〇〇な賢吾くん浩一がNHLに入団してから、俺たちは一年に数日しか会えなくなった。
毎日寂しいなぁと思っていたら、いつのまにか俺の意識はアメリカの浩一の部屋にいた。
実際には俺は来たことがないけど、以前送ってもらった写真と同じ部屋だったから、浩一の部屋だって気づいた。昔見た写真と同じ青いシーツのベッドに浩一が寝ている。
ああこれは夢だな。だって俺、〇〇みたいな感じになってるもん。体は透明だし、ふわふわ空中に浮けるし、壁もすり抜けられる。
それに今目の前で起床した浩一も、俺のことは見えてないみたいだ。
夢でもこんな近くで見られて嬉しいな。最近はビデオ通話もろくにしてなかったから。
渡米した直後はしょっちゅうしてたのにな。付き合いが長くなってくるとこんなもんか、て最近はもう会話もマンネリ化してた。
でもこうして近くで顔を見ると、やっぱりかっこいいし、好きだなって思う。
浩一は起きるなりスマホを確認して、何やらどこかに電話している。どこにかけてるんだろう?チームのマネージャーとかかな?
結局相手は出なかったみたいだ。ため息をついてシャワー室に向かった。
俺はこいつの恋人だけど、さすがに相手に隠れて裸を見るのは失礼かなと思って、シャワー中は外で待っていた。
出てきた浩一は髭を剃って歯を磨いたあと、スポーツウェアに着替えてランニングに出かけた。走った後にまたシャワー浴びなきゃいけないのに、なんでさっき浴びたのかな。アメリカにいる浩一の生活はよくわからない。
走る浩一の速度にこの体でついていけるか不安だったから、俺は部屋に残ることにした。裸は遠慮したけど、部屋くらいは見ても許されるだろう。
俺の知らない生活。見たことがない新しい服。
あっ、いつの間にか新しいスティックがこんなに増えてる。教えてくれないもんなぁアイツ。同じ学校にいたころは、「この前折れたから新しいの買ったんだ」って、すぐ教えてくれたのに。今の浩一は毎日疲れていて、そういうの面倒くさがって何も教えてくれない。
寝室、台所、洗面所、靴箱の中まで覗いてると、浩一が帰ってきた。汗だくになってる。
汗かいてる浩一ってセクシーだよな。高校の時までは一緒に走ってたのに、もう何年もそんな機会ないから、こんな汗かいてる浩一を見るのも久しぶりだった。
浩一はもう一回シャワーを浴びたあと、またどこかに電話をかけてた。やっぱり相手は出なかったみたい。
その後浩一は自分で朝食を作って食べた。えらいなあ、こんなにスムーズに自炊できるようになったんだ。
日本にいたときは米派だったのに、クロワッサンとか食べるようになったんだね。
浩一の知らなかった側面を見られるのは、新鮮で楽しくて、少し寂しい。
浩一はその後テレビのニュースを見て、端末でもニュース記事をいくつか読んで、一時間くらいしたら着替えて練習に行った。俺も〇〇で人から見えないのをいいことに、一緒についていった。浩一が運転する車の助手席に乗って、浩一が所属するチームに合流して、練習するのをずっと見ていた。浩一は英語で問題なく仲間とコミュニケーションをとれているらしい。なぜか俺の耳には浩一の声だけ入って来ないので、何を喋っているのかはわからないけれど。
でも日本にいるときより笑顔で会話している。英語で喋るときは日本語とは違う人格になるってよく聞くけど、そのせいかな。それとも高いレベルでやるホッケーが楽しくて楽しくて仕方がないからなのかな。
日本での浩一の生活しか知らない俺はちょっと落ち込んだ。浩一は夢にまでみたNHLで今ホッケーができていて、あのころ一緒にテレビでみて憧れていた選手たちが今は同僚だもんな。そりゃあ楽しくって日本になんか帰って来られないだろう。浩一が家に帰って就寝するまで、女の影が出てこないのだけが救いだった。
眠る浩一にそっと語りかける。
浩一、アメリカでの生活は楽しい?俺との電話も忘れちゃうくらい。
でも他に恋人はまだいない?お前の体に触れたことがあるのは俺だけ?
