antidote ん、と小さな声。緊張で力の籠る唇から震えが伝わり、黒々とした睫毛が揺れる。
「Darling……イサミ」
そんなに怖がらなくていいと教え込むように親指の腹でやわい唇を撫でた。
こんなにも美しいのに本人ばかりがその輝きを知らず、無頓着に放置され続けてきた肌を丁寧に整えたのはスミスだ。ボディやリップでクリームを使い分け、決して傷つけないように優しく擦り込む手に「お前って結構マメだな」とすっかり感心するイサミを何度笑顔で誤魔化したことか。まさかこんな事をするのは――スミス自身さえも除いて――イサミだけだよと言えないのは、全てはスミスの為の下ごしらえだからだ。
スミスの手によってスミスの為に磨かれた皮膚。だから、触れる権利は自分にだけあるとスミスは存分に堪能する。何度か撫でさすれば躊躇いながらも口は薄く開いて白い歯が覗く。健康的に焼けた褐色気味の肌に白さが映えて、スミスは感慨に耽った。
「That's good」
そうっと、怖がらせないように。肉食獣が気配を潜ませる仕草でゆっくりと唇を重ねる。ぷちゅ、と存外可愛い音がした。
「んっ……」
イサミの鼻から零れた息が顔にかかる。まだぎこちなくはあるけど、随分と鼻呼吸も上手くなった。キスの間は鼻で息をすることもわからずに窒息しそうになっていた頃がすでに懐かしい。
「可愛い……イサミ、Cuteだ……」
角度を変えて、唇の厚みを、イサミの反応を、味わい尽くす。重ねるだけで十分に美味しいけれどメインはまだまだ。後頭部と腰に回した腕でイサミを引き寄せ密着させて、二人から隙間をなくす。
Tap tap,ここを開けてと舌で歯を舐める。ぬろりとした感触に腕の中の体が大袈裟に跳ねる。一瞬にして強張る筋肉からイサミの様子を観察して、根気強く扉が開かれるのを待つ。
「ふっ、ぅ」
そろりと噛みしめた歯が開いても、まだ。射撃で必要なのは冷静さと忍耐強さであるように、じりじりとした焦燥感を理性で押さえつけてタイミングを見計らう。やがてイサミの顎から力が抜けてようやく、舌を挿し込んだ。
んぐ、とイサミの喉から苦しい音が洩れる。体つきは立派でもイサミの咥内はとても狭くて、スミスの舌が押し入ると満杯になる。温くて甘い唾液を啜り、くちゅくちゅ音を立てて舌を絡めた。零れるイサミのくぐもった嬌声が、翻弄されて引き攣る喉が、荒くなる鼻息が、縋るようにスミスの服を握り締める手が、スミスの何もかもを煽った。
「My love……イサミ、愛してる」
キスの合間に囁いた。貪り尽くしたい、いっそ蹂躙したいという気持ちを慈しみたいという想い一点でねじ伏せてしまえるくらいには愛しているのだと、舌を取られたイサミが何も答えられないことを良いことに注ぎ込む。
どんどんと力が抜けて崩れ落ちるイサミの体を支え、それでもまだ唇を追いかけて離さない。鼻呼吸だけでは酸素が足りなくなりつつあるイサミの顔が赤みを増して、間近の睫毛が涙で濡れる。
「う、うーっ!」
ドン、ととうとう背中を叩いて抗議を受けた。でも、まだ、惜しくて、離れがたくて、もう少しだけと追い縋る。
ああきっと後でイサミに叱られるんだろうなぁと頭の片隅でぼんやり考えながら痺れ切った舌をちゅうっと吸い上げて、名残惜しくもイサミを解放した。スミスに吸いだされて口から突き出す形となった舌に、どろりとした唾液が纏わりついている。解放したばかりだというのにもう吸いたい。
「てめ……」
眉間に皺を寄せたイサミに睨みつけられた。平素であればドーベルマンのように凛々しいイサミの眼光は突き刺さるほど鋭いというのに、涙で潤む瞳では庇護欲しか湧いてこない。
「少しは、手加減しろ……!」
バカ、ともつれる舌で文句を言われて、申し訳なさを演出する為にスミスは眉を下げてみせる。Sorry,悪かった、ついがっついてしまったと謝れば、心優しいイサミは不貞腐れた表情で「反省しろ」と言いつつも許してくれる。そういう甘いところもスミスの愛する部分だ。だからどうかまだ暫くは気付かないで欲しい。これでもスミスは相当手加減しているということに。