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    エタるかもしれないアレとかコレとか/ユスグラ/パシラン/フィ晶♂/銀博/実兄弟BL(兄×弟)/NovelsOnly……のはず

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    回答編

    WS 5-28.
     雨が降っている。
     窓硝子に遮られた世界は白く煙っており、時折叩き付けられる雫がパラパラと軽快な音を立てる。薄ぼけた建物が幾つも建ち並ぶ大通りには、流石にこの土砂降りの中を出歩く酔狂な人間などいるはずもなく、人っ子一人見当たらない。霧に滲む街路樹の梢が、風にふらふらと揺れているだけだ。
     少年は、ベッドの背もたれにたっぷりと置かれたクッションに寄り掛かるようにして座っていた。亜麻色の髪は綺麗に整えられていたが、あどけなさの残る顔は頬骨が目立つほどに痩せ細り、瑪瑙の瞳だけが大きく、ぎょろりと飛び出しているような容貌である。膝の上に置かれた大きな本は適当に開かれたままページをはぐられることもなく、枯れ枝のような指がただ乗っかっているだけであった。
     彼の病は、不治のものである……――
     お抱えの医師がそう断言し、これ以上何も出来ないと匙を投げられてしまったのが三年前。彼の両親は、最愛の一人息子に降りかかったこの悲劇の結末を大いに嘆き、私財をなげうってあらゆる治療法を試した。祈祷師に呪術師、薬師に牧師……中には自称としか言いようのない怪しげなものも多分に含まれていたが、年老いた両親にとってはわらにも縋る思いだったのだろう。彼のベッドの周囲は次第に魔法道具で囲まれ、室内は妙な香りを漂わせ始めた。世の中の砂糖菓子を全て集めて煮詰めたような、胸焼けするほどに甘ったるい匂い香りを、少年は全く好ましいとは思わなかった。しかし、両親がしつこく勧めるのでそのままになっている。これ以上我が儘を言って両親を困らせても、仕様が無いと知っていたからだ。
    「やぁ、お早う、兄弟」
     唐突に上がった声に、少年は、けれど驚くこともなくゆるりと目を向けた。
     だだっ広い部屋の端、窓の傍に置かれた革張りの長椅子。外套を纏った青年がひとり、鷹揚に足を組んで座っている。サイドテーブルに頬杖を突き、目深に被ったフードの下でにこにこと笑っている。
    「今日の気分は、どうだい?」
     青年の来訪が予期できないのは毎度のことであったが、最近はそれも慣れた。そもそも、この部屋を訪れる人間など決まり切っている。
    「まぁまぁ、だね」掠れた声で素っ気なく呟き、重たい身体を少しだけ身を起こした。「それより、君、入ってくるのなら、扉から来てよ。毎回、心臓に悪いよ」
    「ああ、それは悪いことをした」
     次からは気を付けよう。そう言い切った青年は頬笑んだままだが、本当にそう思っているのかは甚だ疑問である。今まで幾度となく繰り返してきたこの問答だが、彼は一度として少年の提案を受け入れたことなどない。なので少年はもうそれ以上とやかく言うことを止めて、ため息で締めくくった。
     この青年の素性は実はよく分かっていない。少年も……おそらく、家の者たちも。
     ただ判明しているのは彼の名前と、しがない舞台役者ということだけだ。父の古い友人だと自称しているが嘘だろう。第一、還暦を超えた父と、どう贔屓目に見ても二十代も半ばの青年とでは世代が違いすぎる。仕事上の取引相手とした方がまだ信憑性があるのに、随分と下手な嘘を吐くものだと少年は思ったのだ。
     しかし、それを問い詰めたところで意味がないことも、少年は理解している。彼の存在は家に出入りしている怪しげな商人たちと何が違うというのだろうか。変なものを売りつけたり、飾ったり、飲ませたり……害にならないだけ大分マシだ。
    「おや……?」
     青年の視線が、ふと、意味ありげに少年の手元に向かった。膝の上に置かれた本に目を遣り、次いで顎を擦った。
    「どうやら、その《脚本》も《終演》となったようだね」
    「……」
     《脚本》――
     青年は、自身で持ち込んだ本をそう呼称していた。
     《脚本》とやらにはどうやら不思議な力があるようで、開いたまま眠ると《脚本》の内容に即した夢を見た。森の遺跡の奥深くに棲まう精霊の話、峻険な山々に挑む若き登山家の冒険譚、国家間の紛争で引き裂かれた恋人達の物語……そのどれもが本当に自分がその場にいるかのような、登場人物のひとりになったかのような妙な臨場感を伴った。風の音、空気の匂い、花の香り、土の感触、人だかりの温度……その細部に至るまで。
