ノイハイ♀︎のお話その1 私の名前はアルバート・ハインライン。プラントにあるハインライン設計局は私の一族の物だ。
父は優秀な技術者で、母はハインライン直系の一人っ子だ。そして彼女もまた優秀な技術者だ。だった。2人は婚姻統制によりマッチングされ結婚を機に母は一線を退いたという。夫婦仲は悪くなく程なくして私を身ごもった。直系の子供という事で懐妊はたいそう喜ばれた。産まれた私を見て父と母は「大切な私達の子」と喜んで慈しんで愛して育ててくれた。 しかし他の者は違った。「なぜ男児ではないのか。女が跡を継げるわけないだろう」と。両親は「性別で跡を継げるか継げないかは決まらないだろう、時代錯誤でナンセンスだ」と言い、私に出来る限りの教育と教養と愛情をくれた。私自身も2人の能力を継ぎ優秀だった。教えてくれた事は全て吸収し彼らの期待に応えようとした。しかし、私の運命はある日一変する。
弟が産まれた。私が十歳になる年だった。
一族の者は「後継が産まれた」と喜んだ。そして時代錯誤だ、ナンセンスだと言っていた両親もいつの間にか弟が跡を継ぐのだと言うようになった。その頃から家庭教師としてアレクセイ・コノエが私にあてがわれ、両親よりも彼と居る時間の方が多くなった。彼は他の人のように同情的に見たり、蔑む視線を送ることもなく「ただ一人の人間」として接してくれた。
彼が担当したのは主に私の情緒に関するものだった。私は両親から既に色々な知識を授かっている。知りたい事が出来ればだいたい論文などを見れば理解出来る。けれども目には見えない心の内の事は、わからない。今思えばあの頃、私が彼に求めていたのは家族の愛だったのだろう。私に愛をくれない両親に代わって。
アカデミーに入る頃、コノエの家庭教師は終わったがその後も折により連絡をとっていた。アカデミーを卒業してからは設計局に入り開発に専念した。親の七光りだと噂されたが私が優秀なのはすぐに証明され、表立って言われる事は少なくなった。
しばらくして地球との戦争が激化し私を貶める暇など無くなったらしく煩わしい事もなくなった。代わりにコノエが前線に赴く話を聞き、彼が怪我なく帰って来ることを祈る自分がいた。
コノエを案じ激化する戦争に嫌気がさしてきた頃ザラ議長より「戦争を終わらせる為のMS」の開発を依頼された。
戦争を終わらせる為=終わればコノエは前線に赴かなくてよい。そう考えた私は自分が考えうる知識と、連合から奪取した機体を解析したものと、私の全てを掛けて作り上げたMSは、扱える者がいなかった。そしてシーゲル・クラインと出会う。かの歌姫と共に。
彼らに託した私の自由と正義は束の間の平和をもたらしてくれた。そして私に自由と正義を教えてくれた。
時を経て、自由と正義の彼らと出会う。私よりも十も歳下でザフトで見る軍人達と違い儚げで、本当にあのMSを動かしていたのかと不思議に思ったものだ。けれど私が敬愛するラクス・クラインと共に、自ら考え、自らが選び取った未来を手に出来るよう、戦う事を選んだ人達の為に、私は私が出来うる限りの事をしたい、そう思いコノエと共にコンパスへと出向する事になる。
コンパスに出向し私はかのアークエンジェルのクルーと会うことが出来た。重力下のバレルロールをやってのけた操舵士の男性はどんな筋骨隆々の人かと思えば意外と細身の男性だった。彼に聞きたい事を直接聞けるチャンスだと、マグダネルが話し掛けていたがそれを押し退け彼に聞きたいことを聞けば返ってきた返答は『気合い?』とのこと。少し困った顔が彼を年齢より少し幼く見せた。その顔を見て心の中で感じたことの無い感情が芽生えた気がした。それに戸惑いおかしな事を口走ってしまい、後にコノエに揶揄われてしまった。
顔合わせ以来、彼と会う機会はそう無かったが時折艦長たちとの打合せ等で顔を見る事はあった。ラミアス艦長やフラガ大佐のアークエンジェルクルー、シンやルナマリア達のパイロットとも親しげに話す彼は、仕事の際の凛とした表情と違い、あの時の困った顔と同じ様に少し幼く見えた。
