それは食堂で昼食を取っているときのことだった。ジャックの耳がピンと立ち、オルトが一番近くの通路を見る。つられて視線を向けると、ちょうどその場で立ち止まる黒髪があった。
「……君らはいつも一緒だな。探しやすくて助かるが」
「ジャミル先輩」
「こんにちはー」
バイパー先輩は持っていたクリアファイルをエースの頭に丸めて乗せた。というより軽く小突くような感じではあった。エースはきょとんとしながらもそれを受け取っている。
「今週の土曜、急遽練習試合だ」
「えっ、は!? 今週!?」
「予定でもあったのか?」
「そりゃ……」
エースは、はく、と言い澱んでからこっち側を見た。捨てられた子猫みたいな顔をしてて、わしゃわしゃしたくなるな。
今週の土曜はまさにこのメンツで麓の町に出かける計画を立てていた。今日も食後にどこへ行くか、なんとなくの予定を立てようとしていたところで。
「なんでまた急に……」
「フロイドのやつが気まぐれに他校と取り付けてきたんだよ」
俺だってやりたいことはあったのに、と先輩も愚痴を溢している。リーチ先輩を止められる人なんて存在するのだろうか。
「まぁ仕方ないね」
「え、」
監督生は困ったように眉を下げて笑った。
「エースは部活、頑張って」
「エースのやつは置いていくんだゾ」
「ねぇ!? オレ抜きで行こうとしてない!?」
「だって予定合わせるの大変だったじゃん」
「そ、そうだけどさぁ……!」
「エースお前、ユニフォーム貰えたんだろ? 活躍の場からやって来たじゃねぇか」
「そう、だけどぉ……っ」
わなわなと唇を震わせて、何かの拍子で涙を溢してしまうんじゃないかって顔をしているくせに。頑なに「オレも一緒に行きたい! 置いてくな!」とは言わない。言ってくれれば僕たちだって「仕方ないなぁ!」なんて大げさに言ってもう一度予定の擦り合わせくらいしてやれるのに。
まぁ、素直なエースも気持ち悪いけど。
食後にはミーティングがあるからと連れ去られたエースに手を振り、僕らはどうしようかと顔を突き合わせる。
「練習試合って見に行ってもいいのかな」
「他校とだしなぁ……あとで先輩に聞いてみるか」
外出届はまだ未提出だし、内容を部活の応援に変更することを決めて解散した。サプライズのつもりだからエースには内緒だ。ビックリさせてやろう。
遅れて教室に戻ってきたエースは見るからに不機嫌で笑ってしまった。わざと音を立てて椅子に座り、つついてくださいとばかりに頬を膨らませている。ガキすぎるだろ。そう思いながらも僕の心はキュンキュン刺激されっぱなしで。我慢できずにつっついたら、手負いの獣みたいにガウッと噛み付こうとしてきた。
「こわ〜」
監督生は寝てるグリムの腹をわしゃわしゃしながら笑ってて、そういえば僕もわしゃわしゃしたかったんだと思い出し、テラコッタをわしゃわしゃした。
キュッキュ、と靴の底が擦れる音と、ボールの跳ねる音がよく響く。観客の数は想像よりも多く、若干肩身が狭かった。
「半分以上女の子だね……」
「いーなー。共学」
「有名な選手とかいるのか?」
「さぁ」
「ふなぁ」
アウェーの中、さらに普段はない騒がしさもあって大丈夫だろうかと少し心配になったが、みんな落ち着いているようだ。そこはNRCの図太さが出ている。
エースもゆったりとストレッチをしているが、観客席を見渡す余裕はないらしい。それよりあの髪型はなんだ。
「前髪上げてる」
「そうだね」
「かわいい……」
「はいはい珍しいね」
「ぽよぽよしてる……」
「よかったね」
「監督生サンの躱し方、だんだん雑になってきたね」
「手慣れたと言って」
「それでいいの?」
おでこかわいすぎる。ちゅーしたい。そんなことを思っている間に試合は始まった。
しかし、エースはベンチスタートだ。一年でユニフォームを貰えたからと言って最初から出させてもらえる訳ではないらしい。
食い入るように試合展開を見つめているエースの横顔は、もちろん格好良かった。
「こっちのバスケも魔法は使わないんだね」
「あぁ。授業でもやるし、監督生も参加できるぞ」
「でも僕、球技苦手なんだよなぁ」
「僕もだ。エースはボールがあった方が早く走れるとか言ってたけど」
「なんだそれ」
「思ったより行ったり来たりで大変そうだね」
「ゴール下で競ってたと思ったら急に反対へ向かうから忙しないな」
確かにボールを追っているだけでも目が回りそうだ。こっちが点を取ったと思ったら相手もすぐに取り返してきて、まさに一進一退の攻防。
「やっぱフロイド先輩は目立つねぇ。手足のリーチがあるから……リーチだけに」
「フッ」
「ふふ、僕も同じこと思ってた」
「ジャミル先輩の動きもすげーな。しなやかって感じだ」
あっという間に前半が終わり、点差は3点。相手校の優勢だが、2ゴールで取り返せる。
選手たちはホワイトボードの前に集まり、作戦を立てている。ペンを持ち、中心で話しているのはエースだった。
「エースがなんかやってんね」
「随分集中して見てたからな」
話し合いが終わったのか、ペンを置いたエースはもみくちやにされていた。それからコートの端っこで軽く体を動かし始める。
「お、出るか?」
「エースー! 頑張れー!」
「あっ、おい!?」
監督生に抜け駆けされた! 慌ててなんて声を掛けようか迷って言葉に詰まっていると、ぽかんと呆けた顔のエースと目が合った。それから横にも視線を向けて、また僕に戻ってくる。
「っ、負けんなよ!」
思ったよりドスの効いた声になって変な汗が出た。エースは案の定噴き出して、それからくしゃりと顔を歪ませて笑った。無邪気な感じじゃなくて、わっるい顔で。
「ったりまえだろ!」
べえっと舌を出して、意気揚々とコートに入って行った。なんだそれ、なんだそれ!