     少年はこの家から一歩も外に出たことはない。よって、海と称される大きな水溜まりがどのような色をしているのか、山の頂上から見る景色がどのようなものなのか、人の溢れる街はどのような音を奏でるのか、知るよしはない。けれど《脚本》の見せる夢は少年の想像力を遙かに飛び越えて、いろいろな風景を展開させた。最近は殆ど眠るばかりの少年にとっては、眠りは近付きつつある死への恐怖ではなく、《脚本》の夢を楽しむものとなった。
     青年から借り受けた《脚本》はその殆どを既に読破し、膝上に開いた最後の一冊もつい先ほど物語を終えたばかりだ。「それでは次の《演目》を……と言いたいところだが」と青年は勿体ぶるように眉根に皺を寄せ、立ち上がり、首を振った。「残念ながらおれの手元にはもう《脚本》がないんだ。お前さんの持っているそれが最後さ」やれやれ、と肩を竦めてみせる。その大袈裟な素振りは舞台上の役者を彷彿とさせる。
    「……そう」
     何となく分かっていたことではあったが、実際に口に出されるとやはり落胆する。少年は俯き、ついでに膝の上の《脚本》をパタンと閉じた。ふわ、と古紙の匂いが鼻先を過ぎるが、すぐに周囲に漂う甘ったるい香りに消されてしまった。
    「ああでも、そんなにがっかりすることはないぜ、兄弟。無いのなら、書いて作れば良いだけの話だからな」
    「え……?」
     あまりにも当たり前に、あまりにもさらりと。
     何でもないことのように発せられた台詞に、今度は少年が目を瞬く番であった。
     ――書く? 《脚本》を? 誰が? どうやって……?
     青年はにんまりと笑うと、少年の視線をたっぷりと意識しながら、したり顔で胸を張った。窓際をゆっくりと、大股に歩きながら、少年の傍……彼の横たわるベッドの傍に近寄る。彼の膝の上の《脚本》を、すっと引き抜く。
     代わりに差し出されたのは、赤い天鵞絨で覆われた本であった。金の箔押しがされており、手触りもいい。ただ、今までの《脚本》とは違い、厚さはそれほどでもない。表紙を開き、ぱらぱらと数ページはぐってみるが、白紙が続いているだけで文字が見当たらない。
     目を上げると、青年と目が合った。青年はぱちんとウィンクしてみせた。
    「この《脚本》は特別製だ。お前さんがこれから《舞台》を作り上げていくんだ」
    「僕、が……?」少年は戸惑う。「でも、僕は、物語なんて作ったことがないよ」
    「はは、心配ご無用。一応脚本家という権利は譲渡するが、《舞台監督》はおれだ。お前さんの望むとおりに《舞台》を動かしてみせよう。どんな展開だって構わない。どんな登場人物だって出そう。お前さんが超常の力をもって世界を牛耳るのだって、問題ないさ。《舞台》の全てはおれたちの手の内なんだからな」
    「……」
     しばらく、少年は黙った。黙って天鵞絨の《脚本》の表紙を撫でた。
     冒険。恋愛。因縁。対決。ああ、でも……胸躍るような、派手なものでなくても。
    「僕は……」ぽつりと呟いて、顔を上げた。「僕のまま、生きていけるような話を……」
     こんな重い身体ではなく。思い通りにならない容れ物ではなく。
     もしも、……ああそうだ、もしも僕が不治の病になど、侵されていなかったのなら。
    「いいね!」
     青年は、両手をぱんと合わせた。満面の笑みで応える。
    「それならいっそ領主の一人息子という立場ではなく、そうだな……島に住む普通の男の子ってことにすればいい。お前さんはお前さんのまま変わる必要はないが、立場の違う誰かの人生を味わうっていうのも乙だろうさ!」
     言うが早いか、少年ははっと目を見張った。持っていた《脚本》が自ら光り輝いたように見えたのだ。若干、手の中で熱を帯びているようにも思える。
    「さて、……若き《脚本家》セイン・アリュシナオンよ」
     青年は口角を上げた。まるで看板役者の唯一の見せ場のように優雅な礼をひとつ、そうして口を開いた。彼の穏やかな語り口調は、雨の音だけが反響するこの部屋に、静かに満ちていくようだった。
    「星の獣たるキリエ・ルイゼが祝福しよう。新たな《舞台》を、そして、新たな《脚本》の誕生を――」


    「……ッ……」


     ゼタは足を止めた。否、足を止めざるを得なかった。
     それは背後に聞こえる足音の主、ベアトリクスも同様であり、立ち止まると同時にはっと息を呑んだ音がゼタの耳にさえはっきりと届いた。
    「何だよコレ……」呆然と呟いている。「そもそも、何処だ、ここは……?」
     そうだ。
     あたしは、……あたしたちは。カフェの扉を潜ったはずなのだ。間違いない。大地を揺さぶるほどの爆音を聞いて飛び出したのだ。先陣を切ったキリエを追って、かの、……無人の街へと。
     しかし、ここは。一体、……何処なのだろうか?