…彼は私と話す時はどちらの顔をするのだろう。
彼との接点が見つからないまま時は過ぎ、ファウンデーションの仕掛けた罠で、アークエンジェルが堕ちた。あの作戦に参加した者の生死は不明だった。
不沈艦だと言われたあの艦が。彼が操縦するあの艦が。ありえない。彼が死ぬなんてありえない。
動揺する心とは裏腹に脳と身体は働き、コノエ艦長へ現状考えうる事実を伝える。艦長の発した「そう簡単にやられる連中か」その言葉に事実とは別に、そうであって欲しいと願わずにはいられなかった。
コノエは彼らが生きて戻ってくるであろうと、ファウンデーションをそのままにする訳はないだろうと、だから出来るだけの事はして彼らを待つと決めた。私は彼に従うまでだ。コノエがそう言うのだからアークエンジェルクルーは生きてこのミレニアムにやって来るのだろう。
艦橋にやって来た自称海賊に私は歓喜した。あぁ彼は生きていた。生きて私の前に現れた。感情が顔に出ないよう、表情筋を総動員したつもりだ。途中までは上手くできていた。けれど彼が近くに居るという事実に胸が高まり、それと共に私の口調も早くなり、作戦概要を伝え終えた時にはポカンとした彼の顔があった。私はまたやってしまったようだ。コノエに揶揄われもう二度と彼の前でみっともない所を見せないと心に誓ったのに。コノエを見ると「仕方のない子だね」と顔に出ていた。
艦長職をコノエからラミアスへと移譲する。あの椅子に彼以外が座る事に不満がないと言えば嘘になる。けれどこれから行うのは護りの戦いではない。攻めの戦いだ。ラミアスが艦長だというのなら操舵はもちろん彼だ。焦がれた彼の操舵を体験出来るのだ。これから生命を賭けた戦いに挑むというのに、場違いだとわかってはいるが興奮を抑えきれない。
急制動からのコブラ機動、私の耐熱耐衝撃結晶装甲を信じ陽電子砲の雨の中回避せず突き進む。無重力状態でのドリフト。コノエが使わないと言った戦闘艦橋と轟天を正確無比に敵戦艦へと突き刺す。
どれも私の予想通りだ。理論上可能だと知っている。私が設計したのだから。ザフトからも設計局からもコノエからでさえ過ぎた装備とスペックだと、誰も扱いきれるものでは無いと言われた。
だがどうだ。ラミアス大佐と彼は私の想定以上に使いこなしたではないか。これで興奮せずに居られる訳はない。
戦闘が終了し私の目の前でパートナーの無事を喜び、再開の熱いキスを繰り返すフラガ大佐とラミアス大佐に艦橋は大盛りあがりでコノエでさえ「しょうがない」と言わんばかりの表情で止めることはしない。
私とて三十を過ぎた人間だ。死線をくぐり抜け生きてパートナーに会えた喜びと無事の確認を口付けでしているのだろう、という事は理解できる。…免疫がないだけで。
「お二人共、ここはミレニアムですので、そこまでにして下さい。行きますよ」
いつの間にか操舵を交代し入口近くに移動してきていた彼は慣れた様子で二人を諌め、コノエへと退出の許可を取る。
「ラミアス大佐もフラガ大佐もお疲れでしょうから、このまま休憩に入って下さい。後のことはお任せ下さい」
ノイマン大尉も、と声をかけられた事で彼がここから退出するという事実を理解する。追いかけたい。追いかけて彼に聞きたいことが沢山あるのに。彼に言いたいことも沢山。
「ハインライン大尉、現状の解析を頼むよ」
そうコノエに釘を刺されてしまえば是と応える他ない。言外に『彼を今追いかけてはダメだよ。休ませなさい』という事だろう。止められなければ、このまま追いかけて疲れている彼をまた質問攻めにしてしまうであろう事を予測され、そんな予測が当たっている自分に腹立たしさを覚える。
彼と話す機会はすぐに現れた。正しくは展望スペースにいる彼を見つけたのだ。時間的にも一度仮眠を取ったであろう彼は自室ではなく展望スペースにいた。周りには誰もおらず彼一人音もなくただ漂っている。通路にいる私に背を向け、外の宇宙空間を眺めている。いつもの私なら彼を見つけた瞬間、先程の戦闘データの確認をと声を掛けていただろう。しかし、それは憚られた。声を掛けて良いのだろうかと、私のなけなしの情緒が止めた。暫くとはいってもほんの数秒だろう。彼の後ろ姿をただ眺めていた。不意にくるりとこちらを向いた彼は、いつもの凛とした、仕事用の顔だった。
