ある晴れた日の午後男という生き物が好きなのだろうか。
だから私は、潔く抱かれる側にまわったのだろうか。
鈍い痛みを感じながら、横目にさっさと服を着直す彼を見る。
以前から、私はこんなだっただろうか。
今は自分のことすら、よくわからない。
”男らしさ”という言葉を口にするたび、苦い違和感が残る。
星の数ほど存在する男性を一元的に説明しようとすること自体が傲慢だが、そもそも前時代的な、実態のないものに対する信仰、その胡散臭さがまとわりついて離れない。不潔なものを手で払いたくなるような、そういう響きの言葉だと思う。
そんな言葉に、同時に、寄り添って欲しくなるような気がするのはなぜだろう。
ブラインドの隙間から陽の光がちらちらとさしこんできて、咄嗟に手のひらを瞼にあてる。
物心ついたときには既に「完全な存在」としての自負があった。
何もかもを手に入れながら人生を乗りこなしていくことになんの躊躇いもなかった。
すべてが手の内にあった。父の大きな背中を誇った。まるで自分の未来を、他者から求められる栄光に満ちた未来を、見ているようで。
だが大人になるにつれ、わかってきたことがある。
世界は虚構でできている。
未知の事象に夢見ながら膨らませた想像は、父を大きく逞しく見せていた。
そんな環境があったから、私は勘違いをしたまま走り続けてこれた。
夢から醒めてしまった。そう考えると寂しくもあるが、肩の力を抜くと世界はよりシンプルになった。
事実、ここに存在するのは、ただ一つのちっぽけな身体のみだ。
そして—————そんな小さな身体ですら、ろくに優しく扱えない人間もいること、これがごく最近の新たな発見である。
たった今彼が着たばかりのスラックスを締めるベルトを、ぐいと引っ張ってみる。
お前は何と戦っている。
閏で揺れる瞳は、何に怯えている。
できることなら、お前の邪魔をするものはすべて、取り去ってやりたいのだが。
「何考えてるんですか、鯉登さん」
髪を掬う手は熱い。
月島の体温だ。
深爪がちの指の荒い感触がたまらなくなり、私は再び枕に顔をうずめ、目を閉じる。
月島は私のように、”男らしさ”という言葉に違和感を抱かないだろう。
例えばそれが、体や精神の屈強さや、行動力、大切なものを守るために自分を顧みぬ優しさを指すのなら、むしろ月島は望んでその姿を演じているようにすら見える。
ああ、そうか。
もし月島がそうなることを望んでいるというのなら。
"男であること"だけが、月島が生まれ持った唯一誇れそうなものだと、そう月島が思い込んでいるからなのかもしれない。
屈強さを演じるのは、自分の価値を確かめるのにむしろ、都合がいいのかもしれない。
私にだって、"それ"に頼りたくなる時がある。
男子に生まれたのだ。力強く、歩き出さなければ。と。
でも。
月島はどうだろうか。
私の歩みには、常に兄と両親がいて。
足が縺れて転んでしまっても、消毒をして絆創膏を貼って。
まただいじょうぶ、と前を見ることができた。
月島はどうだったのだろうか。
転んだ月島はきっと、つばなんかを適当につけて。
次の瞬間にはもう、転んだことなんか忘れただろう。
目の前に、もっと大切な、守らなくてはいけないものがあったから。
月島にとっての"それ"はきっと、消毒薬ではなくて。
麻薬のように、月島を痛みからさらっていったのだろう。
腹の中に残る月島の感触に、もう一度じわりと物欲しさが迫ってくる。
月島のこの熱はおそらく、その虚構の下で疼く自我の衝突から、流れてくるものだ。
「私はお前のそういう不器用さこそが、愛しいのだが」
「なんの話を」
頭をボリボリとかく月島の、困った顔がかわいい。
月島はまだ、夢を見ているだろうか。
私といる時はいつも大人ぶるけれど。
男という夢に囚われているんじゃないだろうか。
「春見さんといた時の月島は、もっと男らしかったのだろうな」
「もっとわけがわからない」
月島は隣に腰掛けたまま、肩越しに私を見下ろす。
目の前に隆々と続く、肉体。
月島の体を見ていると、大自然に抱くような感動を覚えることがある。
風が吹くのだ。
山のようだ。だけど田舎で見るような、なだらかな山ではない。
雪で覆われたアルプス山脈だろうか。
いや、もっと、ずっしりと重くて。けれどごつごつとした岩のような存在感があって。容赦ない厳しさに耐え続ける美しさだ。
ああ、あれかもしれない。いつか兄さあが写真を見せてくれた、ノルウェーの。
「フィヨルド」
月島は一瞬きょとんとしたが、もうついていけないと思ったのか、短いため息をついて立ちあがろうとした。
「待て」