     黒煙が拭われ、土埃が収まり、見えてきた景色はゼタが想定していたものではなかった。人の気配がないとはいえ、あの、綺麗に整っていた街並みはどこにもないのだ。鳥の歌も、風の声も、花々が咲き誇る花壇も、青々と茂る緑の街路樹も、そのどれもが存在しない。全てが崩れ落ち、あるいは草むらに埋もれ、手入れもされていない建物らしき残骸がぽつぽつと生えているばかり。殆ど更地のようになった世界が延々と広がっている。
     ――あの一瞬で破壊されたと?
     爆音が聞こえたのは確かに二回。そのうちの一度は大地が揺らぐほどの衝撃であったとは言え、街全体を破壊するほどの威力ではなかったはずだ……もしもそこまでの破壊力があったとしたのなら、あんな小さなカフェなど跡形もなく吹き飛ぶだろう。ゼタはただ、唸る。
     ――違うなら、ここは……
     気掛かりはもうひとつある。ベアトリクスを振り返り、彼女の不可解そうな顔を通り過ぎた視線はぐるりと周囲を見渡す。瓦礫が積もり、石畳がめくれ上がり、雑草が生い茂る水路らしき涸れた穴を越えて……だが、そのどこにも小洒落た風合いのカフェなど見当たらない。急に違う世界へ放り出されたように……とそこまで考えてゼタははっとする。同じではないか。霧中を歩いて最初にこの街へ辿り着いたときと……!
    「ゼタ!」駆け寄ってきた足音が、間近でザッと立ち止まった。栗色のポニーテールが揺れる。「何ぼうっとしてんだ、囲まれてるぞ!」
    「ッ……!」
     向き合うのが早かったか、それとも、奴らが飛び込んでくるのが早かったか。
     すんでの所でアルベスを振り、先端から吹き出した炎が紅蓮の軌跡を描く。次いで響く断末魔はラウンドウルフか、それともゴブリンソルジャーか。空っぽになった鎧や武具が、ガランガランと空虚な音を立てて地に転がる。
    「全く、どうなってんのよ!」
     ゼタの叫びが開戦の合図となった。
     宙を我が物顔で飛び回るトワイライトフライやキラービーが、往来を闊歩するラウンドウルフやゴブリン共が、何匹も何匹も飛びかかってくる。牽制し、追い払い、時には叩き落としながら、ゼタとベアトリクスは背中合わせになって周囲の魔物たちと対峙していた。美味そうな獲物の匂いに、おそらくは好機とみたのだろう。崩れ落ちた建物の影、あるいは瓦礫の山の向こうから、次から次へと沸いてくる。
     ただ、彼らにとって不運であったのは、彼女たちは決して一介の冒険者ではなかったことだ。かの組織の第一線で活躍していた女騎士たちに有象無象が勝てるはずもなく、大体が物言わぬ骸へと変えられ、残ったものも這々の体で逃げ出す始末。辺りが静まり返るまでに、それほどの時間を要さなかった。
    「あれぇ、もう終わっちゃったの?」
     鈴を鳴らすような、可愛らしい声が聞こえたのはまさにその時だった。
    「パーティっていうから、カリオストロ、精一杯おめかしして来たのになぁ」
     とん、と降り立ったカリオストロは、蜂蜜色の髪を肩口から背中へと流し、口元に手を当ててにこっと微笑んだ。その背後でとぐろを巻き頭をもたげた巨大な蛇――ウロボロスが呼応するように低い唸り声を上げる。
    「面白いものを見つけたぜ……招かれざる客とでもいうか」そこでニヤリと口角を上げ、顎で背後を指す。「自律する妙な四つ足の機械だ。一掃するのに多少骨が折れるほどの、な」
     ゼタとベアトリクスは思わず顔を見合わせる。カリオストロの指し示す先には草原が風に揺れるばかりで今は何も見えないが、妙な四つ足の機械……その言葉に、容姿に、互いに思い当たるものがあった。目の前にある苦虫を噛み潰したような表情に、ゼタもまた、自分も同じ表情をしているのだろうと何となく感じた。
    「――機神……?」
     ぼそりと呟けば、カリオストロは「ほう」と顎を擦って目を瞬いた。「成る程、あれが……研究材料としてはこの上ない代物だが、残念ながらありゃあ、偽物だったようだ」
