夢 それは今でも、夢に見る。
夢の中の自分は、上弦の壱と呼ばれた鬼に、必死に食らいついている。体は痛くて熱くて、苦しくて。斬られたところから全身が灼けついて、ぼろぼろと引き千切れられていくような。それでも両手には、絶対に離すものかときつく握った日輪刀を──。
そこまで夢に見て、無一郎は布団を蹴って飛び起きた。室内の気温はそれほど上がっていないはずなのに、全身はぐっしょりと汗ばんでいた。心臓はばくばくと早鐘を打ち、呼吸はこれでもかとひどく促迫していた。
「……っ」
――夢、か。
百年の時を経てもそれは、ある種の呪いのように、無一郎の魂に深く刻まれていた。
――ああ。夢、だ。
無一郎は周りを見回して、そこにあるのがいつもの日常の風景であることにほっと息を吐いた。
「無一郎さん」
すると隣で眠っていたはずの恋人が、不安げに瞳を揺らがせてこちらを見つめていた。
「大丈夫? ずいぶんとうなされていたみたいだけど」
小鉄は自らも半身を起こすと、無一郎の顔を心配そうに覗った。
「ごめん、起こしたよね。大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけ」
無一郎はそう言って笑ってみせたけれど、それがつまらない強がりなのは自分でもよく分かっていた。
あの時――長い年月が流れて、もう一度この世に生まれ落ち、あの頃失ったもの、手に入れられなかったものたちを一つ一つ手にしていったとしても、なお。圧倒的な力を前に、自分のすべてを燃やし尽くしたその瞬間は、無一郎にとっては忘れたくても忘れられない記憶だった。
「……大丈夫、だから」
無一郎は今度は自分に言い聞かせるように、呟いた。あれは終わったこと、遠い過去のこと。いまさら無意味に、心を波立てるようなことはないのだ。ただ――ただ、最期に振るった刀のその感触だけが、いまだにこの手から抜けきれていないだけで。
するときつく握っていた無一郎の手に、小鉄の両手がそっと添えられた。
「……小鉄くん」
重ねられた優しいあたたかさに、無一郎はその手をぴくりと震わせた。
自分が時おりこういった夢を、フラッシュバックのような形で見ることを小鉄は知っている。以前にそういう話を漏らしたことがあるし、それからはあえて言葉に出さずとも、聡い小鉄のことだから、自分の様子を見れば、またか、というのはそれとなく察しているようだった。
「大丈夫……じゃないでしょ。そんなに強く握ったら、痕がつくじゃん。ほら、手、緩めてよ」
小鉄は無一郎の手を包むと、指の一本一本を優しく緩めていった。爪が食い込むほどにきつく握っていた拳が、気がつけば自分よりも男らしくなった手によって、ゆっくりと解かれていく。
「……ごめん」
そう言ったつもりの声が掠れるほどに小さくて、無一郎は自分でもおかしいなと、笑いが溢れた。すると小鉄はそのまま無一郎の腕を引いて、汗に濡れた体を抱き寄せた。
「謝らないでよ」
「えっ」
「謝る必要なんて、どこにも無いんだから」
無一郎の背中に回された、小鉄の腕。それは無一郎の体をひしと抱きしめて、小鉄の心臓が拍動する音に、呼吸の音が、無一郎の体にまで響いてくるほどだった。
「ね? 無一郎さん」
あの記憶に対する気持ちは、簡単に昇華できるものではない。自分にはどうすることもできないからと、余計なことは何も言わないで、だけど些細なことでも何か自分にできるのならと、ただぎゅっと抱きしめてくれる――そんな年下の恋人の真っ直ぐな優しさが、無一郎にはとても嬉しくて、とても愛おしかった。
「……うん。ありがとう」
そうやって小鉄の体を抱きしめ返したら。ふと、二人の間にこつんと立ち上がった、硬いものの存在があって。
「あ……っ」
無一郎よりも先に気がついていたのか、小鉄は無一郎の声にちらりと視線を落としただけで、黙って額を寄せた。
「……出しとく? 俺は、良いよ」
伺う声は、密やかに。触れる指先は、誘うように。だけどそんな小鉄に、無一郎は慌てて体を離した。
――ごめん。
「だからさ……謝らないでってば」
小鉄はもう一度、無一郎の体を抱きしめた。すると夢に昂った体は、恋人の匂いと体温に正直で。それに小鉄はくすりと笑って、「やっぱり、しよっか」と囁いた。それから無一郎の腕を優しく引っ張ると、二人の体をシーツの海へと沈み込ませた。
それは今でも、夢に見る。
夢の中の自分は、上弦の壱と呼ばれた鬼に、必死に食らいついている。体は痛くて熱くて、苦しくて。斬られたところから全身が灼けついて、ぼろぼろと引き千切れられていくような。それでも両手には、絶対に離すものかときつく握った日輪刀を――。
だけど。
「ほら、無一郎さん。もう、俺だけを見て」
いつだって側には、この手を優しく握って引き寄せてくれる、愛しい人がいる。
「……うん」
だから無一郎は知っている。彼と積み重ねていく幸せな日々の中で。魂に呪いのように刻まれたその記憶も。いつか遠く霞んだ、忘却の彼方のものとなることを。