続・トライアングラー?ペリードは、頭の奥が鈍く痛むのを感じながら、ゆっくりと目を開けた。天井の木目がぼんやりと揺れて見える。
「……う、うぅ……」
重い体を引きずるようにして寝返りを打つと、隣のベッドが視界に入る。そこには、まだ静かに寝息を立てているカイヤーの姿があった。
(……なんで俺、ここに……?)
酒場でひたすら飲み明かしていた記憶はある。だが、その後どうやってここにたどり着いたのかは、まるで霧がかかったように曖昧だった。
――「俺は…お前が好きだよ」
一瞬、昨夜の断片的な記憶が脳裏をよぎる。カイヤーの低い声、静かに告げられた言葉。
ペリードは、はっとして勢いよく身を起こそうとした。だが、二日酔いのせいで視界がぐらつき、頭を抱えてうめく。
「……馬鹿みたいに飲むからだ」
寝ぼけたような声がして、ペリードはぎくりとする。カイヤーが目を細めたままこちらを見ていた。片目が髪に隠れたまま、眠たげに欠伸を噛み殺す。
「……お前、昨日のこと……」
「全部覚えてるよ」
カイヤーは淡々と言いながら、ゆっくりと上半身を起こした。ペリードの視線を正面から受け止める。
「……お前は?」
ペリードは息をのんだ。胸の奥が妙にざわつく。
覚えている。確かに聞いた。カイヤーの告白を。
だが、それにどう答えればいいのか――まだ分からなかった。
ペリードはカイヤーの言葉を聞きながら、胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
昨日の告白が冗談や酔いの勢いではなく、本気だったことは、カイヤーの静かな声と、まっすぐな瞳が物語っている。
「昨日も言ったけど、すぐに返事をくれなくていい」
カイヤーは淡々とした口調で続ける。
「お前が納得してから、返してくれ」
ペリードは、無意識にシーツを握りしめる。頭が痛むのは二日酔いのせいだけじゃない。どう答えればいいのか、自分の気持ちすら整理がついていなかった。
「……もし……断ったら……?」
かすれた声で問いかけると、カイヤーはわずかに微笑んだ。
「その時は、そうか、駄目だったな。と諦めるだけだ」
あまりにもあっさりとした言葉に、ペリードの胸が妙にざわついた。
「……それだけ、か」
「それだけさ」
カイヤーはそう言って、椅子に腰掛け、昨夜のうちに用意しておいた水を一口飲む。
ペリードは目を伏せた。
(――カイヤーは、本当にそれだけで済ませるのか?)
諦めるだけ? そう言う割には、カイヤーの横顔にはわずかな緊張が滲んでいるように見えた。
ペリードは、カイヤーに何と返せばいいのか、まだ分からなかった。だが、ひとつだけ確信していることがあった。
「……お前、強いな」
ポツリとこぼした言葉に、カイヤーは眉をひそめた。
「何がだよ」
「俺なら……そんな風に、割り切れない」
「そうか?」
カイヤーは一瞬だけ考えるような素振りを見せ、ふっと笑った。
「……だったら、割り切らなくてもいいんじゃないか?」
その言葉が、妙に心に引っかかった。
ペリードは、昨夜の酒がまだ残っている。
二日酔いの頭がひどくぼんやりとしていた。
朝の光が宿の小さな窓から差し込み、埃が静かに舞っている。部屋の中には、二人の呼吸音だけが響いていた。
カイヤーは、ベッドの隣に腰かけてペリードを見ていた。昨夜の酔いが抜けたのか、彼の表情はいつもの余裕を取り戻しているように見えるが、その瞳の奥にはどこか探るような色があった。
「俺は俺なりに、お前を好きだって伝えるよ」
カイヤーの声は静かで、けれどはっきりとしていた。
「それがお前に鬱陶しいなら言ってくれ」
ペリードは思わず息をのんだ。
昨夜の出来事が、まだ夢のように思えていた。自分は確かにガネットに振られ、ヤケ酒を煽り、気がつけばカイヤーと同じ部屋にいた。
そして今、目の前の男は、まるで当たり前のように「好きだ」と言っている。
「カイヤー…」
どう返せばいいのか、分からなかった。
自分は昨日、ガネットを想って泣いたというのに、今ここでカイヤーの想いを真剣に受け取っていいのか。
けれど、目の前の男は、そんな迷いごとすべて見透かしたような顔をしていた。
カイヤーは静かに息を吐くと、僅かに視線を落とした。
「…抱きしめていいか?」
その問いは、ペリードの心臓を強く打った。
カイヤーがそんなことを聞くとは思っていなかった。
彼はもっと強引に、冗談めかして距離を詰めるタイプだと思っていた。
けれど今のカイヤーは、どこか不安そうだった。
ペリードは、カイヤーをじっと見つめた。
カイヤーの指が、無意識にベッドの端を軽くつまんでいる。
