見えない鍵と箱の中 この前、家の近くで人が死んだそうです。子供が一人、いなくなったそうです。それからわたしは、ずっと家の中にいます。
「出てはいけないよ。お外は怖いからね」
そう繰り返し言いながら、お母様はわたしの頭を撫でるのです。そうして、わたしをひとり置いて行くのです。
寂しかったらテレビも見ていいよ。冷蔵庫の中の食べ物も好きに食べていいよ。何をしてもいいよ。
この家から出ないなら、何をしても。
でも、どうしても何かをする気にはなれないのです。わたしは、お外に出たいのです。
お母様とわたしと、それから時々お父様。それでは駄目なのです。わたしは、わたしは、もっと動きやすい服の方が好きです。同い年の子供達と遊ぶことが好きです。走り回る方が好きです。男の子みたいな遊びが好きです。
どうして、それは駄目なのですか。
「いけないことだからよ」
どう問いかけても返ってくるのは、ただその一言だけ。
わたしととてもよく似た顔のお母様。お母様は絶対に正しい。だから、お母様の言うことは絶対。
――だけど、実は約束を破ったことがある。これはまだ、お母様も知らないはず。
男の子と必要以上に話してはいけない。「あの子」と関わってはいけない。その二つの約束をわたしは破ったことがある。
小さな弟がいる、近所に住んでいたおにいさんのこと。関わってはいけない、と言われていたひと。でも、そんな気はしなくて。なんとなく話しかけてみたら変な子供だと言われたけれど、本当は優しいらしいひと。
何故だか、手を伸ばしたくなるひとだとは思った。
またね、って言ったのに、その次の日からわたしはずっとこの家にいる。正直、何日経ったのかもわたしには分からなくて。ずっと寝ているような、夢の中のような気がする。
玄関先に立てば、震えが止まらなくなる。約束を破ってもお母様は怒らない。でも、約束を破った時のお母様はなんだか怖いことを、わたしは知っている。どうして怖いのかは分からないけれど。
鍵は持っていなくても、ドアを開けて、外に出ても誰も分からない筈なのに。どうしてもその一歩が動けない。足が震えて立てなくなりそうになる。
だから今日も出ることを諦めて、自分の部屋に戻る。部屋がちょっと薄暗い理由を私は知っている。カーテンの向こう。外から閉じられている鎧戸。
あのおにいさんは、大丈夫なのかな。実は名前も知らないのだけど。
「その好奇心、いつか痛い目を見るぞ」
言われた言葉を思い出す。
そうかな。お母様に知られたらそうなるのかもしれない。けど、あの時間は悪くはなかったんじゃないか、と思ったりする。
でもきっと知られたら、おにいさんに迷惑がかかるんだろうな。それは嫌。……なら、忘れなきゃいけないのかな。おにいさんもわたしのことを忘れちゃったら、無かったことになるのかな。嫌だけど、忘れなきゃ。お母様にも分からないように。そんなことをずっと考えていたら、段々とおにいさんがどんな顔だったのかも、どんな声をしていたのかも思い出せなくなる。まだ、目の色だけは覚えてるけど。――綺麗な虹色と、わたしとは違う青。
電気の明かりで照らされている部屋で、わたしはふかふかのベッドにダイブした。呼んだって誰も答えてくれない。今は「鏡の向こうのお友達」の声も聞こえない。
お母様、お母様、ねえ、お母様。
「……さびしい」
ねえ、ここから出して。