Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    EAst3368

    @EAst3368

    Twitter: @EAst3368
    読みたくて自分で描いたささろシリーズ

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 126

    EAst3368

    ☆quiet follow

    ささろ/※お魚鑑賞所で働いてるパロ🐬/ライブ前に◯遊館に行ったので…

    Arctic 0度の海水を「温かい」と形容する世界の話だ。分厚い海氷を隔てた地上の平均気温はマイナス十八度。太陽が姿を消せば、一面の銀世界はマイナス三十度にも到達する。
    「そんなん、盧笙が凍えて死んでまう」
     簓は羽毛布団を蹴って飛び起きると、雪のように白いシーツに横たわる盧笙を見下ろした。素肌が晒された盧笙は顔を顰め——セントラルヒーティングが効いているとはいえ、二人分の体温を分け合ったベッドの温もりには敵わない——簓の腰元で皺になった掛け布団ごと、恋人の身体を自分の隣に引き戻した。
    「死ぬわけないやん。むしろドライスーツで調査地点まで歩いたら汗だくになるらしいで」
    「ドライスーツ着るってことは、海入るん⁉︎」
    「入るに決まっとるやろ、北極点の海洋生物調査が目的やねんから」
     あかん、死んでまう、と色を失くした簓はこの世の終わりみたいな顔で大袈裟に呟いたきり、枕に顔を埋めて静かになってしまった。盧笙は笑いを堪えるために唇を引き結び、亜熱帯のサンゴみたいにじっとしている緑の後頭部を見つめる。
     盧笙が二ヶ月間に及ぶ北極海調査へ参加することが正式に決まったのは、昨日の夜のことだ。簓が絶対にショックを受けるだろうと思って、タイミングを見計らってなるべく驚かせないように切り出したつもりだったが、あまり効果は無かったらしい。こいつの世話が一番難しい、と盧笙は目を細めて、緩んだ口元を手のひらで覆い隠した。

     簓と盧笙が出会ったのは三年前、付き合い始めたのは一年前の夏のことだ。
     大阪の空が梅雨の名残を惜しむように大雨を降らせていた夕方、館のバックヤードへ盧笙がウエットスーツを脱ぎながら戻った時、普段は無人の設備室の横のスペースで、ツナギ姿の簓が両手を血みどろにして立っていた。盧笙は一瞬目を見張ったが——だらしなく腰元にぶら下げていたスーツを、慌てて裸の胸元まで引き上げもした——簓の足元に餌のバケツが置いてあるのを見て、閉館後に行う給餌の準備中なのだと気が付いた。
    「躑躅森さん、使います?」
    簓が部屋で唯一の水道を指して尋ねた。盧笙が頷くと、簓はシンクの周りに散らばっていたイワシやサバを、包丁で素早く集めてから手元のバケツへと流し込み、場所を譲った。
     盧笙は足にフィンを履いたままペタペタと水場に近寄り、血生臭い蛇口を捻って海水でベタついた手を洗う。
     二人きりの室内は、夏休みの親子連れでごった返していた館内とは別世界のように静まり返っていた。互いに会話も無く、ステンレスのシンクと頭上の配管を流れる水音だけが響く。
     往来のあがり症も理由で物静かな盧笙にとって、毎日客前で喋りまくっている簓——彼が担当するエサやりショーは館の名物イベントである——が、今はコンクリートの壁に寄り掛かったまま、じっと黙っているのが意外だった。休憩時間の過ごし方も、たいてい本を読んでいる盧笙とは対照的に、簓は同僚たちとの賑やかな会話の中心に居る印象が強かった気がする。二人は入社時期がズレているせいで——簓は専門学校を出てすぐに就職しており、盧笙の方は理学部の修士まで取っていた——互いに同世代だろうと認識してはいたものの、まともな会話をしたことはこれまでほとんど無かった。
     水を止めて振り返れば、いつも笑っているような糸目の奥の金色と視線がぶつかる。思わず目を逸らした先、彼の足元にある、魚が山盛りになったバケツが目に入り——盧笙の腹がグゥと低く鳴った。数秒の沈黙が流れたのち、簓が小さく噴き出す。
    「たしかに美味そうやなって、俺もたまに思う」
     くつくつと肩を震わせて簓が言う。「でもコレはサクラのご飯」
     赤面した盧笙は、ついさっきまで大水槽の中で隣を泳いでいた一頭のイルカを思い浮かべた。滑らかな肌が照明の下で瞬き、つぶらな黒い瞳が、トレーナーである盧笙へと親しみを込めた目配せをする。盧笙と同い年のサクラは、彼に一番懐いているイルカだった。
    「お、よぐと腹減るから」
    「ボンベも重そうやもんな」
    「水に入れば、そうでもない」
    盧笙は右手を自身のうなじに伸ばす。ヘアゴムで束ねた襟足をいたずらに握ると、背中を伝ってぱたぱたと床に水が滴り落ちた。再び手が海水まみれになったことに思い当たって内心悪態をつく。なぜか緊張していた。簓が「あのさ」と続ける。
    「サクラ、最近エサ食べる量が少ない」
    盧笙は瞬きした。昼間のイルカたちの様子を振り返る。
    「トレーニングの時はよう食うとったけど」
    「昨日は三百グラム、一昨日は百五十グラム残しとる」
    仕事の話に、自然と盧笙の背筋が伸びた。簓もいつもの陽気さは引っ込めて、真剣に考え込んでいる様子である。その目元は笑みを消すと存外鋭い。館の目玉であるジンベイザメのエサやりショーの最中に「イルカはいるかーって!」とダジャレを連発しながらカラカラと笑っている簓の姿を好む観客たちが、もしも今の彼を見たら、きっと驚くだろう。
    「細かく切った方が食うかも」
    しばらく考えてから、盧笙は答えた。イルカは一日十キロも魚を食べるだけあって、効率のために普段の給餌は魚を丸ごと与えている。一方で、ショーの時はパフォーマンス毎に何度も魚を与えなければならないため、小さく刻んだものを使う。トレーニングではよく食べるのだから、一度エサを同じ形にしてみてはどうか。
     簓はバケツと盧笙の顔を見比べてから、「今日からそうしてみる」と呟いて、片手でひょいとバケツを持ち上げ、再びシンクへと戻した。それから手際よくサバの頭を落としていく。
     盧笙はなんとなく簓の隣に立って、作業の様子を眺めた。カン、カン、と包丁がまな板を打つ音が規則的に響く。緑の前髪に隠れた眉間に皺が寄っていることに気が付いて、少し場を和まそうと「サクラも気まぐれ屋さんやから」と付け足した。ふと、サクラがハードルジャンプを渋る時に見せる、駄々っ子みたいな様子を思い出して笑みがこぼれる。顔を上げた簓は、つられたように頬を緩ませて首を傾けた。
    「躑躅森さんって、イルカに懐かれとるの、なんか分かるわ」
    「そうか?」
    「うん、信頼したくなる感じ」
     トレーナーの中で盧笙が一番イルカたちとコミュニケーションをスムーズに取れるのは事実だった。それゆえに、客前に立つ本番のショーでも息の合ったステージを披露できている。彼の出演する回を目当てに来館する客も少なくない。いつからか盧笙を指して「人魚」や「王子」と呼ぶファンが現れる始末で、他の学芸員まで「王子」と揶揄って呼んでくるものだから、少し食傷気味だったが——そういえば、簓がそのあだ名を口にしている姿は一度も見たことが無い。
    「なあ、躑躅森さん、今日何時まで?」
     簓が手元に視線を落としたまま、不意に呟いた。白いまな板の上を、水で薄まった血液がするすると流れていく。彼の白い長靴が、水浸しの床を踏み締める小さな音がした。「七時」と盧笙が答えると、簓はちょっと間を置いてから、「三十分待ってくれたら、俺、寿司奢るけど」と、どこかぶっきらぼうに申し出た。


