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    中の人

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    なんでもない午後の師弟

    「――これを予熱したオーブンに入れて、大体二十分焼けば完成だ」
     パタン、と閉められたオーブンの扉をメルコレディは感心した眼差しで見つめる。ルーナが満足げに立ち上がると、その視線は彼の横顔に向けられた。
    「へぇ、案外簡単なのね」
    「だろう。お前でも作れるくらいだからな」
    「一言余計よ……」
     うららかな昼下がり。ちょうど小腹も空いてくる頃。ふと思い立ってルーナは焼き菓子を作り始めた。睡魔と抗いながら課題に向き合っていたメルコレディもこれ幸いと教科書を机に放り出し、彼の手伝いを買って出た。ちなみにナマズオは近場の川に涼みに出掛けている。
     焼き菓子の材料は粉と砂糖、それにバターと牛乳。それらを交ぜた生地を手頃な大きさに分けて焼くだけの手軽なものだ。ルーナの指導のもと混ぜたりこねたりしたメルコレディはうきうきとオーブンを見つめて完成を心待ちにする。
    「さて、焼きあがるまでお前がちゃんと課題を進めていたか確認するとしようか」
    「うっ……」
     メルコレディが机にかじりついて学ぶのが苦手なことなどルーナはとうに知っている。それでも実践の土台にはきちんと基礎があってこそだと考えるルーナは様々な知識を彼女に与えることを選んだ。世界の成り立ち、国の歴史。一見無関係に思える専門書も必ず彼女の力になる。ルーナがエプロンをとって暖炉の前の指定席に座ると、メルコレディもしぶしぶその前の椅子に腰掛ける。すっかり英雄業が落ち着いたルーナと、その弟子であるメルコレディのいつもの授業風景だ。
    「さて、今日の課題は第三星暦の」
    「兄さぁん! こんにちはー!!」
    「……はあぁぁ」
    「うわっまた来た」
     意気揚々と扉を開けて現れた侵入者にルーナは海より深いため息を吐き、メルコレディは顔をしかめた。鍵を閉め忘れた犯人のナマズオは家人達のうんざりした様子など知らないまま、川の先の湖まで足ならぬヒレを伸ばし涼を満喫している。
    「あれ、何してるんです?」
     向かい合って座るルーナとメルコレディの間にリュシアンが立つ。目も合わせたくないといった様子のルーナの代わりにメルコレディが立ち上がってずいとリュシアンに迫った。
    「授業よ、授業! 邪魔だから帰ってちょうだい!」
    「はぁ? また君が兄さんを独占してるってことですか?」
     両者の間に火花が散る。メルコレディとリュシアンは何かと互いを敵視しているようだった。その主な理由はルーナにあるのだが、当の本人は諍いを始めた二人にげんなりした表情を浮かべるだけだ。自称ルーナの弟リュシアンがやってくると毎回こうだ。メルコレディは警戒心を顕にしてリュシアンを追い出そうとするし、リュシアンはそんなメルコレディこそ邪魔者だと彼女を追い払おうとする。ルーナが味方をするとすればメルコレディ一択なのだが、以前そうしたらリュシアンに泣きつかれて余計疲れたので二人が落ち着くまで静観することにしている。
     そうこうしているとオーブンから焼き上がった香ばしい香りが漂ってきた。気付いたルーナが立ち上がると、言い争っていたメルコレディとリュシアンもぴたりと口を閉じてその背に視線を向ける。厚手の布巾で挟み天板を取り出せば、膨らんだ黄金色の焼き菓子がいくつもその上に鎮座していた。メルコレディが駆け寄ってわっと歓声をあげる。
    「美味しそう!」
    「ああ、いい色だ」
     遅れてリュシアンもとことこキッチンにやって来ると、「へぇ」と感嘆の声を漏らした。
    「イシュガルドでもよくティータイムで食べましたよ、これ」
    「まぁ、そうだろうな」
     イシュガルドではお茶会で紅茶だけでなく果物や焼き菓子を振る舞う習慣がある。このリュシアンも腐っても貴族であるので、彼の生家でも変わらず作られていたのだろう。ルーナはふと浮かんだ疑問をリュシアンに放り投げる。
    「お前、今食事はどうしてるんだ」
     リュシアンは貴族だが、今は冒険者だ。冒険者になった理由はルーナを見つけるためだが、見つけた後も彼に近づくためにその生業を続けている。しょっちゅうルーナの家に来るが流石に毎日ではない。普段は宿をとっているだろうが、その暮らしぶりまでは知らなかった。