もしそうなら俺はもうちょっとだけ待てるんだけどな。
浩一に思いっきり抱きつきたかったけど、〇〇な俺の体は当然体に触れることはできず、伸ばした手は素通りするだけだった。
二日目
次の日の朝になっても俺の夢は覚めなかった。浩一は前日とほぼ同じルーティンで一日を過ごした。変わったのは雑誌の取材が一件入っていたことと、電話をかける回数が二度ほど増えたことくらい。
どこにかけているんだろう。俺の知らない人だろうか。
取材を受ける浩一は、ぱりっとしたスーツで格好良かった。インタビューアーが女性じゃなければ、もっと良かったのに。
三日目。
浩一の練習は相変わらず。浩一がかけた電話はやっとつながって、誰かと色々話していたみたい。なんだか深刻そうな表情だ。
その日の深夜24時、浩一の電話が鳴った。寝ていたのに一瞬で目覚めた浩一はすぐ電話をとった。
こんな時間に電話してくるなんて誰なんだろう。何かチームで問題でも起こったんだろうか。
20分くらい話したあと通話を切って、浩一は項垂れていた。すごく落ち込んでいるみたいだ。かわいそうに。
こいつには大好きなホッケーだけに集中してほしい。
そうだよ、それさえ叶えば、俺が少し寂しい思いをするくらい、どうってことないじゃないか。別に俺と別れて新しい人と付き合ってもいいよ、お前が笑顔でアイスホッケーできるなら、それが一番いいよ。
慰めてやりたくて、触れないとわかっていても手をのばして、頭をポンポンするイメージで、空中で手を止めた。
すると浩一はほんとうに触られたみたいに何かに気づいた表情で顔を上げた。
あれっ、なんだか目が合っている?
浩一の表情がみるみる驚愕に包まれた。ヤバい、なんとなく今の状態を浩一に見られるのはマズい気がする。三日も傍にいて勝手に色々見ていたのがバレるし。
俺は三日の間に会得した、霧みたいに消えて数メートル先にジャンプする移動術で姿を隠した。だいたい、今まで一度も見つからなかったのに、なんで今バレたんだろう。まずいなあ。
俺は物体をすり抜けるのをいいことに、リビングの窓の端に寄せられたカーテンの束に同化して隠れた。ふつうの人間なら隠れられる場所じゃないから、浩一は気づかないだろう。
大声をあげているらしい浩一があちこちのドアを開けながら俺を探している。30分くらい隠れていたけど、浩一がぜんぜん諦める様子を見せないし、なんだか泣きそうな表情になっていたから、仕方なくカーテンの隙間からそっと出て、床に座り込んでいた浩一の目の前に立った。
浩一は俺の足の先が目に入ったらしく、恐る恐るといった様子で顔を上げた。
目が合うとすごい勢いで立ち上がって、俺に手を伸ばす。手は体をすり抜けた。無理だよ、今の俺は〇〇だもん。
浩一は窓辺に向かってカーテンを閉めた。どうやら俺の体は光に透けるけど、暗闇だと比較的視認しやすくなるらしい。さっきよりもはっきりと目が合う。
浩一は泣きそうな顔で無理やり笑顔をつくりながら何か言った。
「……………………?」
俺は「聞こえないよ」と言いながらジェスチャーでもそれを伝えた。やっぱり俺の声も浩一には聞こえてないらしい。
浩一は床に落ちていた端末を拾って、ラインの画面にメッセージを打った。
[俺に会いに来たの?]
俺は頷いた。
「会えなくて寂しかったから」
聞こえないだろうけど、返事をした。浩一が端末を自分に出してくる。俺にもメッセージが打てるかどうか聞いているみたいだ。触ろうとしたけど、指は端末をすり抜けた。そりゃそうか。壁も浩一もすり抜けるのに、端末だけ触れるなんて都合のいいことは起きない。
[いつからここにいたの?]
これは身振りで返事ができた。指を三本立てて返す。
[三日前?]
問いに頷いて答える。怒られるかなあ。三日も黙ってストーカーみたいな真似してたと知られたら。
浩一は怒らなかったけど、かわりにますます泣きそうになった。唇を噛んで息を整えると、新しいメッセージを端末に打つ。
[自分の体に帰ることはできる?]