    「偽物……?」
    「あぁ」ひとつ、頷いて「ちょうどいい、部品でもひとつ頂戴しようと思っていたんだが、倒した途端崩れるでもなく霧になって消えやがったんだ……跡形もなく、な」
     ゼタとベアトリクスは再び顔を見合わせた。
     同様の事象には、つい先日遭遇したばかりだ。カシウス救出作戦の折、月へと向かう準備をしていたときに、奴らは、大挙来襲したのだ。難なく追い払ったはいいものの、奴らも月へ向かう算段があったと知り、後にイルザ隊の部隊員を始め余計な戦力と犠牲を払うことになってしまった――
    「何」ゼタは、はぁっと聞こえるほどに大きなため息を吐く。「何でまた、幽世の連中がちょっかいを出してくんのよ」
    「しつこい奴らだなぁ」ベアトリクスもうんざりと首を振る。「今度は何が目的なんだ」
    「幽世」カリオストロはすっと目を細め、腕を組む。「あそこにいたのはただの偶然ではないと? この件……まさか、幽世の者たちが噛んでいるとでも言うつもりか?」
    「あくまでも仮説よ。でも、だとしたら大分面倒なことになるわ。……あいつらは所謂、無尽蔵の軍勢を持っているんだし――」
     そこまで言って、ゼタははたと続きを止めた。眉根を寄せる。
    「まさか……あのキリエって奴、幽世に与しているってことは……ないわよね……?」
     くだらない閃きである。確たる証拠があるわけではない。言いがかりに過ぎないこともよく理解している。突如として現れた点のひとつを得体の知れないものに無理矢理結びつけて、分かっている気になりたいだけなのかもしれないことも。
     ただ、何を馬鹿なことを、と一笑に付すだけの根拠はない。有り得ないとはっきり否定できるだけの材料もない。それを裏付けるように、ベアトリクスはあんぐりと口を開けて目を見開き、カリオストロは睫毛を伏せて黙っている。
     ――幽世の者たちは、今でも封印武器を狙っているというし……。
     ゼタは無意識に、アルベスに指を這わせる。炎を生み出すとは到底思えない冷たい感触は、手袋越しにもよく伝わる。
     ――でも、こんな回りくどいことをする? グランを拐かし、あたしたちを謎の街へ誘い出し、今度はこんなだだっ広い廃墟に放置して襲撃する……あたしがもしも幽世側であったなら、一人ずつ無人の街へと連れ出して、数に物を言わせて一網打尽にするわ……特別な力を持っていたとしても、あたしたちはあくまで人間、いずれ体力も尽きることだし、

     オオオオォォッ――

     突如上がった耳障りな咆哮が、それ以上の考えを遮った。
     顔を上げ、ほぼ反射的に武器を構えたゼタの手前、今まで何もなかった草原と瓦礫の合間に淀みが満ちる。チッ、と舌打ちが過ぎった。数が多いな、と苦々しく呟く声も。
     淀みは地を這うようにしてたゆたい、次第にゆらゆらと立ち上る。始めは形を為していなかった靄が徐々に集まり、固まり、物体となって現れる。空を飛ぶ者、錫杖を掲げた者、盾を構えた者、そして、妙な四つ足の機械。辺りをずらりと埋め尽くすその数、おおよそ十、……否、それ以上は優にあろう。途中で数えるのが嫌になるほどに。
    「おやおや、……これは皆様お揃いで」
     ざらざらとした声は、集団の中から聞こえる。近く、あるいは遠く、あちこちで反響するため位置が把握しづらい。
    「こんな僻地で何をしておられるのです」
    「そうね……」アルベスを構えたまま、ゼタはせせら笑った。「ちょっと人を待っているのよ。折角パーティにご招待頂いたっていうのに、主賓の到着がまだみたいでね」
    「それはそれは、大変お困りのご様子……」
     ある種の嘲りを含んだ慇懃無礼な響きを聞きつつ、ゼタは素早く辺りに目を遣る。ずらりと居並ぶ異形はどれも直立不動のままで、目立った動きをする者はいない。
