「俺の愛しい、」の尾形視点（別カメ　針にはかかっても、杉元はいつまで経っても俺に接触してこなかった。壁一面が俺の演技で埋め尽くされ、パソコンの記憶容量は俺の寝顔やカフェの雑多な音声でいっぱい。ゴミ箱やポスト、オートロックには諦めずアタックし続けているのに、俺本人には触れようとしない。どうやら、これまでの経験から接触イコール破局だと学んだようだ。もう一人前の相手であれば貴重な学びとなって杉元の人生を助けてくれただろうに。残念、もう手遅れだ。お前を平和に生かしてやる気などない。
　ウジウジしている杉元に代わり、こちらから接触することにした。
　幸いなことに杉元は雑貨屋で働いている。男好きな男が家具を買いに行っても違和感のない店だから、シチュエーションには困らない。想定外の事態で演技が崩れないよう、あらゆる展開を想像し、入念にシミュレーションを重ねて店を訪ねた。
　一度目は素っ気なく、偶然と男好きを装う。店での接客にプライベートを染み出させれば、杉元は必ず喉を鳴らす。欲を掻き立て、二十数年かけてようやく芽生えた忍耐の芽を摘み取る。
　二度目はドラマチックに、一気に落とす。
　店へ入り、近い所にいたスタッフへ声を掛けた。
「すみません」
「あ、はい。何かお探しでしょうか」
「先日、杉元さんって方に家具のご相談に乗って頂いて。本日はいらっしゃいますか？」
「ああ……少々お待ちください」
　店員は杉元の名前を聞いた途端、わずかに眉をひそめた。すぐに表情を解いたが、声のトーンは戻らない。
　杉元は職場の人間と深く交流しない。以前本屋でストーキング対象を選んでしまい、首を切られたことを気にしているのかもしれない。しかしあの異常性は黙って暮らしていたってにじみ出る。あんなに極端な敵味方意識と潔癖症を抱えていては周囲との摩擦は絶えないだろう。
　金塊を追っていた頃も相当イカレていたが、ここまでねじ曲がってはいなかった。それとも執着の相手が年端もいかぬ少女でなければ、しっかり性欲も絡めていたのだろうか。違うとしたら、お前を変えたのは何なのかな。日露戦争での悍ましい殺戮の経験？　私欲による殺人や、死刑囚の皮を剥いだときの感触か？　それとも。
「いらっしゃいませ」
　声を掛けられ、満面の笑みで振り向いた。
「杉元さん、こんにちは」
　杉元は見るからに緊張していた。エプロンの脇をぎゅっと握る指先が白い。
「ソファの件でよろしいですか？」
「ええ、寸法と室内を撮ってきたので、見てもらえますか」
「ここなんですが」
「たしかに少し寂しいかもしれませんね……」　
　朗らかな表情には傷どころかあばたひとつなく、歯も綺麗に生えそろって欠けもない。髪も艶やかで唇も潤っているし、饐えた垢の匂いもしない。あの頃だって金塊なんて追わずに真面目に暮らしていれば、小綺麗で真面目な男だと評判になれただろうよ。多少イカレていても戦争帰りの英雄なら許される。娘をもらってやってくれなんて声を掛けられることも少なくなかったんだろうな。
「ああでも、いつか好きな人を呼びたいから……片想いの相手で……」
　そんなお前を狂わせたのが俺だったなら。もしも、俺の放った一発が、お前の脳をぐちゃぐちゃに傷つけて、輪廻する魂にまで及んでしまったのだとしたら。
　柔らかくしなった指先をそっと包んだ。
　金色の瞳があの頃みたいにギラリと煌めき、俺を捉える。
「――大好きです。ずっと見てました」
　不死身の杉元。杉元佐一。俺は腕を折られるずうっと前から、貴様を知っていたんだぜ。
　獲物の首に手を掛けた喜びを、俺は一切隠さず表に出した。