部下にヘキがバレるオキーフの話 彼はいつだって、疲れたような顔をしていた。
下がった目じりは生来の物かもしれないがなんとなく眠そうに見えるし、濃いクマがそれを誇張する。
溌溂とした印象はなく、その地位にふさわしい実力や所属に見合った頭脳を持っていたとしても、これまで見てきた上司のようにいきなり拳を振り上げたり怒鳴ったりして暴力に訴えるタイプではないだろうし、かといって性的に旺盛でもない、ということもわかっていた。
だから彼が、たらふく飯と酒を与えた後、薬で深く眠った私に何をしているのか、単純に気になったのだ。
一度目はきっと本当に、私がアルコールの加減を間違えたのだろう。だが二度、三度と続けばさすがに考えずにはいられない。
抱かれたような形跡はなかった。危なっかしい人生を送ってきたので自分でも意外だが、私は処女なのだ。彼が完璧に痕跡を消そうとも、さすがに破瓜すれば私自身がわかるだろう。
パチ、と目が開いた。
オレンジ色の仄暗い間接照明の明かりが、左腕を下にして横向きに眠る私の首から下に影を落としている。
ここは――いつも通り彼の、オキーフ長官の部屋だった。タバコと彼の香水の匂いがまじって、けだるい午後のぬくもりみたいに漂っている。
私はもう一度、首から下の影に目をやった。
濃く匂うタバコ臭。
くたびれた髪。
肌に当たるか細い息。
触れ合う人肌の間で温まる空気。
彼は、私の胸の谷間に顔を埋めるようにして、眠っていた。
「……」
やはり抱かれていたのか、と思案する。
でも自覚できる限り、自分の肌はいつも通りなめらかで汗をかいたあとのような張り付きはない。破瓜の時に覚えるような痛みや違和感もなければ、体のどこかが筋肉痛ということもなく――いや、よく見れば、彼は服を着たままだった。
ジャケットは脱いでいて、タンクトップ一枚。だが足から伝わる感覚から察するに、ズボンを履いている。
一方の私は、彼に抱きしめられて接する全身の肌感覚がそのままダイレクトに彼の衣服の情報を伝えてくるので、自分が全裸だと悟った。
まあ、丸裸の胸に埋まる彼の顔を見た時から、なんとなく察してはいた。
抱かれてはいないけれど全裸にはされていて、抱いてはいないけれど服を着たままのオキーフ長官が、私の胸に顔を埋めて眠っている。
彼が不眠体質なのは第三部隊では知られたことだ。でも今の彼はよく眠っているように思う。
少なくとも、私が覚醒したこと、そのままじろじろとぶしつけに見ている視線に気づかない程度には、寝入っているはずだ。彼は人の気配にとても敏感だから。
長官は人生に疲れたという雰囲気をくっせぇタバコ臭とともに漂わせているようなおっさんだけれど、仕事はできるし、何より腹いっぱいご飯を食べさせてくれる。
食べることは生きることだ。
おいしいご飯を食べれれば人生が充実しているような気がするし、また明日、おいしいご飯を食べるために頑張ろうと思える。
ここに来てから私の人生は充実している。半分は彼のおかげだ。
だから、まあ、私に理解できない性癖があるとしても、今のところ私に害はないわけだし、今日は目覚めなかったことにして、何も知らないままでいよう。
そう思いながら、もう一度だけ、私の胸に顔を埋める彼を見て――
「あ、」
目が合った。
ハッとして飛びのくより先に、背中に回った手で押し戻される。
私の胸が長官の顔でつぶれた。ちょっと痛いんだけど、寝ぼけてるんだろうか。わざわざ薬まで盛って眠らせたうえでこんなことをしていたわけだから、起きた私はもう用済みだろうに。
「長官、」
「解毒薬を飲んでいたのか?」
「いえ、長官が通信で呼び出されてた時に全部取り換えてもらいました」
「……そうか」
掠れ、いつもよりも低くいっそうけだるそうな声で答えて、彼は長い溜息をつく。
それからその倍ぐらい、大きく息を吸い込んだ。
え、長官もしかして私の匂い嗅いでます……? え? キモッ……。
「声に出てるぞ」
「えっ、あ、すみません。そういうヘキなんですか?」
「いや……」
「へぇ」
「どうだかな」
「はい?」
「お前は、クセになる」
「はぁ?」
「甘酸っぱいようで清廉なにおいも、この滑らかな肌も、柔い肉も……」
「うっわ、キモ……」
「声に出てるぞ」
「すみません」
長官が話すたび、その息が肌にあたってぞわぞわする。くすぐったいというよりはちょっと気持ち悪い。
でも背中に回った彼の腕の力はそのままで、逃げ出せそうにない。
「言いふらしたりしませんし、訴えたりもしないから、今度から薬盛らなくてもいいですよ。またご飯おごってくれればそれで」
「だめだ」
「別に抵抗とかしませんし」
「眠っているのを脱がすところからやりたいんだ」
「もうそれ完全にヘキじゃないですか」
「……知らん」
「いや、知らんって……」
ため息をつく。
なんだこのおっさんは。タバコ臭くて最悪なくせにガキみたいにしがみついて拗ねやがって。つか脱がすところからやりたいってもう完全に変態じゃん。認めろよ。
ああもうまあ、どうでもいいか。逃げられないしここはもう元通り寝るしかない。まだ夜は明けてないっぽいし。
「眠剤は続けると効かなくになるんですよ。依存症とかになったらどうしてくれるんですか」
「毎度種類を変えている。そんなへまはしない」
「あーそーですかー」
なんだかもう面倒になってきたし、また眠くなってきた。
あくびを一つして、しがみついたままの長官の頭に手をやる。
よしよし、ねんねしますよー。なんて適当に言うと、さすがに怒ったのか長官が顔を上げた。顔近いな。
「すみません、冗談です。もう寝ますので、あとはどうぞお好きに」
「もう一回やってくれ」
「は?」
問い返しながら、彼の頭をなでる。
「違う」
「よしよし……?」
「寝付くまでそうしてくれ」
「……」
なんだこのおっさん。
今度は赤ちゃんプレイをご所望かよ。
「牛肉のヒレステーキ300g、発酵バターと生乳使用のロールパン、新鮮なサラダ付き」
「よぉしよし、いい子だからねんねしましょうねぇ~」
「……ふむ」
ステーキにかけるソースはオニオンがいい。ロールパンは焼きたての温かいやつで出てきてほしい。サラダはゴマドレッシングをたっぷりかけたい。あとデザートも要求しよう。さっぱりとしたジェラートはイチゴ味で決まりだ。
なんて現実逃避する私をよそに、長官は神妙につぶやいたかと思うとまた私の胸の谷間に顔を軽くうずめて目を閉じた。ふう、と細い息が肌にかかる。
「やはり、お前とはそうはならんな」
「?」
「気にするな」
ふ、と微笑した彼の雰囲気を察しながら、私は彼の頭に触れていた手をその背中に回した。
「おやすみなさい、オキーフ」静かに言い、広いが薄く硬いそこをなだめるように甘く撫でる。
「ああ、おやすみ」
声が二人の間で温まった空気に溶けていく。
そのぬくもりに眠くなって、瞼が落ちる。
眠り際「やはりお前は癖になるな」なんてつぶやいた彼の言葉に、私は吐息だけを返した。