     寝室の暗闇の中、ダブルベッドの上に二人で居るといつも、流氷に乗って旅をしているような気分になる。部屋の角に置かれたミズクラゲの水槽が発する青いLEDライトが、四方の白い壁に波模様を描いていた。盧笙はあくびをして、心配性な恋人の筋肉質な肩に唇を寄せた。
     他者に本心を見せないがゆえに、どこか冷たい印象すら与える簓の内側が、実は人一倍熱い愛情で満たされていることを盧笙は知っている。その熱を胎の中で感じる間柄になるずっと前から、きっと本能的に分かっていたのだ。簓が自分の仕事によって、地球に住む、姿形もコミュニケーション方法も、物の考え方も呼吸の仕方も違う生き物たちが、みな笑って暮らせるようにしたいと本気で志している男だということに。「陳腐な夢やけど」と、回転寿司の皿を積み上げながらはにかんだ横顔をテーブル越しに見た時、盧笙は簓と恋人同士になりたいと思った。

     簓はよろよろと顔を上げ、盧笙の裸の胸元に自分の頬を押し当てた。毎日生き物が死ぬのを見ていたって慣れることなんて決してなく、むしろ自分や親しい人間にもいつか必ずその時が訪れることを、警句のように突きつけられる日々だ。
    「たった二ヶ月やん」
     盧笙は笑いながら言った。北極点に行く自分よりも、大阪に残る簓の方が凍えてしまうのではないかと思うほど、彼の頬や耳は冷たい。温めてやろうと思って、「俺が帰って来るまで、サクラの世話は頼むな」と囁きながら首に腕を回すと、ようやくこちらを向いた糸目が、一層不満げに細められた。
    「今は他の子ぉの話せんで」
    「お前、そんなんやから給餌の時にサクラに水掛けられるんやで」
    とうとう盧笙が声を上げて笑えば、簓も眉を八の字に下げて微笑み、盧笙の身体に再びぴったりと覆い被さる。そして盧笙の顔を覗き込むとへらりと笑った。
    「新種の魚見つけたら、sasaraiを献名してや」
    「考えとく」
    盧笙は優しい声色で言って、目を閉じる。そうして互いの身体が笑い声に合わせて呼吸するのを確かめ合う。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💜👏👏👏💖❤👏👏💖😍😍😍💘💘💘👍👍👍☺💗💗💗💗💗🙏☺👏👏👏💴👏👏👏👏👏🐬🐬🐬🐬🐬🐬❤🐬🐬🐬🌸🐬💚💜💖👏😍💜👏☺❤❤💖😍
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works