唯一の 強くなりたいと思う者に教えの手を差し伸べる。やり方は違えど今までずっと続けてきたことだ。
教え方は千差万別。相手によってやり方を変え、的確な効果が出るように日々見守り、意見を取り入れ、有意義なものにしていく。
「……っ」
ガホガホと明らかに正常ではない咳が聞こえてくる。ピッと噴き出る血は白い顔を汚し、踏みしめられた雪はまだらな赤に染まっていく。
いつものフィガロならすぐに駆け寄り、治癒魔法を施し、そして魔法舎の温かなベッドに寝かせているだろう。
けれど、フィガロは動かない。どこか困った顔をしてポキポキと肩を鳴らした。
「いやあ、久しぶりだよ。しかも対魔法使いなんてさ。南に来てからは割と平和だったし。いや、最近はそうでもないか」
「……はっ……」
何か答えようにも、上手く声が出せないのだろう。ファウストは口元を汚れた手袋で拭き、血がべっとりとついたサングラスと共に空に放り出した。
「ご教授……はっ……いただき……っ……感謝いたしま……けほっけほっ……」
「ほら、ちゃんと息を整えて」
笑いながらフィガロはオーブを右手でそっと上げる。ぼんやりと青白く光れば、すぐさま槍のような氷が笑う膝を叱咤する彼の背中に一直線で向かっていく。
「……っ」
ファウストはすぐさま守護の魔法を唱え、雪道をゴロゴロと身体を転がす。槍は大きな音を立ててザクリと地面に勢いよく刺さった。
もし、これが急所に刺さっていたら?
考えるだけで血の気が引いていく。唾を飲み込めば傷口が痛み、血の嫌な味がした。
「ほら、寝転がっていると危ないよ」
瞬間、ファウストが伏せている地面の雪が鋭利な針に変わる。すぐに空に飛び上がったものの、普段使っている練習着にたくさんの小さな穴が開けられた。
「油断していたでしょ?」
「そうかも、しれません。有難きご指摘に、感謝、いたします……。けほっ……けほっ……」
ひとなですることで軽く傷を塞いだファウストは、呪文を唱え、治癒と守護の魔法を強めていく。指先からつうと滴る血を乱雑に跳ね除け、意志の強い目線でフィガロを見つめる。懇願に近いその眼差しに、フィガロはゆっくりと微笑んだ。
ああ、これこそが、ファウスト、唯一の弟子なのだ。
「お願い、いたします」
「もちろん」
瞬間、氷の礫が大量にファウストに浴びせられた。目隠しの一種だと悟った瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。
チラリと背後を見れば、地面に突き刺さっていた氷の槍が落ちていた。矢尻が血塗られていることから、この鋭利な部分でさっくりと柔らかな肌に線を入れられたことを悟る。
「ぐっ……」
「さっき言ったのにね」
目の前に立つ男は片手でオーブを回し、にこりと微笑む。肩にかけられた白衣は風になびき、シミひとつ見当たらない。
それに比べて、ファウストはもはや血に濡れていない場所の方がきっと少ないだろう。受け身を取り損ね、額についた傷から鬱陶しく血がダラダラと流れ続ける。指先で乱雑に抑えながら治癒の魔法で止血をして、彼はゆっくりと立ち上がった。
ああ、なんと健気なのだろう。
フィガロは内心健気な教え子に拍手を送りながら、にこやかに笑う。
「《ポッシデオ》」
その瞬間、ファウストの意識は闇に沈んでいく。血の湖と化した雪に、フィガロはどこか困ったように笑う。
すうすうと寝息を立てるファウストの脈を測り、そのまま治癒魔法で軽く止血。急所はわざと狙わなかったものの、彼の身体にはたくさんの傷口ができ、血液でひたすらに黒く黒く染めあげていた。
魔法を使いゆっくりと抱き上げると、寒空の下温かな温もりを感じる。少しだけ力を入れれば、初めて白衣に赤いシミがついた。
首筋の赤い線を消し、頬を撫でながら白い肌の傷を癒していく。背中は優しく叩けば傷口が塞がっていき、そっと手を繋げば赤黒くなった指先が白に戻っていく。
「やりすぎちゃったな……」
強くなりたい。その思いに応えるためには、どうしたらいいのだろうか。これでいいのだろうか。嬉しい気持ちの反面、答えが見えないことへの焦りもある。
「……ガロ……様……」
「ああ、起きちゃったか」
ひくひくと動く瞼をそっと人差し指で撫でて、柔らかな髪をそっと撫でる。こびりついたねっとりした血液を取り除きながら、もう一度、白い顔の頬へそっと手を当てる
何か答えようと口元を震えるファウストは、再び意識を鎮めていった。
「もう休んだ方がいい。……ごめんね、無理をさせて」
フィガロは優しく笑いながら、彼の顔にかかるくせっ毛を指先でよけていく。
優しげに微笑みながら眠る彼に。
なぜだろう、無性に泣きたくなった。