お互いを恥ずかしがらせないと出られない部屋 ドアのあった場所を蹴る音、それに続く壁の硬さに文句を言う声に、レオナルドはため息をついた。うちの上司たちのようなパワー系ではないのだから蹴破るのは絶対に無理だと思う。
視線を巡らせれば、壁一面にポップな書体で術式が書き込まれているのが視える。ところどころにピンクのハートが混じっていても術式というものは発動できるらしい。
「ふっつーに、術式破る方面はだめなんすか」
「アリギュラちゃんにそのあたりぬかりがあると思うか!」
忌々しい! と吐き捨てた堕落王はレオナルドが座り込んでいたベッドまで来ると勢いよくその上に腰を下ろした。
マットレスが沈み、レオナルドも弾む。フェムトの方に体が傾き肩が触れ、はじきかえされるままにベッドの上に転がりそうになりなんとか耐えた。
ここは、よくあるなにかしないと出られない部屋。
一時期フェムトやアリギュラの悪ふざけでよく使われていた。最近は飽きたとかで被害に逢う人間はいなかった。久しぶりの被害者が堕落王本人、プラスおまけの一名だ。
ご丁寧に堕落王の能力まで封印してみせたのは、偏執王さすがの技術力というべきだろう。
「アリギュラちゃんに! はめられた!」
「いや、まー。アレですよ。条件がまだこれで良かったんじゃないですか」
「ランダム設定だぞ。アリギュラちゃんが決めたわけではないからな」
「うっわ感謝するポイント消えた」
うへー、と眉を下げたレオナルドは、壁にデカデカと掲げられた『お題』をうんざりした顔で見上げた。
○○しないと出られない部屋、には様々なバリエーションがある。
一番定番なのがセックスしないと出られない部屋。万が一これだったら色んな意味で終わっていた。
走り回る子犬を三十匹捕まえないと出られない部屋だったら体力不足の二人にはきつかった。
どちらかを殺さないと出られない部屋、だったりしたらまず確実に犠牲になるのは自分だろうなとレオナルドは考える。そのあと蘇生してくれるだろうか。
レオナルドがうんざりしながら、フェムトが憤慨しながら肩を並べて見上げる壁に記された文字。
『相手を恥ずかしがらせないと出られない部屋』
「……」
「……」
「……フェムトさん」
「なんだ」
「どうやったら恥ずかしがってくれます?」
「僕が! 知るか!」
恥ずかしがらせないと、だから勝手に一人で恥ずかしいことになっているだけではノーカンた。相手のなにかの行動が原因となって恥ずかしいと動揺しなければカウントされない。
「なにかこう、喋るだけで頭を壁に打ち付けたくなるような黒歴史を僕に明かしてそれで僕がからかってみるとか」
「僕の黒歴史を聞いて君の精神が耐えられるのかね?」
「やめておきましょう」
レオナルドは速やかに提案を引き下げた。
少し考える。そんなにリスクのない方法でなにか試せることはないだろうか。
最近見た、誰かが照れ恥ずかしがってい姿を思い浮かべる。褒められて照れるような可愛げはフェムトにはないだろう。
「……一個、試してみたいことがあるんですけど」
ちろ、と隣に座る人を見上げる。
鉄色の仮面の下にわずかに覗く口元を苛立たしげに歪めていたフェムトは、めんどくさそうに手のひらを振った。
「なんでもいい。試してみたまえ。君の小さな脳みそでも万に一つ」
解決に至る可能性が、と言葉を続けるフェムトの、白い手袋に包まれた指先をそっとすくい上げた。
セームの柔らかな肌触りの下、わずかに感じる指の形。何をしているのかと髪を揺らし首を傾げるフェムトに目線を合わせたまま、レオナルドはその指先を口元に運んだ。
「――愛してます」
「ふぁほぎゅぎへほぶっ」
次の瞬間、フェムトは奇声を上げて転がりベッドの向こう側に落ちた。
無事に出ることができた部屋の外で、レオナルドは思いきり伸びをして背中を伸ばした。狭い部屋だったというわけではないが、閉じ込められていた圧迫感には息が詰まる。
レオナルドに続いて部屋から出てきたフェムトはまだ唸るように何事か文句を言い続けている。
無事に部屋から出られたこと……レオナルドにまんまと恥ずかしがらされたことがよほど不満のようだった。
「ライブラの宴会での余興だったんですよ。愛してるっていうゲーム。言ったほうでも言われた方でも照れたら負けなんですけど」
スティーブンさんが無双してました、という言葉にフェムトはさらに口元を不満気に歪めた。
「……君も言われたわけか?」
「え?」
「あの氷男に」
そんな雪男みたいに、と苦笑する。
「僕は言われてませんよ。僕の番が来る前にK・Kさんが切れて銃ぶっ放してましたから」
なぜか、その言葉を聞いた途端にフェムトの機嫌は治った。
とりあえずアリギュラに文句を言いに行くぞ! と意気揚々と歩き始める背中を慌てて追う。
フェムトは気が付かなかったようだ、とその白衣の背中を見ながら安堵の息をついた。
部屋から出る条件は『お互いを恥ずかしがらせること』。
――ベッドでフェムトが隣りに座った時、肩が触れそうになったそれだけでレオナルドの心臓がどれだけ弾んでいたのか。
気づかれなかった。