セイボリーは思わず奇声をあげて椅子を大いに揺らす。またしても衆目が此方に集まってしまった。
「そ、そんなゴーストポケモン見たような反応しなくたって……!」
「ゴーストポケモンならまだマシです!何故ホワイ出し抜けに登場なさるのですか、あなたは!」
「えぇー?!俺のせいなの?!」
先程のようにロズレイティーを口に含んでいたら大変だった。残り少ないそれをさらに減らしてしまうところであった。道場時代からそうだったが、彼はどういうわけか何かに意識を持っていかれている時に限って近づいてきて驚かせてくる。しかも本人には自覚がまるでないのが、セイボリーとは異なる性質の悪さだった。
「でもさ、好きな人が目の前で悩んでいたら気になるじゃんか……」
責められたマサルは向かいの席につき、唇を尖らせる。そもそも彼のせいで頭がパンクしていのだが、これ以上の理不尽を言う気にはなれず、小さく息をついた。スキャンダルになるのを気にしてかセイボリーにしか聞こえない、雑踏に紛れるようなボリュームでありつつ、堂々と好きな人だと言い切れる彼が羨ましい。
単に若さ故に深く考えず、無鉄砲なだけのかもしれない。もっと世の辛酸をなめれば、マサルの価値観も変わるのだろうか。いや、彼からはそんな気配を微塵にも感じない。セイボリーという一人の人間を想うことそのものに、自信を持っているのだから。
「あの、もし。これからお時間はありますか?」
「うん?一時間くらいだったら大丈夫だけど……」
「充分です。ここから移動して、しばし話しましょうか」
セイボリーは椅子にかけていた上着を腕にかけ、立ち上がる。一人で悩む必要はない。彼に打ち明ければいい。簡単な答えに辿り着くまでに随分時間がかかった。まだ彼を恋人として認められていない部分があったのかもしれない。
「それじゃ、スタジアム裏の噴水広場行こうよ。あそこなら、いつも誰もいないしさ」
セイボリーの意思を察したのか否か、マサルは前を歩いて自動ドアから外に出る。今はその小さい背中が、頼もしく見えていた。