「入ってこないのですか?」
声を掛けられたのが自分なのだと一瞬理解ができなかった。
「は、あ、いえ入って構わないものかと、思いまして…」
彼を見ていたという罪悪感からなのか、自分にしては歯切れの悪い返しになってしまう。
「ここは共用のスペースなのでしょう?」
ここで立ち去れば「貴方がいたから入りません」と言っているように取られるのではと考え、心を決める。
「では、失礼します…」
そっとスペースに入り自販機で飲み物を取り、どうしようと悩む。
立ち去るか、離れたところにある備え付けのソファに腰掛けるか、彼の近くにある外を覗くためのバーか。
どれを選んでも気まずい事この上ない。
「ハインライン大尉は休憩ですか?」
掛けられた声にまた反応が遅れてしまった。
「え?あぁはい、この後は長めの休憩になります」
「ならお疲れの所引き止めてしまいましたか」
少し申し訳無さそうな顔をされてしまう。私の反応が遅いからだろうか。
「いえ、確かに艦橋に居ましたが戦闘は終了していましたし、軽めの休憩は挟んでいますので、それほどは」
「そうですか。それなら良かった」
ほっと息をついた彼は先ほどまでの表情とは違い少しはにかんだ、プライベート用の顔といっていいのか、そんな顔だった。
「ノイマン大尉はこちらで何を、とお伺いしても?」
私の質問にパチリと瞬きした彼は私を手招きして呼ぶ。床を蹴り慣性で彼の近くへと近付きバーで勢いを殺し彼の隣へと。とはいえ一人分の距離を空ける。
「宇宙を見ていました。ここ最近はずっと地球に居ましたから、宇宙は久し振りなので」
変わらない景色のようで、其の実、自分が知っているより沢山のことが起こり、沢山の命が散っていった。けれど、やはり宇宙は広大で、自分一人はちっぽけな存在だと思わされる。
そう語る彼の瞳は悲しげで何と声を掛ければよいのか、情緒に難がある自分では到底わからなくて。
「そうですか。…そうですね、人間一人なんてたいした事なんてないのに、ナチュラルだコーディネイターだ、アコードでしたか?だと互いに主張しあい争いを始め、言い出した人間以外を巻き込み罪のない人を傷つける。愚かだとしか言えません」
男だ女だと性別で区別することさえ。そう心の中で付け加える。
隣でフフッと笑いがこぼれた。
「なかなか手厳しいですね。けれどそうですね、そこに関しては私も同意です」
彼の方を向けば彼もこちらを向いてくれた。
「私が言うのもなんですが、ナチュラルもコーディネイターもそう変わらない。今の私の周りにはどちらの人間もいますが、だからと言って争うことなんて無い。手を取り合っている。…けれどそれが他の人にできるのかと言えば、それは難しい」
「けれど、そうだから人は努力し、理解しようと、歩み寄る。それを選び取る自由がある」
「ええ、私とハインライン大尉がこうして話をしていることも、その一つかと」
「…そうしていけば、いつかは相互に理解し得る日が来ると?」
「そのために今、私達がいるのでしょう。そのための組織だ」
微笑んだ彼につられるように私もまた微笑んだ。
「そうですね。私もその一助になれれば、と思います。総裁や准将がもう、あのような悲しい顔をしなくても良い世界にしたい。たとえ厳しくとも険しい道のりだったとしても。彼らが目指した世界を私は見てみたい」
誰にも言ったことのない私の秘めた決意を、コノエにさえ言ったことが無かったのに、彼に向けて話していた。驚いたかのようにわずかに目を見開いて、そして目を細めて笑った。
「ハインライン大尉は、貴女は優しいのですね」
優しい?そんな事今まで一度も言われたことがない。聞き間違いだろうか。それとも彼が言葉を間違えた?