「特大ファンサを喰らったデュースさん、今のお気持ちは?」
「しぬ」
「あれが素なのちょっと怖いな」
「デュースさんの体温と心拍数が上がり続けてるよ」
「おい、始まるぞ」
飛びかけた意識はホイッスルの音を聞いて戻って来た。せっかくのエースの活躍を見逃してたまるか。一生後悔する。
前半活躍の多かったリーチ先輩は厄介だと思われたのか、徹底マークされて不機嫌になる様が遠くからでもよくわかった。だけどその分、バイパー先輩が動きやすくなって良くゴールを決めている。
エースはというと、ボールが回ってくる回数は多いものの、すぐにパスを送るからあまり目立った活躍はないように見える。いや、相手のボールを奪う回数も多い。相手の意識外からボールを弾き、そのまま味方の手元へ送り出すか、自分で上手いことキャッチ。ゴールまでのチャンスを多く作り出しているのはエースだ。
そのことに相手校も気付き始めたのか、エースへのマークが堅くなった。そうすれば動くのはもちろんリーチ先輩だ。
「やーっと楽になったァ」
ガシャン、とダンクを決めてゴールリングを掴みながら言うのは普通に怖いと思う。
そういった恐怖も植え付けつつも試合は進んでいく。あと5分過ぎれば勝てる、というところで相手が決めてしまった。残り3分。ボールを取って、取られて、走って、戻って。残り1分。ボールは未だ1本もシュートを打ってすらいないエースの元へ。相手もこれが最後だと徹底マーク。特に点取りのリーチ先輩とバイパー先輩に。
「エース! 行け!」
思わず声を上げてしまったが、それが合図だったかのようにエースはその場で跳んだ。スリーポイントゾーンのあたりから少し後ろへ跳躍して投げたボールは、綺麗にゴールへと吸い込まれた。
てんてん、とボールが転がる音が聞こえて、慌てて相手の選手が拾う。それを投げる直前、試合終了の音が聞こえ、ボールは再び床に落ちた。
「っしゃあ!!」
「たく、いいとこ持っていきやがってよ」
「今日調子良かったもんな」
「へへー」
先輩たちに声をかけられていたエースはふとこっちを見ると、にかっと歯を見せて笑ってピースしてきた。その眩しさったらない。目が潰れるかと思った。
「うっ……」
「デュースしんだ?」
「心臓の活動は止まってないよ!」
挨拶も終わり、観客が減っていく。どうせなら飲み物の差し入れをしようと持ってきたドリンクを片手にエースの元へ向かう。
「おっ」
「急に止まるな!」
「どうした?」
監督生がちょっと下世話な声を出して僕らは急ブレーキをかけた。
エースが女の子に話しかけられていたからだ。制服を着ているし、おそらくここの生徒なんだろう。
試合中のエースを見て惚れたんだろうか。そりゃ格好良かったしな。最後のゴールなんて、観客全員の視線を釘付けにした瞬間だった。最高の瞬間だった。だからって、それだけで。
「デュース?」
「うわぁ!?」
気付けばエースの顔が僕を覗き込むように見ていて心臓がまた止まりかけた。濡れた髪が張り付いたおでこかわいい……じゃなくて!
「お疲れ……」
「うーわ、ひでー顔。これから人殺す予定でもあんの?」
エースは笑いながら視線を巡らせ、引き攣った。監督生たちがリーチ先輩に絡まれているのを見たせいだろう。薄情かもしれないけど、すこし距離を取った。ちょっとだけでもふたりきりになりたかったし。
「そんなに酷い顔してるか」
「うん。せっかくのイケメンが台無し」
ここあっちぃ。そう言いながらユニフォームの胸元をパタパタさせている。何とは言わないが見えそうだから止めてくれと右手を掴んだ。反対の手では何かをぷらぷら揺らしている。スポーツドリンクだ。さっきの女の子に手渡されたのを見たような気もする。見たくない光景だったからあまり覚えてないけど。ムカつくからそれを奪ってフタを開け、一気に飲み干した。
「えっ、おま……ぁははは!」
「っぷは、」
「ははっ、サイコー!」
ゲラゲラ笑うエースには、僕が持ってきたスポーツドリンクを押し付けた。保冷魔法が効いているからまだしっかり冷えている。こんな温くて喉がねばつくような、甘ったるいだけのものじゃない。
「お、冷えてるじゃん。きもちー」
ボトルを頬にくっつけて笑うエースはドラマのワンシーンみたいで、落ち着いたはずの心臓がまたバクバク鳴り出した。