攘夷時代の初恋の話・上(督白)「銀ちゃんの初恋の相手はどんな人だった?」
神楽がそう問いかければ、高杉のこめかみがひくりと引きつった。
その問いかけの理由が、万事屋の居間で食事を摂りながら見ていたテレビの話題が「今会いたい。初恋のあの人!」特集だったせいであり、悪意があるわけではないことは分かる。
しかし、それを現恋人がいるなかで聞くデリカシーのなさは、そろそろ誰かが教育しなくてはいけないのではないだろうか。
「んー、そうだなぁ……。俺よりちっちゃくて、黒髪で頭が丸くて、笑った顔がイイ奴だったかなぁ」
高杉は再びこめかみを引きつらせた。
子は親を見て育つという。この娘のデリカシーのなさは、ある意味親代わりでもあるこの男譲りなのだろう。
「よくもまあ、そんなベラベラと出てくるもんだ。テメェまだ初恋とやらを引きずってんのかよ」
高杉が忌々しげに吐き捨てながら、銀時のすねを蹴りあげる。
「いでっ!なにお前、俺の初恋の話になると、いっつも不機嫌になるよな」
「テメェを振った奴のことなんざ、とっとと忘れちまえ」
「そうは言ってもなぁ」
曖昧に笑う銀時に、高杉は舌打ちする。
「お前そんなに心狭かったけ?」
「俺がテメェを必死に口説いて口説いて口説いて口説き落として、やっと手に入れたってのに、そいつは何の苦労もなくテメェに惚れられて、なおかつそれを無碍にしやがったんだ」
「あ〜、しつこかったもんなぁ、お前」
銀時が顎に手を当てて思い返す。
あれは攘夷戦争まっただなかのことだ。
「お前に惚れた」発言をしてからの高杉はそれはもうしつこかった。
崖のときに一度決別したものの、アルタナの体で万事屋に押しかけてきては、また以前のようにしつこく口説いてきたものだ。
そして、ついに根負けして押し負けて、交際にこぎつけるまでの、ときには拳を混じえた問答は、それはもう聞くもうんざり、語るもうんざりな物語なのである。
「そういう高杉の初恋は誰アルカ?」
「俺だろ?」
「チッ」
間髪入れずに答える銀時に、高杉が舌打ちをする。
「拗らせてたもんなぁ、高杉くん」
「別に拗らせてたつもりはねェよ」
「そう?拗らせ高杉くんの名言なんだっけ?えっと、確か……“恋だなんだとー”」
「恋だなんだと浮かれやがってみっともねぇ。俺たちゃ戦してんだぞ」
そう高杉が吐き捨てたのは、攘夷戦争のまっただなかで、銀時に惚れた相手ができたのでは、という話をしているときだった。
「何を言うか高杉」
桂が眉をしかめながら、強く高杉を窘める。
「恋というのは、確かに戦にとっては不要な……一見無駄なことに見えるかもしれん。しかし、それはあまりに偏狭というもの。人生にはその無駄こそが必要なのだ。戦の最中であろうとそれは変わらん。誰かを愛したい、愛されたい。守りたい、大切にしたい。そういう心に芽生えた恋は、胸をざわめかせ、ときめかせ、人生に張りを作るのだ。ときには不安にくじけ、無惨に散り、弱り果てて醜態を晒すこともあるだろう。だがその経験は人を強く逞しく成長させる。そして、それらを内包したものこそが、人生という」
「アハハハハ!話が長いぜよ!しかし、ヅラは堅物そうに見えてなかなかロマンチストな男じゃなぁ!」
坂本が大声で笑いながら、桂の背中を叩く。
「ふっ、この爛れた国を治そうというのだ。多少はロマンチストでなければ務まるまい」
「くだらねぇ」
高杉がもう一度、吐き捨てる。
「んなことにうつつを抜かして国が変わるってんなら、苦労なんざしねェよ。それなら、俺ァ一本でも多く刀を振るうね」
「ふーん、あっそ。高杉くんてばつまらない男だこと」