    「ここでお目にかかったのも何かの縁、是非手助けして差し上げたいところですが、如何せん我々も祭りの準備で猫の手も借りたい始末でして……」
    「へぇ、祭り……ねぇ」唇に笑みを刻んだまま、ゼタの緑青色の瞳は油断なく周囲を巡る。「随分と大変そうじゃない。尋問さながらあたしたちを取り囲む余裕はあるっていうのに、それでもまだ人が必要だっていうんだ?」
    「えぇ、えぇ……それはもう」
     哄笑が響いた。ゼタは、ゼタの視線は、集団のほとんど真ん中で停止した。淀みが噴き上がり、明らかに雰囲気の違う堂々とした佇まいの異形が現れたのだ。奴の目と思しき二つの穴は、ゼタと、彼女と背中合わせのベアトリクスと、そして近くにいるであろうカリオストロとの間を行き来している。
    「我々の仕事は、所謂祭りの警護というやつでしてねぇ。我が主からは、鼠一匹たりとも通すなと言われております故――」
     巨大な二つの角。馬にも似た面長の顔には同じ形の面が貼り付いている。青白い肌に纏うのは妙な形と金色の縁取りが付いた上下一対の鎧であり、異形の両腕は途中から蛇に変わり、ある者は身体に巻き付き、ある者は威嚇するように空中でうねっている。
    「……出たわね、親玉」
     ゼタは口の中だけでぽつりと呟き、耳を懲らす。先ほどから細々と途切れることなく続いていた詠唱らしき声が、そこでふつりと途切れたのだ。邪魔をされたわけではあるまい……だとすれば。
    「おあいにく様、……あたしたちはね、こんなところで遊んでるわけにいかないの!」
     ざっと風が吹いた。ゼタは背後のベアトリクスを振り向き、目を見張る彼女の手を取って引いた。
    「アルベス!」
     槍を構え、叫んだのが先か。
    「コラプス!」
     背後から声が響くのが先か。
     ぐにゃり、と大地が歪み、激しくたわむ。あちこちから土塊が突き上がり、次々と崩れていく。周囲はもうもうたる砂塵に覆われ、けれど、異形たちは悲鳴を上げるでもなく、動揺するでもなく、無表情のままで土煙の中に消えていく。
     それでも立ちはだかる者たちは、アルベスの炎が余すことなく焼き尽くした。熱気がチリチリと肌を炙る中、二人の女騎士と一人の錬金術師は互いの無事を音だけで確認しながら駆け抜ける。
    「やったか……?」
     怪訝に上がるベアトリクスの声に、カリオストロは首を横に振った。その背で、土埃に煙る中に不気味に響く数多の哄笑を聞く。
    「いや、範囲を拡大する代わりに威力を落としたんだ、目くらまし程度にしかならない」
    「遅かれ早かれ追ってくるでしょうね、面倒なことだけど」
     ゼタは小さく舌打ちしつつも、油断なく周囲に目を遣る。真横に追い付いてきたベアトリクスの足音を聞き、その横でまたひとつ、異形がくずおれるのを尻目にして。
    「これからどうするんだ?」
    「どうするもこうするもないわ」はぁ、と大きなため息を一つ。「パーティに招待してくれた主賓を探し出して、一発くれてやらないと気が済まないでしょ」
    「そうだな、了解」
     三人は苦笑しながら頷き合い、それぞれの足に力を込め、瓦礫と草原の中を疾走する。道中ベアトリクスはふと後ろを振り返ったが、後方遙か遠く土煙が拭われた廃墟には最早何の姿も何の気配も残っておらず、何もなかったかのように、ところどころに生えた雑草が穏やかに風にそよいでいるのみであった。


    「……あの」


     可憐な声に顔を上げれば、カフェの入り口近くに立っていたルリアと目が合った。怪訝そうにこちらを見る彼女の肩口から、蒼く長い髪がさらりと零れる。
    「いいんですか……? 私たち、行かなくて……?」
    「ああ……」
     応えて、サンダルフォンは窓の外に目を向けた。洒落た形の窓枠に切り取られた街の風景は普段と何ら変わりなく、通りには活気が溢れ、沢山の通行人が行き交い、さざめきのような喧騒が辺りに満ちている。両腕に抱えきれないほどの荷物を抱えた青年、おしゃべりに夢中な少女たち、はにかみながら手を繋いで歩く恋人……それらをのんびりと追い抜くのは、たっぷりと木箱を積んだ荷馬車だ。御者台のでっぷりとした男は手綱を握ったまま、退屈そうに大あくびをしている。
