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    片鱗 げんみ❌ 周と夕介の小説

    本編から数年後。就職した夕介。


     丁夕介はカッターを握り締める。刃渡約十センチメートル。十分人を殺し得る長さだ。この狭い五畳半のワンルームに引っ越した時は、まさかこのカッターで他人の命を奪うことになるとは思ってもみなかった。

     夕介は人を殺したことがある。が、彼はその時のことをあまりよく覚えていない。どうやら夕介には別の人格があり、その人格が殺人を行ったらしい、と保護観察官には教えてもらった。
     加えて、裁判の直前まで夕介は自分の別の人格を認めておらず、全て自分のしたことだと主張していた、そして裁判の途中で別の人格が顔を出し、夕介ではなく自分が殺人を犯したと自供を始めた、と監察官は言っていた。
     夕介はその事件のほとんどを記憶していない。気がつくと自分を苦しめていた全ての要因が消えていて、まるで神様が気まぐれに自分を救ってくれたみたいだ、と思った。
     裁判の結果夕介の解離性同一障害は認められ、彼が少年院に行くことはなかった。彼が学校でいじめられていて、家庭環境もあまり良いものではなかったことも、温情の判決に至った要因だろう。
     その後夕介は、高校を全く別の場所に移した。そして、彼の過去を誰も知らない土地で、何もなかったかのように高校、大学を卒業し、なんとか就職まで終えた。今までの苦しみが幻だったのではないかと思うほど、順調な人生だった。しかしそんな彼の平穏は、就職した先であっけなく壊されることになる。

    「お前、同級生と親殺したんだろ?」
     夕介を誰もいない会議室に呼び出した同僚は、突然そんなことを告げた。夕介の額に冷や汗が滲む。
     まさかこの場所に自分の過去を知っている人間がいるとは思っていなかった。そもそも夕介の実名は少年法で守られていたから、あの事件が夕介と関連があることは知りようがないのだ。
    「な、なんで知ってるんだ?」
    「あー、俺の大学のダチがお前と同じ高校で、そんで教えてくれたんだよ。丁夕介は人殺しだって」
     平穏な日常が崩れる音がする。今まで誰にも知られないように、必死に積み上げてきた平穏が。
    「なー、丁。このこと誰にも知られたくないよな?」
     悪魔のような同僚の囁きが、夕介の脳みそを揺らした。

     その日から同僚は、夕介に金を要求するようになった。最初こそ少額だったが、抵抗しない夕介に気をよくしたのか、その額は次第に増していった。どこでそんな大金を使っているのかと疑問だったが、どうやら彼はギャンブル依存症らしい。賭けに負けた日は、金をせびるだけでなく夕介に暴力を働くようになった。
     家を知られた後はもっと最悪だった。同僚は合鍵を勝手に作ると、夜中に家に上がり込み、寝ている夕介を叩き起こして彼を殴る。そして満足したかと思えば、金を奪って家を後にする。そんなことが日常になっていった。

     その日は、いつにも増して同僚の機嫌が悪かった。
    「お前のせいでまた負けたじゃねえか!くそっ!お前みてぇな人殺しの金に価値なんてねぇんだよ!」
     いつもは拳で行われていた暴力が、今日は凶器を伴う。いつのまにか彼が家に持ち込んだ灰皿が、鈍い音をたてながら夕介を痛めつける。
     どうして自分の人生はこうも上手くいかないのか。ようやく両親から解放されたと思ったのに、今度は犯した覚えのない罪のせいで苦しめられている。
     もう我慢できない、そう思った夕介は咄嗟にその場にあったペン立てからカッターを抜き取った。
    「は、何?抵抗しようっての?流石人殺しだな」
     同僚は少し焦りを見せながら笑う。一方夕介は武器を手にしたはいいものの、この期に及んで他人を害する勇気は持っていなかった。
     カッターを握る手が震える。同僚の灰皿が自分に向かって振り下ろされる光景が、スローモーションに見えた。
     
    「そういうのさ、俺がやるって言ったじゃん」
     ふと、夕介の鼓膜をゆったりとした低音がくすぐった。次の瞬間、夕介は干したての布団に飛び込んだときのような柔らかさを感じながら意識を失う。

     どのくらい時間が経ったのか、次に夕介が目を開けると、先程まであれだけ元気だった同僚が目の前に倒れ込んでいた。眠っているわけでも、意識を失っているわけでもないと、すぐにわかる。真っ白だった彼のワイシャツが、最初からそうだったかのように赤く染まり上がっているからだ。不快感を覚えて自分の手を見ると、ぬるっとした赤色で濡れている。自分が何をしてしまったのか理解するのは難しくなかった。
    「ごめん、もっと早くに助けてあげられなくて」
     頭上からそんな声が聞こえた。思わず頭を上げると、そこには、ずっと忘れていた人が立っていた。
    「あまね、さ……」
     どうして今まで忘れていられたのだろうか。自分を救ってくれたのは神様なんかじゃなくて、目の前に立っている至リ周だということを。自分を苦しみの渦中から連れ出して、罪を背負った周のことを。
    「なんで、なんで今までそばにいてくれなかったんですか……!?ずっと一緒にいるって約束したのに……」
    「……ごめん。やっぱり夕介くんの幸せな日常に俺は要らないって思ったんだ」
     なんて身勝手な人なんだと思った。俺はこんなにあなたを必要としているのに、その気持ちを捨て置いて勝手に消えてしまうなんて。
     しかし、自分を裏切った男を前にして夕介が抱いた感情は、言葉にしようのない愛おしさだった。
    「……また会えて嬉しいよ、周さん」
    「……うん、俺も」
     夕介は腕を伸ばす。どう頑張っても抱きしめられないその人は、それでも自分の腕の中にいるのだと実感した。
     
     同僚に害されたおかげで、また周に会うことができた、と思ってしまう。たとえ人を殺したのが周だとしても、この気持ちは間違いなく自分の罪だ。
    「また、一緒に逃げてくれますか?」
     きっと前回と同様、警察に捕まるのは時間の問題だ。だからこの逃避行は、周と共にいる時間を引き延ばすためだけのものになる。周がこくりと頷くのを見ると、夕介は手を引いてその小さな家を後にした。
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