「あ?」
気だるげな色で背後からかけられた声に、低い声でうなりながら高杉が振り向けば、銀時がなんともつまらなさそうな顔で高杉を見下ろしていた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味だけど?」
ふいと視線を逸らすと、銀時はスタスタと去っていく。
「なんじゃ、あの反応は。まさか金時のやつ、本当に好きな娘ができたんか?ヅラ、おんしゃ知っとるがか?」
「うーむ、心当たりがないわけではないが……」
坂本が顎を撫でながら楽しそうに笑い、桂が頭を抱える。そして高杉は、遠ざかる背中に向かって怒鳴りつけた。
「おい銀時!テメェ、腑抜けやがったらぶち殺すからな」
その怒声が聞こえたのか否か、銀時は振り返ることもなく、廊下の角に消えていった。
拠点としている廃寺は、深い森の中にある。人里は遠く、あるのは苔の蒸した仏像だけだ。
夜になって皆が寝静まれば、聞こえてくるのは梟の声と見張り番の間の抜けた欠伸の音だけだった。
そこに、縁側を軋ませる足音が付け足された。
高杉である。
厠に行った帰りに、縁側でうなだれる白い頭を見つけた高杉は、自然と足速に近づいた。
「こんなところで一人飲みかよ」
「……なんだよ、テメェかよ」
銀時の隣に置かれた盆には、口の欠けた徳利と、空になった濡れたお猪口が載っている。
「失せろ失せろ。高杉ちゃんにはねんねのお時間ですよ」
頭を下げたまま、銀時が手で払う仕草をする。
普段、誰かにそんな真似をされても、高杉の心が動くことは無い。しかし、相手が銀時となれば非常に腹立たしくなるのは、幼なじみとしての由縁のせいか。
「おい、銀時。こっち見やがれ」
銀時の襟首を掴み、顔を振り向かせる。そして、高杉は思わずぎょっとした。
銀時の目尻が赤く擦れ、その頬には濡れた跡が見て取れたからだ。
「今傷心中なんだよ、放っておけよ」
ぐすり、と銀時が鼻をすする。
その様子に、高杉は妙にどきまぎとして、思わずその手を放す。
「な、なんつー顔してんだよ」
「うっせーな、ヤケ酒してんだよ」
「はあ?まどろっこしい、ちゃんと言いやがれ」
「だから!振られたんだよ!失恋したんだよ、失恋!そんで、傷心中なの!だから、お前もうあっち行けよ!」
「……」
高杉は銀時の隣に座ると、徳利を持ち揺らす。まだ中身は入っているようで、たぷたぷと水音がした。
訝しむ銀時の視線を受けながら、高杉はそれを空になったお猪口に注ぎ、一気に煽った。
「何勝手に人の酒飲んでるんだよ」
「酒もなく話が聞けるかよ」
「……なに?慰めてくれんの?」
「参ってるやつ相手に塩塗るほど、悪趣味じゃねェってだけだ」
高杉はお猪口に再び酒を注ぐと、それを銀時に手渡す。
銀時は乾いた笑いを零すと、それを受け取って煽った。
そうして、しばらく何を話すでもなく、交互に酒を注いで飲み続ける。
「あーあ、好きなのになぁ」
徳利の酒が、あと一杯分ほどになった頃、銀時がようやく言葉をこぼした。
あまりに弱々しく呟くものだから、高杉は思わずその頭に手を伸ばしてくしゃりと撫でる。銀時はひどく驚いた顔をしたあと、くしゃりと顔をゆがめて笑った。
「俺が惚れてるそいつさぁ、すっげーひどいヤツなんだよ」
「そうか」
「その気もねーくせに、ときどき俺にすっげー優しくするんだ」
「それに振り回されてんのかよ。くだらねぇ」
「そ、くだらねぇーよな」
銀時が笑う。その目尻にじんわりとまた濡れるのを見て、高杉は舌打ちをした。