     先刻まで外にあった無人の街ではない。おそらくは、大地を揺るがすほどの衝撃に飛び出していったゼタやベアトリクス、カリオストロたちが向かった先でもない。窓の外、このカフェの外は所謂舞台の上だ。あらゆるものが作りもので、まがいもので、けれど、観客たちに夢を見せるには十分なほどリアルな世界。
    「特に問題は無い。それより、珈琲でも飲まないか? どうせ客も来ないだろう」
    「……あ、えぇ、……はい」
     ルリアは惑いながら、目を何度も瞬きながらも、おずおずと傍の席に腰を下ろす。そうしながらも、ちらちらと扉の外を気にしている。心底不思議そうな、事象を理解できないような表情で。
     ――《舞台》。
     ――ということは、……ここに必要とされたか。
     ふぅっと息を吐き、サンダルフォンは温めたカップを取り出して静かに珈琲を注ぐ。焦げ茶色の表面が波打ち、辺りには香ばしい匂いが漂う。傍らのミルクピッチャーと角砂糖の入ったキャニスターを添えてルリアの元へ運ぶが、彼女は窓の外へと目を遣ったままだった。コト、と卓の上に置いた音で、はっとこちらを向く。
    「この島は二重である……と、君には話したな」ちょうどルリアのはす向かいに腰を下ろしつつ、サンダルフォンは口を開く。「覚えているか?」
    「はい」こくりと頷き、ルリアは、手元にコーヒーカップをたぐり寄せた。「《舞台》の話、ですよね。《脚本》があって《役者》がその通りに動いている……」
     その通りだ、とサンダルフォンは首肯した。
    「君、実際の舞台を見たことは?」
    「ありますよ。劇団員さんも艇に乗ってますし」
    「なら話は早い」赤の目を伏せ、彼は小さく息を吐く。「ここは、……このカフェは、所謂楽屋だ。普通の人間が、《楽屋》で髪を整え、衣装を纏い、化粧をして《役者》となり、《舞台》へ上がる……」
     内装は好きに整えてくれと言ってきたのは、今回の首謀者たるキリエ・ルイゼであった。
    《楽屋》自体は用意するが中身は特に決めていないんだ、折角協力してくれるんだし、ここだけはお前さんの領域にしていいよ。その代わり、例の件……よろしく頼んだぜ。
     騎空艇内の一角に存在するカフェミレニアを、もしも実際に街中で開くとしたら……そんな思いを《楽屋》は見事にくみ取った。至る所に置かれた鳥籠、それから真っ白い羽根。端々にあの御方の気配を感じるこの場所は、想像よりも居心地良く感じた。今回の件が終わったら消滅してしまうのが勿体ないと思うほどに。
    「《楽屋》は《舞台》と現実とを繋ぐ場所だ。つまり、《楽屋》が無くなってしまったのなら……」
    「《舞台》の上にいる《役者》さんたちが、二度とこちら側に戻ってこられなくなるんですか?」
    「理解が早くて助かるよ。つまりは、そういうことだ。俺たちは、何としてもここを死守しなければならない」そうでなければ……と続け、サンダルフォンはため息を吐く。「特異点は……グランは、帰ってこない」
     ルリアは特に驚かなかった。空の色を映したような綺麗な瞳でサンダルフォンをじっと見つめていた。ミルクをたっぷりと注いだ珈琲は既に元の色を無くしてしまっていたが、香ばしい香りは湯気に乗り、辺りにふわふわ漂い続けている。
    「やはり、《舞台》に捕らわれているんですね」ぽつりと呟き、カップを持つ手に多少力を込める。「多分そうじゃないかと思ってたんです。《舞台監督》のキリエさんは、星晶獣ですよね……?」
     ルリアの探るような視線に、サンダルフォンは静かに頷く。星晶獣の気配を感じるという蒼の少女相手に嘘を吐いても仕方が無いし、誤魔化しても意味がない。