    「適当にやってます」
    「適当ってなによ」
    「君に答えてないんですけどー。まぁ宿の食堂で食べたり、その辺の店で買ったり」
    (案外普通なんだな)と質問した割になんの興味もない感想を抱いたルーナは、リュシアンが続けた言葉に眉を寄せた。
    「まぁ最近はギルがないので、その辺で採集したもの食べたりしてますね!」
    「……」
     あっけらかんとそう言うリュシアンにメルコレディが「あなた意外とアウトドア派なのね」と目を丸くする。
     リュシアンは冒険者になったとき、ある程度、最低限困らない程度の金は持っていた。家の金を持ち出さなかったのは一応現家長であるプライドがそうさせた――のではなく、長年家を守ってきた執事にノーを突き出されたからだ。執事はリュシアンがすぐ音を上げて戻ってくるだろうと思っていたのだが、その目論見は見事に外れ今は帰らない主人に頭と胃を痛めている。そして国を出て生活するのが初めてなリュシアンは早々にその金を使い果たし、なんとか冒険者の依頼をこなして食いつないでいるといった次第だ。
     さて生活のために採集を行うのは冒険者でもなんら不思議はない。ないのだが。
    「お前、ちゃんと知識はあるのか」
    「え?」
     ルーナの言葉にリュシアンがきょとんと首を傾げる。知識があれば安全な野草を選り分けることも出来るだろう。だがそうでなければ知らずに毒草を口にする危険がある。そしてリュシアンの反応は後者であることを物語っていた。そもそもリュシアンが園芸師の技術を磨いているところなど、ルーナは見たことも聞いたこともない。
    「……」
     ルーナはしばし逡巡する。焼き菓子はメルコレディに任せ、考え、悩み、迷う。迷いきった後、取り出した紙にさらさらとインクを走らせ、その紙をリュシアンに放った。
    「これは?」
    「園芸師ギルドへの紹介状だ」
     リュシアンは二、三度瞬きをし紙面に目を通す。そこにはリュシアンを園芸師としてこき使ってくれといった旨の文章が書かれていた。内容を理解したリュシアンは「えぇ?」と素っ頓狂な声を上げる。
    「兄さん、僕は園芸師なんて別に……」
    「いいから行け。私の名を出しても構わん」
     ギルド長のフフチャの顔を思い浮かべ、心の内で謝罪する。別にリュシアンがどこか知らぬところで痛い目にあおうがルーナには関係なかったが、死んだら死んだで目覚めが悪い。この厄介者を世話になった彼女のところにやるのは気が引けたが、せめて紹介する責任はとろうとルーナは腹を括った。一方のリュシアンはルーナの言葉に目を輝かせると紹介状を抱きかかえ
    「兄さんの弟だと名乗ってもいいんですね!?」
     と飛び跳ねんばかりに喜んだ。いや、実際に大の大人が飛び跳ねている。
    「いや、そういうことじゃ……」
    「……あなたね、ああなるのは目に見えてるじゃないの」
     焼き菓子を皿に移し終えたメルコレディは呆れた視線をルーナに向ける。メルコレディはルーナのこういった他者に対する甘さによって自分が救われた自覚はあるが、それがリュシアンのような困り者にも発揮されることを心配する気持ちもおおいにあった。だが当のルーナは己をもっとクールな人間だと思っているせいか、メルコレディがどうしてそんな顔をするのか分かっていない様子だ。
    「では早速行ってきます!!」
    「あっ! ちょっと!」
     リュシアンは踵を返すその瞬間、皿から焼きたてをひとつ頂戴すると踊るような足取りで家を出ていった。残るのは嵐が過ぎ去った後に似た疲労感ばかりだ。
    「……はぁ」
     ルーナは何度めかのため息を吐くと気を取り直して棚に手を伸ばす。焼き菓子に合わせる甘いジャムと少し贅沢したい時に使う茶葉を手に、彼は穏やかな午後を取り戻すべくティータイムの準備を再開したのだった。
     
     
     ~後日、園芸師ギルド~
     ヴェネル「おはようございまーす。……って、あれ?」
     フフチャ「おはようございます、ヴェネル。どうかしましたか?」
     ヴェネル「いや、あそこにいるあいつって……」
     フフチャ「ああ、新人ですよ。ルーナからの紹介です。なんでも彼の弟なのだとか」
     ヴェネル「えぇー……」
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