猛暑日夏休み、太陽の光が青い空の鮮やかさを忘れさせる。それはあるとても暑い日の思い出であった。
ぼくは早めに部活を終え、学校で自習していた行秋と帰っていた。道が登り坂に入った時、乗っていた自転車を降りてゆっくりと歩き出した。
今日はとても暑い日で、体から汗が滝のように流れ出る。姿が見えないほど眩しい太陽は真上からぼくらを焼き付けていた。
*
そこそこ長い登り坂、何歩歩いたかわからなくなった頃に右耳から聞こえてきた。
「ちょーうん、ちょーうん」
行秋の声はいつもよりずっと疲れているようだった。
「ん……」
ぼくも余裕のない返事をする。夏バテしやすいぼくは、もう正直自転車を押すことで精一杯だった。
「やっと上に来たね」
坂を登り終えて、そこには交差点がある。田舎の坂の上だからこその、視界がひらけた交差点。昼時でこんなにも暑いからか、人通りは少なく、煩いはずの蝉の声が遠くから聞こえてくる。
「赤信号か……」
ぼーっとしながらその場に突っ立っていた。生憎、日陰が見当たらなかった。少し上を見ると鮮やかな青い空、その間を縫い泳ぐ白い雲。もう少し上を見ると太陽があって、直射していないのに目がチカチカとした。
「ねぇ、ちょーうん」
そう行秋が言って、とても時間がゆっくりすぎているような気持ちになっていたことに気がついた。
「ちゅーしよ」
「…………?」
行秋の声が鮮やかな青にかき消された。それほど、何も考えられなくなっていた。感覚がなかった。頭がどうしようもなく熱くなっていて、その言葉にする返事がわからなかった。
今思えば、沈黙は肯定であった。
いつのまにか、瞼を閉じていた。目の前にはさっきの焼き付けるような暑さではなく、蕩けるようなじんわりとした暑さがあった。
その暑さが心地よく気持ち良くてしばらく目を瞑っていた。何も聞こえなくなって、何も見えなかった。しばらくして、行秋が唇を動かした。そこでようやく、キスしていたのだと思った。
そういえばそこには暑さ以外にも匂いがあった。行秋の髪の香り。ぼくの好きな匂い。それはとてもさらさらとしている。じんわりとした暑さが気持ちよかったのは、この香りによって誤魔化されていたためか。あぁ、匂いといえば、ぼくはさっきから汗が止まらなくなっていたんだっけ……
「ゆ、行秋っ!!」
思い出した瞬間、咄嗟に顔を引き離した。しまった、暑さのせいで本当に何もかも忘れてしまっていた。
「なんだい……そんなに耳元で大きな声出さなくても」
「部活終わりで身体中が汗だらけなんだ、こんな姿で近づくことなんてできない」
ツイてない。汗拭きシートはちょうど昨日きらしたところだ。
「今更何言ってるのさ……。安心してくれ。いい匂いだよ、君」
「そんなに焼けてしまっていたか……汗の塩気が調味に使われるなんて……」
「香菱の言うセリフみたいなことを、本当に何言ってるの。いつもと変わらないよ。……いつもの、僕の好きな人の匂い」
行秋がぼくの耳元まで顔を持ってきてすんすんと匂いを嗅いだ。
「…………そうか」
行秋って、ぼくの匂い好きだったんだ。
「顔赤いよ……大丈夫? 君、人一倍夏バテしやすいんだから。あ、信号が青になってる。重雲、ほら行くよ!」
「え、あぁ、ちょっと待って……!」
考え込んでいるうちに行秋は自転車で駆け出して信号を渡り終えていた。行秋はそのまま突き進んでゆく。ぼくも急いでその後を追う。
信号の先の道は緩い下り道。自転車に吹き抜ける風だけでは、この火照った体は冷めそうにないな。