フォルダにあったやつ🎻⌛️ 双方の館はそれほど遠くに位置しない。薄暗い森を纏わせた二つの館は、大きな花園を起点に美しく対称である。勿論、大きさこそその類ではないが。そんな世界の中では度々、しんと静まり返った世界に音が遠くからやってくるのだ。ある時は女性の笑い声、ある時は謎の爆発音、そして、またある時は弓の奏でる軽く、時に重い音が。今日もまさにその"音"の日であった。
「こんな時間まで僕を苦しめやがって」
くそ、と悪態をつくものの、等の元凶たる悪魔はここにはおらず、その"音"は留まることを知らない。今度あったら面と向かって言ってやる。変なもの聞かせるな、とな。そんなことを考えながら、止まない"音"の雨から逃れようと布団に潜り込むのだった。
「なにか言いたいことのひとつでもあるのなら、土産話に持って帰ってやろう」
その時は思っているよりも簡単に、呆気なくやってきた。
脱出経路を見誤り、他の皆が逃げ延びたのだからと一人墓場に佇むのもつかの間、迫った"音"の元凶は小さく声を発する。
「そ、そうだ、言いたいことが、あっある」
手に持つものはもはや何もなく、走り疲れきった身体を何とか支えながら悪態をついてみせた。
「ふむ」
「い、いつもっお前、お前は変な音を立ててるだろう、ほら、それで」
うるさいんだ、くそ、と続けながら指をつきたてる。対象となった艶のある、いかにも手入れされ尽くしているのだろう木でできた音出し玩具はまるでそうですかと言わんばかりに光を反射しこちらを照らす。
「聴こえているのか」
「あっ当たり前だ、近いんだぞ、こっちの館、と」
「…」
「やめろ黙るな、気持ち悪い」
いつもいけしゃあしゃあとこちらを罵り、煽り、巫山戯た言葉を連ねる悪魔はそれでも口を閉ざし続ける。死者の数が両手両足の指を使おうと割に合わない教会にもう音を出す者は二人以外にいない。風の音、木の葉が落ち還る音、それ以外には何もないのだ。
「聴かれたく、なかった」
「はぁ?」
耳を疑う。
「できれば」
あの悪魔が?
「聴かれたくなかった。」
自分の音が全てだと思っているような悪魔が?
「窓も、よく閉めていたのだが」
「気でも狂ったか、こ、このうねうね頭め!」
信じられない。聞かれたくなかっただと?馬鹿を言うな。どれほど僕が毎晩その音に苦しんできたと思っているんだ。
「狂っているのかもしれない」
「ふざけるのも大概にしろ。ぼっ僕は、あの音が大嫌いなんだ、もちろんこの、馬鹿げたゲームの時のお前の…」
そこまで言って、初めて気がついた。
今日は"音"のひとつも鳴ってはいないのだ。
そもそも、こいつがゲームに現れるのは何時ぶりだっただろうか。
最後にこいつを見たのは、いつだっただろうか。
最後にあの"音"と戦ったのはいつだったのだろうか。
「お前」
嗤ってやろう。罵って煽って巫山戯た言葉を連ね返してやろう。そう考えた自分が、その場から動かなくなった。やってくるのは、再びの静寂。切るに切れず、ただ時だけが過ぎた気がする。
どれくらいたったか分からないが、ようやっとその終わりはやってきた。細く、大きな体躯がまるで糸が切れたかのように地に崩れ落ちるのと同時に目眩が身を襲う。痺れを切らした主催者が事を終わらせに入ったのだろう。能無しな自分でもよく分かる程度の行動理論でも、今回ばかりは素直に同意する。どうせこのままでも膠着状態は免れないのだ。おい、と話しかける間もなく、瞬く間に目も身体も何もかもが使い物にならなくなった。
"世界"が鳴らないのだ。あれからずっと、これまでずっと、求めた、手に入れたものがさっぱり手からこぼれ落ちてしまったのだ。
「嗚呼」
あの時から、ずっとそうだった。鬱蒼とした森の中、録な生き物の声すらしない中で薄く聴こえたあの歌が脳裏に焼き付いて離れることを許さない。まず女性のものではなさそうで、かと言って男性かといえば、ハンターにあの音が出せないことは明白だった。残った答えはひとつ、サバイバー側の男性。それからというもの、ゲームの度に追っては確認し、違うとなればまた追うことを繰り返した。そして、あの時。味方を逃がし、地面に伏したあのボロボロな男が走馬灯と共に吐き出した歌を聴いた時。
「…」