それが、彼なりの緊張の表れなのだと気づいてしまった。
ペリードは、ゆっくりと息を吐く。
答えは、もう決まっていた。
「……ああ」
言葉を返すと同時に、カイヤーはそっとペリードに手を伸ばした。
腕が背中に回る。大きくないが、どこか安心する温かさを感じた。
ペリードは、されるがままにその腕の中に沈み込む。
思ったよりも柔らかく、それでいてしっかりとした抱擁だった。
「…お前、案外、優しいんだな」
冗談めかして呟くと、カイヤーは小さく笑った。
「知ってたくせに」
確かに、知っていた。
カイヤーはずるくて打算的で、けれど根の部分では驚くほど優しい男だ。
ペリードは目を閉じた。
昨夜の痛みも、今だけは、ほんの少し遠のいていくような気がした。
それから、カイヤーは遠慮しなくなった。
愛を伝え、触れて、まるでペリードの傷心を癒やすことが当然であるかのように振る舞った。
最初は戸惑いもあった。
ペリードはガネットへの想いを断ち切れずにいたし、カイヤーの愛情がどこまで本気なのか測りかねていた。
だが、カイヤーは決して引かなかった。
「ペリード、もう少し肩の力を抜けよ」
そう言って、不意に肩を揉んできたり、戦闘後の手当てのときにさりげなく指先を這わせたりする。
今までの「冗談混じりのスキンシップ」とは違った。
カイヤーは本気で、ペリードに触れていた。
ペリードがふと遠くを見るような目をしたときも、カイヤーはそれを見逃さなかった。
言葉ではなく、手を重ね、温もりを与えた。
「辛いなら、無理に笑うな」
そんなふうに囁かれたとき、ペリードは思った。
こいつは、本当に俺を見ている。
ただの慰めなんかじゃない。
ガネットの代わりでもない。
カイヤーは「ペリード」という人間を愛そうとしている。
それに気づいたとき、ペリードの中で何かが崩れた。
強がるのをやめた。
カイヤーの言葉を、仕草を、手のひらの温かさを、真っ直ぐに受け取るようになった。
そしてある夜、ペリードはカイヤーの肩を掴み、ゆっくりと顔を寄せた。
迷いは、もうなかった。
ペリードがカイヤーに落ちるまでは、時間の問題だった。
ペリードの大きな手が、そっとカイヤーの肩に置かれる。
迷いがちに揺れる緑の瞳が、カイヤーをまっすぐに見つめていた。
「キス…しても…いいか?」
かすれた声だった。
それほどまでに緊張しているのかと思うと、カイヤーは少し笑ってしまう。
「聞くなよ。俺からするか?」
冗談めかして囁くと、ペリードは困ったように眉を寄せる。
「からかうなよ…」
情けない声を出しながらも、その手はカイヤーを放さなかった。
いつものペリードなら、こういう場面では照れ隠しに誤魔化してしまうだろう。
けれど今は、誤魔化さなかった。
ペリードは小さく息を吐き、深く頷く。
「待たせてすまない、カイヤー…。お前の気持ちを受け取った。これから、よろしく頼む」
その言葉に、カイヤーは目を細めた。
まるで、大きな商談を成立させた時のような満足感。
けれど、それよりもずっと甘く、心地のいい達成感だった。
「上出来だ」
そう言って、カイヤーはペリードの首に腕を回し、今度こそ自分からキスをした。
おしまい。
【おまけ】
ペリードの唇を離れたカイヤーは、満足げに微笑みながらペリードの頬を軽く撫でた。
ペリードはまだ少し恥ずかしそうに目をそらしながら、けれど確かにカイヤーの肩を抱く腕の力は強くなっていた。
「……なんか、こういうの、慣れてるよな」
ぼそりと呟くペリードに、カイヤーは肩をすくめる。
「ま、それなりにはな」
軽く流しながら、カイヤーはふっと真面目な表情になった。
そして、ペリードの手をぽん、と叩く。
「そういや、先に言っとくが――」
「?」
ペリードが不思議そうに顔を上げるのを見て、カイヤーは軽く笑いながら、さらりと言い放った。
「ちなみに俺は受けは無理だ。バリタチなんでな」
「……は?」
一瞬、ペリードの頭がついていかず、間抜けな声が漏れる。
「いや、その……お前、俺より小さいし……」
「関係ないね。俺は攻める側なんで、そこは譲れねぇな」
あっさりと言い切るカイヤーに、ペリードは完全に言葉を失った。
いや、別にどっちがどうとか、まだ何も考えてなかったはずなのに、なんだこの既定路線のような言い方は。
「……そ、そうなのか」
「そうなのさ」
にっこり笑うカイヤーを見て、ペリードは何かを悟った。
この商人は、きっと何があっても自分の主導権を手放すつもりはないのだろう、と。
(……これから俺、大丈夫か……?)
恋人になったばかりだというのに、早くも先行きに一抹の不安を覚えるペリードであった。
おしまい!