夜叉のように戦場を駆け抜ける男が、自分が追い越したいと願う男が、どこの馬の骨とも知らない奴のために見せる情けない面に、段々と怒りに似た感情が腹から湧き上がってくる。
やはり恋愛なんてくだらねぇ。
高杉が酒で火照る頭でたどり着いたのは、やはりその答えだった。
そんな男に、失恋した人間を慰める方法など思いつくはずもなく、むしろ楽しげに喉を震わせて笑う。
「ククク、よかったじゃねェか。そんなくだらねェことにとっとと見切りつけられてよ。これに懲りたら、テメェも無駄なことに頓着しねぇで、一本でも多く俺と勝負しやがれ」
「……なんか、ムカついてきた」
「ああ?」
「なんで俺ばっかり、こんなゴチャゴチャウジウジ考えなくちゃいけねぇんだ!」
銀時は一気に最後の酒を口に含むと、そのまま体当たりするように高杉の体に迫ると、両頬を掴んでその唇に押し当てた。
「」
酒で湿った唇が触れ合う感触の後に、間抜けに開いた歯の隙間から熱い液体が舌上を滑り喉奥に流れ落ちていく。
続いて、潜り込んできた舌に口の中を掻き回されると、高杉はその肩を思いっきり押しのけた。
「銀時!テメェ、とち狂ったか」
「うるせぇ、うるせぇ!俺は今酔ってんだ!馬鹿野郎!慰めるってんなら、中途半端にするんじゃねえ!責任持って慰めやがれ!何笑ってバカにしてんだこの野郎!」
「ああ」
「俺は放っておけって言ったのに!あっち行けって言ったのに!来たのはテメェだろうが!」
酔っているせいだろうか。銀時は赤い顔で子どものように癇癪を起こしながら、戸惑う高杉の襟首を掴むと、すぐ後ろにある空き部屋に押し込み、その上に覆い被さる。
「みっともなくて悪かったな!仕方ねぇだろ!好きなんだから!すっげー、無神経なクソ野郎だけど!笑顔がすげー、キラキラしてたんだもん!一目惚れなんだもん!しかも真っ直ぐなやつなんだもん!どんどん好きになっちまうんだもん!でも分かってるよ!もともと、叶う見込みなんて欠片もねぇーし!ばーか!ばーか!」
「ぎ、ぎんと」
「うるせぇうるせぇ!抱けよ。抱いて慰めろよ、このばか野郎」
高杉に馬乗りになりながら、銀時が腰紐を緩める。
「男同士なんて、ここじゃそう珍しくもねぇだろ。嫌だってんなら目を閉じてろよ。穴だけ感じてりゃ、女も男も大差ねぇよ。いいじゃん、別に。恋愛なんてくだらないんだろ?高杉くんは一生、誰とも恋愛なんてしないんだろ?なら、女を金で抱くのも、俺を情けで抱くのも一緒だろ?あーあ、辛いねぇ、オトコノカラダは。どんなにクール気取っても、触られればムラムラしちまうんだからよ。ほら、テメェのここも、擦られて勃ってんじゃねぇか…………」
そう一気にまくしたてて、気が納まったのかそれとも酔いが冷めたのか。銀時は急に黙り込むと、気まずそうに顔を青くしながら、おずおずと高杉の上から退こうとする。
その腰を押さえ込んだのは、高杉の腕だった。
「銀時てめぇ、男のソレを勃たせておきながら、何もせずに終われると思ってんのか?」
「た、たかすぎ?」
「乗りかかった船だ。慰めてやるから大人しくしてろよ」
「あ、う?いや、え?ごめんて。俺もやりすぎたから、なんか、酒にね、こうね、酔ってたのかな。うん、いや、あの」
べらべらと回る口も、高杉が塞げば途端に静かになる。
怯えるように震える体をまさぐれば、男の体ははじめてだが、高杉にとってそう悪くはない感触のように思えた。
高杉も酔っていたのだろう。
煽った酒に、はじめて奪われた口付けに。
そして、見知らぬ誰かに恋をして取り乱す、今まで見たことのない銀時の姿に。
せっつかれるように、焦ったように、怯えたように、狂ったようにーーその晩、高杉と銀時は関係を持ったのだ。