「私は、優しくなどありません。そのような事は一度も言われたことがありません。…怖いだとか、キツいとか、癇癪持ちだとか、でしたら言われますが」
自分で言っていて虚しくなった。何が悲しくて自分で自分の悪口を言わねばならないのか。しかも弁明は出来ない。なまじ顔の造形が柔和とは言い難く表情も顰めっ面か無愛想、人当たりも良いとは言えない。進捗の遅れやエラーが出れば怒鳴る。
「う〜ん、そういうのでは無いですが。説明が難しいですね。私は余り語彙力がないので何と言えばいいのかわかりませんが。自分の為でなく人の為に動ける人は、優しいですよ」
人の為に、と思って動いた事なんてないと思うが。わからなくて首を傾げると、クスッと彼が笑う。
「例えばプラウドディフェンダーは、キラの為に作ったんでしょう?彼が望む力を与えた」
彼だから、彼ならこの力を正しく使ってくれると思ったから。
「そしてソレを戦場に届けようとしたクライン総裁を貴方は止めなかった」
彼の為に、彼の元に行きたいと願う彼女をどうして止められようか。ならば私が出来ることは最大限にアシストすることだけだ。
「あの時の貴女のセリフ、シビレました。ラミアス艦長は戸惑っていたけど、貴女がそう言うなら大丈夫なんだろうと、不思議と思ってしまった」
それが私が優しいと思う理由?やはりわからない。顔に出ていたのだろう。彼がまたクスリと笑う。
「わからなくてもかまいません。私が勝手にそう思っているだけですから」
「そう...ですか」
そうとだけ返した直後、くぅと音が鳴る。出処なんて私が一番わかっている。恥ずかしくて顔に熱が集まるのがわかった。
「ふっ、あ、いやすみません。そう言えばハインライン大尉は休憩に入るところでしたね。私の長話に付き合わせてしまって申し訳ありません」
そう言えば自分も何も食べてないな。貰えるのかな。なんて呟いている彼の袖をクイッと軽く引く。
「でしたら、共に食堂に、行きませんか」
恥ずかしくて目を合わせる事が出来ない。
「構わないのですか?」
「ですから!そう、言ってます...私のような人間に言われても」
「ありがとうございます。誘って頂いて嬉しいですよ」
慣れない事などするものでは無いと、こんな女に誘われても、と一瞬の後悔で無かったことにしようとしたのに、言葉に被せて来られた。嬉しいと。例えそれが社交辞令だとしても。笑顔の彼を見てしまえば続く否定的な言葉を飲み込んだ。
「嬉しい、ですか?」
「ええ。こうして貴女と話している時間はとても楽しかった。貴女が休憩中だと忘れていました」
「私も、楽しかったと思います。仕事ではない会話でこんなに一人の人と喋った記憶はあまり無いように思います」
「では、なかなか貴重な体験をさせて頂いてますね」
「...ノイマン大尉さえ良ければこの後、記録更新出来ますが」
「それは是非ともご協力致しましょう」
彼との会話のテンポが心地よくて、二人クスクスと笑いがこぼれてしまう。
「ではこの後はお互いの理解を深める為に、ご同伴願えますか?」
冗談めかして言う彼が可笑しくて、フフッと声を出して笑ってしまった。
「そうですね。私はノイマン大尉の事をよく知りませんからこれを機に貴方の事を知りたいと思います」
一瞬、驚いた顔をしたけれど先程も見た、目を細めて微笑みをくれた。
「私もハインライン大尉の事はよく存じていませんので、これを機に知りたいですね」
私が言った言葉に同じ言葉を返してくれる。言葉遊びが楽しいと思ったのはいつぶりだろう。同じ言葉を返されるなんて普段なら腹立たしいなどと言って切り捨てていただろうに。
「ところでハインライン大尉」
「はい?」
「エスコートして差し上げたいのはやまやまなのですが、食堂の場所を把握しておりません。むしろ自室と艦橋以外わからないというか...」
「...どうやってここまで来たのですか?」
ツイッと目線をそらし、何も無い天井を見る。
「適当に漂っていたら辿り着いたと言いますか」
「まさかと思いますが、帰り道が分からなくなっていたとか」
「うっ...」
図星か。私が通りかからなければどうするつもりだったのだろうか。まぁ誰かしらその内来るだろうし、そうでなければ自力で何とかするんだろうが。けれど、通りかかったのが私でよかった。でなければ、こうして彼と話すことも食事の約束をする事も、意外な一面を見ることもなかった。
「では、今回は私がエスコートして差し上げます」
「すみません。お手数お掛けします」
本当に申し訳なさそうにするものだから、可笑しくてまた笑ってしまった。彼もつられて笑い声をあげる。ひとしきり笑い彼と二人、展望スペースを後にする。