「鯉登さん、疲れたでしょう。少し寝てっていいですよ」
時間になったら起こしますから、と言いながら、脱ぎ散らかされたシャツを拾い、袖に腕を通していく。
「話がまだ途中だ」
腕を引かれ振り向いた月島の瞳は、逃げそびれた子どもみたいに小さく揺れていた。
春の風が窓を叩く。
「話っていうより、独り言でしょう」
「なぁ、お前は」
「"男"である自分のことを、どう思う」
「はぁ?」
「たとえば、もし月島が女に生まれていたら、どうだったと思う、今と比べて」
「貴方は俺が女だったら良かったんですか」
「私は性別なんてなんだっていい、月島が月島であれば」
「だったらなんでそんなことを」
「なんだっていいのだが、月島の意見が聴いてみたい。というより冷静な自己分析を」
月島はどうしてこう魅力的なんだろうと思うから、その答えが知りたいから訊いている。
力を込めて見つめると、月島はまたこちらに体を向けて、ふう、と息をつく。
かわいらしいやつだ。我儘を放っておけないのだ。
「俺は自分に興味がないので、自分の身体がどういうつくりだろうと気にしないんですが」
「でももし女だったら…面倒くさかったでしょうね、色々と」
「どういう意味だ、面倒くさいとは」
「まず女でこの性格だったらいやに目立つでしょう。俺は静かに生きたい」
「月島は人を殴りさえしなければむしろ目立たない性格だと思うが、男でも女でも」
「でも俺は力があるし、目つきが怖いと怯えられるので」
「まぁ、確かに」
「でも好き勝手したいじゃないですか」
「好き勝手している女も大量に存在するぞ」
「そういうことじゃなくて」
「どういうことだ?」
「"待つ"のは性に合わないんです。俺は言葉で表現するのが苦手だし、何かをもって、証明しないと」
「証明?」
「自分の身体を使って、守ることしかできない」
「『守る』?誰を、何から」
「…鯉登さんは、守られる必要なんてないのかもしれませんけど」
また、その。
何かにぶち当たって、だけど気づかぬふりをして、そっと逃げる。
その、顔。
「春見さんのことを、月島は、守っていたのか」
「なんでまたちよの話を…」
脳裏に、以前一度だけ写真で見たことのあるだけの、白くか細い女の体がよぎる。
ひどく無礼なことだ。だけど。
彼女を抱く月島は、何もブレーキになるもののない、男だったんだろう。
彼女の身体は、月島の夢を許したのだろう。
私の身体なんかよりも、柔らかく、月島の力を飲み込んで。
だから月島は、自分を保つことができたんだ。
男で、いられたから。
だから、月島は今、ここにいる。
でも。
月島の中の"男"が、他の誰かによって支えられたものなのなら。
崩したい。
そんなもので保たれている威厳など、何の価値もないと、全身で訴えてやりたい。
月島。
私は月島がいいんだ。
男なんてつまらない。月島がいい。
そう思うのは、間違っているだろうか。
「月島」
「はい」
「月島は、私のことを抱くとき、どんな気持ちなんだ」
守りたいとか、思うか。
それとも、また別の感情が湧くか。
「どんなって…」
「私は強いんだ」
月島が、もう一度私を見る。
「月島、お前は確かに力がある。殴り合いで敵うやつは滅多にいないだろう。
だが、私も強い。自分の身くらい、自分で守れる」
月島が力を誇示する必要はないんだ。
「どうして、そんな」
「なぁ、月島は忘れているかもしれないが」
「私がお前を抱くことだってできるのだぞ」
「はあ」
「月島」
月島。わかれ。
「それでも私が月島に抱かれているのは」
いきり立つ熱を抑えきれないくせに、私の身体を、不恰好に撫でるのが。
指先から、大切にされているのだ、と理解できてしまうのが。
そういう愛し方しかできない月島が、愛しくてたまらないからだ。
こんなに健康的に鍛え上げられた男の体を、ワレモノのように大切に扱ってしまう月島は、きっとこれからもそうやって生きていくしかないのだろう。
なんて自覚のない、不器用な男なのだろう。
見つけてやる。お前を。
受け取って、感じて、投げ返してやる。
月島、お前は気づくべきなんだ。
お前自身の持つ、熱く流れる愛すべき感情に。
私は何にだってなれる。だから。
「この手を、人を殴るために使うな」
月島の堅く握られた拳を開いて、胸に押し当ててみる。
されるままに俯く、その顔が好きだ。
「私に触れるためだけに、使え」
月島は戸惑いを隠せない目で、私のことを見る。
なあ、私たちはまだ、始まったばかりだな。
これからはきっと、嬉しいことだらけだ。
「……心配するな、ちゃんと好きだ」
そっと口づけをすると、月島は私の頭を乱暴に掴み引き寄せた。