2021.12.02 今夜は花火大会なんですよ、と開店前、キャストの一人が言っていた。
「依織」
日の出にはまだ少し時間のある中途半端な空の色を眺めるというほどでもなく眺めていた依織が、匋平の声に顔を向けて「旦那、どこ行ってたんだよ」とぼやく。数分前、仕事上がりにいつも通る公園の横で突然依織にベンチで待つよう告げて走り去った匋平が、へらへらと笑って「悪い」と返した。
「コレ、やろうぜ」
四角く歪んだビニール袋を差し出され、依織は袋の中を覗いてため息をついた。中身を見た瞬間、匋平の考えるところが手に取るようにわかったからだった。
「あのなあ」
「いいだろ? 量もそんなねえしさ、パッとやってパッと帰りゃ」
「ガキじゃあるまいし……」
それは当時の依織と匋平の口癖のようなフレーズだった。事実として二人は──望むと望まざるとに関わらず──子どもであったが、これもまた望むと望まざるとに関わらず、子どもではいられなかった二人でもあった。オヤジを代表とした翠石組の大人たちは子どもとして二人をかわいがり教え導いたが、二人の生きる世界はそこに留まることを許すほど優しいものではなかったからだ。だから二人は自身と相棒とに幾度も言い聞かせた。自分たちは子どもではない。手を汚さず、強い存在に身を委ねて目を閉じていることはできない。自分たちの身は、居場所は、自分たちの手で守らなければならない。それが二人の約束だった。あるいはこの世界に生きるすべての子どもの。
「線香花火ってやったことねえんだ、俺」
呆れる依織を無視して花火の袋を破いた匋平が言う。
「アレじっとしてなきゃならねえんだろ。だりぃから」
「……うまくやれば綺麗だと思うぜ。俺もあんまりやった覚えねえけど」
空が少しずつ色を変えていく。昼の間の熱が一番冷めているのが夜明け前だ。八月とは思えないしんとした空気を吸い込んで、依織はベンチから立ち上がると「やるか」と言って袖をまくり上げた。匋平が得意げに笑う。あいまいで半端な薄暗闇の中で、琥珀色の瞳が金星のようにきらめくのを見た。
手持ち花火を振る匋平の、いざ始めると恥ずかしくなったのか眉を下げた笑顔と、強い光が描いた軌跡がまなうらにしばらく残る奇妙な感覚、間抜けなほど平和な火薬の匂い。残骸を次々に積み上げて踏み消しながら依織も笑った。笑ったのだと思う。依織の顔を見た匋平が、嬉しそうに笑い返したのを覚えているから。
匋平は結局線香花火も気に入ったようだった。小さく口を尖らせて手元に集中する横顔を見ていた。その時間の依織の記憶には匋平の顔ばかりがある。夜とも朝とも言えない時間、匋平を見ていた。
「綺麗だな」
匋平が言った。
「そうだな」
依織は花火に目を戻して答えた。膨らんだ光の玉が、依織の手からちょうど落ちようとしていた。
「綺麗だ」
/幼ごころの君