俺は反射的に首を振った。帰りたくないよ。お前は帰ってほしいんだろうけど。
〇〇になってからも、自分の"本体"が日本で寝ている状態だってことは、なんとなくわかってた。細い糸でつながっているような感覚があるから。その気になって意識を集中すれば帰れるのかもしれないけど、俺は帰りたくなかった。帰ったらまた何も楽しいことがない日々に戻っちまうじゃないか。お前の傍にこうして勝手にいられて、顔を見ていられるんなら、お前が俺を忘れたっていいよ。でも日本の自分の体に戻ったら、また会えなくなるし声も聞けなくなる。(あ、声は今も聞けないけど)だったらこのままでいさせてよ。明日からはお前にバレないように見つからないところにいるからさ。そもそもこれは夢なんだし。
とうとう浩一は泣き出してしまった。痛々しく眉が寄り、伏せた睫毛から涙が流れ落ちる。いい男は泣いても美しい、と俺はぼんやりその姿を眺めていた。
浩一の手から端末が滑り落ちて床に落ちる。暗い部屋でこうこうと光る画面に目が吸い寄せられ、何とはなしに画面の文字を読んだ。先ほど浩一が打った文字の前に、俺が"こう"なる前に打った最後のメッセージが表示されている。
[俺たちって付き合ってる意味あるかな]
あー、そうだ。日本にいる俺は疲れていて、とても疲れていて、浩一と話したかったけれど、その時は浩一も疲れていて、電話に出てもらえなかったんだ。
[ごめん、今日は疲れていて通話無理]と短いメッセージだけが来て、そのとき俺は相手を思いやる気持ちが欠けていたから、自分勝手な恨み言をたくさん送ってしまった。
[俺は疲れているときは浩一と話したいと思うけど、お前は違うんだね]
[ただでさえ会えないのに、通話もできないなんて。最後に話したの四週間前だよ、覚えてる?]
[俺たちって付き合ってる意味あるかな]
そのあと俺はここに来た。〇〇となって。
浩一が俺に近づいて、触れないとわかって体に手をまわしてきた。抱きしめる形の位置で腕を止める。
何か囁いてる気がするけど俺には聞こえない。
浩一、泣かなくても大丈夫だよ。それに案外、このままの方がうまくいくんじゃないかな?
今から日本の病院のベッドで横たわっている俺の体に帰っても、その体を動かせるかはわからないし。
この体なら食べなくても眠らなくてもいいし、声が出せないからお前がうるさく思うようなこともないよ。
もしお前に好きな人が出来たら、その時はそっと消えるからさ。
だからこのまま傍にいさせてよ。幽霊のままで。
終
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三日目の電話の内容
一回目
「もしもし、甲斐の叔父さんですか。源間浩一です…。お久しぶりです。
あの、賢吾くんが今どうしているかわかりますか。二日くらい連絡がとれなくて。
ちょっと喧嘩しちゃったので、俺が避けられているだけなのかもしれないんですけど…少し心配で…。
………ええ、………はい、…ありがとうございます…。お願いします……。」
二回目
「…浩一くんかい?今実は病院なんだ…。
あの後私が何度かけても出なくて…思い切って会社に電話してみたら、出社してないというから、札幌のあいつの部屋まで行ったんだよ。そうしたら自宅の床に倒れていてね…。すぐ救急車を呼んで、二時間前に運ばれたんだ…。脳の血管が詰まったらしくて…。全身の所見から、ずいぶん無理をしていたというか、不規則な生活を送っていたんじゃないかと言われて…。何も気づけなくて親としては、ほんとうに……。
手術は明日になるんだが、発見が遅れたから、意識が戻るかどうかはわからないと……。……いや、浩一君が教えてくれたから、冷たくなったあいつを発見せずに済んだんだよ。今はぎりぎりの細い糸でも、繋がったと思うしか……。
……うん、うん……。
こんなことになってしまったが、あとのことは私に任せて、君はホッケーに集中してくれたまえ。あいつも君の活躍を、心から喜んでいたから……。うん、明日手術が終わったらまた電話するよ。じゃあな、おやすみ……」