    「でも……だとしたら何故、キリエさんはグランを《舞台》に連れて行ったんでしょう? 協力を仰いだ、って言ってましたけど、《脚本》があるのなら《舞台》の上のことはどうとでも出来るはずなのに……」
     ――《舞台》に何か問題が起きている。アイツは死んだはずなのに、《物語》は消滅もせず続いている。
     かつて、キリエはそう言った。彼には珍しい渋面を作りつつ。
     ――特異点のことはお前さんも知っているだろう。協力を申し出てくれたのだがどうやら巻き込まれてしまったようだ。おれは……ああ、おれは忘れていたんだ。どんな特殊な能力を持つものであっても《舞台》に組み込まれてしまったのなら《役》に上書きされてしまうことを……。
     あるいは……アイツの狙いはそこであったのかもしれないな、と自嘲的に呟く。暗い色の瞳だった。
     ――なぁ、この件、どうにかならないだろうか。《再構築》でさえ失敗し、残念だが、もうおれの手に余るんだ。勝手なことを言っているのは重々承知だ。だが、どうか昔のよしみで力を貸してくれないか、なぁ、サンダルフォン……。
     昔のよしみ、だなんて言っているが、彼とは殆ど面識がない。パンデモニウムで一度相まみえたくらいで、その話を持ち出されてやっと、あのときいたのか、という認識になる程度だ。今回の件だって進んで何とかしてやろうと思ったわけではなく、ただ……もしもあの場にグランがいたのなら、後先考えずに助けに行くだろうとそう思っただけだった。
     そして、……そんなお人好しの団長が陰謀に巻き込まれたと知るやいなや、何としてでも彼を救出せねばと、何人もの団員が我先にと手を挙げるであろうことも。
    「《権限》が奪われたと……そんなことを言っていたな」
     サンダルフォンがぽつりと零せば、ルリアは繰り返して、権限、と小声で言った。
    「おそらくは《脚本》に関わるものだろう。今や《舞台》はキリエの手を離れ、良くない方向に進みつつあるようだ。それを止めるためにグランは呼ばれ、そして巻き込まれた」
     軽く肩を竦め、立ち上がる。椅子の脚が床を擦り、小さく音を立てる。
    「良くない方向……ですか」
    「ああ。ただ、それが何かは俺にも分からない。分かることはただひとつ、……キリエから《権限》を奪ったであろう何者かがいて、――」
     そいつが今回の黒幕だってことだ。
     そう言ったか、言わないか。
     カラン、と不意に響いたドアベルの音が二人の会話を遮った。顔を見合わせると同時に弾かれたように扉を見た二人の瞳が、一様に丸くなる。
    「あ、あの……」
     開きかけた扉から顔を覗かせたのは一人の少年であった。茶色の髪が風に揺れている。
    「すみません、いきなりお邪魔して……その、今、お店、やってますか……?」
     ぐ――、と何か言い掛けたルリアを、サンダルフォンは手だけで制した。「やぁ、いらっしゃい」とにこやかに話し掛けつつ、扉に近付く。「ちょうど今仕込みの最中でね。出せるものは限られてしまうが、それでも良ければ、どうぞ」
     良かった、と少年は相好を崩し、すぐに扉の向こうに顔を引っ込めた。連れがいるのだろうか、ぼそぼそと二、三言何かを話して、多少の間が空き、ようやく扉が開く。カランカランとドアベルが軽やかに鳴り、静かな店内へ入り込んできた遠慮がちな二つの足音と蝶番の軋みとが、かすかに聞こえる賑やかな喧騒のあわいにじわりと滲んでいった。
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    ruicaonedrow

    DONE一幕一場(状況説明)
    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
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