時計はもう丑三つ時を告げ、辺りはしんと静まり返っていた。グラスは勿論瓶の中にさえワインは残っていない。ろくな演奏もできない今、酒が切れてしまえば最後、あの歌声が頭の中を反芻し続けて終わらない。不安でいて、そして幸福とも取れる感情が自らを覆う。またあの歌が窓辺から聴こえてこないだろうかと期待している自分が現れる。自ら脚を運んでやろうかとさえ思う。そんな自分に呆れていた。明日、同じ芸術家のハンターにでも話を聞いてもらおうか。柄にもなくそんなことを考えながら、役立たずと化した身体を大きなベッドに放り投げた。
「はぁ、道理で」
「おきのどく」
「へぇ」
三者三葉、全員が可哀想なものを見る目をしていた。
「私は、どうすればいいのだろうか」
目の前の芸術家たちに答えを求める。
「スランプは誰にでもありますし」
背の高い顔を仮面で隠した画家は諭し、
「集中力が足りないんじゃないかしら」
創作こそが人生の全てである女性は語り、
「私にもあったよ、そんなことが」
「嘘をつけ」
「鋭いね」
年を重ねた幻影を写す男性は面白いものを見つけたとばかりに騙る。
「私は真剣なんだ。今まで受けた挫折の中でも今回はその比ではない。全く理解ができん。」
既に心の半分ほどが「彼らに聞くことが間違いである」と叫んでいるが、如何せん解決の糸口が見えない状態で引き下がるのも宜しくはない。目の前に置かれたスコーンを丁寧に割り、口へ運ぶ。
「あ、そのままいくんですね。私も好きですよ、素の味も」
うるさい。
「あぁ、そうそう。素の味と言えばなんですがね」
墓守くんが。その言葉を聞いた瞬間手にしていたスコーンはバラバラに砕け、視線があらぬ方向へと泳ぎに泳ぐ。とりあえず、深呼吸。深呼吸して、一度あの老いぼれの首を締めよう。
「もしかしてだけれど…いや、もしかしなくても、彼が原因なのかな、アントニオ。それにしても絵に描いたような反応、是非写真に収めておきたかったよ」
今にも絞め殺さんとする髪をいなしつつ老いぼれは言葉を重ねる。嗚呼、普通に喋ればただの美しい声で済むのになぜ皮肉で丁寧に包装して投げつけてくるのだろうか。
「やっぱり集中力の問題みたいね」
とはいえ、老いぼれの言うことはあながち間違いではない。寧ろ正解であるのだろう。集中が逸れているのも明らかに彼が原因であったのは確かだ。あの声を聴いて、それから。間違いなく原因はそこにあった。そんなことは分かっているのだ。そこからが問題なのである。
「今までこんなことはいくらでもあったとも」
「あら、そうなの?」
美しい声、透き通る声、力強い声、明るい声、暗い声、重い声、寂しい声。あらゆるものを聴いて、時に心を奪われることもあった。なのに。
「今回ばかりは、違う。」
何もかもが違った。何がかは分からない。それでも、それでも何かが違うのだ。大抵の声は聴き、広げ、そして飽きて丸め棄ててしまう。
「広げられない」
明確には「広がらない」のだ。
「酷く抽象的、まさに芸術的な例えですねぇ、よく分かります」
「私にはさっぱりだけれどね」
「形にならないってことでいいの?」
ハンターとして呼ばれるに相応しく、才気あふれた芸術家たちはスコーン宜しく口々に言葉を自らの庭へと持ち帰り消化していく。
「よくよく見たところでそこには何もない、といった感覚。というのが最適なのかもしれない」
「何も写らないのか!」
成程、と老いぼれもとい男性は見事に実像を抑えてみせたようで、言葉を連ねる。
「そこにあるのに間違いなく、確かにないもの。私はその招待をよく知っているよ」
「聴かせてもらえるか」
「でもそれを知るのは私の口からではない」
嗚呼、なんなんだこいつは。そう思ったのもつかの間、
「君自身で気付かなければ意味がないんだよ」
かの男性は、私の怪訝な顔に眉ひとつ動かさず言ってのけたのだ。
「胸に手を当てて考えてご覧」
その後は散々なものだった。微笑む男性、上機嫌になる殺人鬼、目を輝かかせてこちらを観察する女性。その場を立ち去ったのが少なくとも人が集まる前で良かったとは思ったものの、辱めを受けるには十分すぎる時間であった。そもそも、その言葉通りその場で考える必要はなかったのである。自室に戻ってからであればこのようなことにはならなかったのは間違いないのだから。でも、それでも直ぐに知りたかったのは、ただ好奇心が勝ってしまったからなのだろう。結局あの言葉を真摯に受け止めた時点で遅かれ早かれ
心に気付いてしまったのだ。