ツムでもなんでもツムでもなんでも
ツムという不思議な生きものが学園に現れたのを聞いたのは数日前のことだった。
とってもかわいかったという話を聞いてオレは見たくて見たくてたまらなくなった。だってオレ、動物好きだしさ。実家には象もキリンも孔雀もそれ以外にもたくさんの動物を飼ってるんだ。動物ってほんと可愛いよな!
それに生徒に似た姿の動くぬいぐるみのような生きものってなんかわからないけどすごい。オレもオレに似たツムを見たい。すっごくみたい。
そんなことを学校の裏庭の木にもたれてぼやいてたら、突然声が聞こえた。
────そんなになりたいなら、なってみる?────
鈴を鳴らすような声が聞こえた途端、オレは瞼が重くなった。ああ、魔法だ。きっとこの声は──ああ、ダメだ。意識が遠のいていく…………。
「……ん? あれ?」
気がつけばそこはいつもの裏庭で校舎の後ろの太陽がかなり傾いてあたりはオレンジ色に染まっていた。
「やべっ! 早く帰らなきゃジャミルに怒られる!」
ジャミルはいつも同じ時間に夕飯を作ってくれる。時間までに帰らないとお説教だ。
オレは急いでスカラビア寮に戻った。慌ててたから全然気がつかなかったんだ。いつもと見える景色が違うってことに!
「ただいま〜!」
駆け足で鏡舎の鏡を通り抜けて寮の扉をくぐり抜けた時にようやくオレは違和感に気がついた。
あれ?なんか……おっきいな。
扉も、通路自体も、天井からぶら下がる照明も何もかもが大きい。不思議に思ってキョロキョロとあたりを見渡すとうちの寮生が怪訝な顔でこっちを見ていた。
「あっ、お〜い。これどうなってんだ?」
手を振って近寄ってびっくりした。なんとこの寮生、めちゃくちゃでかい!
まるで巨人だ。オレが背伸びしてもふくらはぎに届くかどうか。まるで昔話に出てきたランプの魔人みたいな巨大さだ。ユニーク魔法だろうか。
「おまえ、でっかいな〜‼︎」
ここで自分の声が全く出ていないことに気がついた。なんでだと思って口に手を運ぼうとして届かないことにまた気がついた。
「???」
なにかとんでもないことが起きている気がする。恐る恐る自分の手と体を見る。
そこには短く指のないずんぐりむっくりの手、ウエストも何もない樽のような体があった。
「な、なんだこれ〜〜〜!???」
もちろん声は出ない。ショックのあまりそこら中駆け回ってるとひょいとなにかに背中を掴まれた。
体が宙に持ち上がる。なんだと思ったらさっきの寮生がオレをつまみ上げたのだった。視界が高くなって他にもこっちを見ている寮生が何人かいるのが見えた。
「なんだこれ」
オレを捕まえた巨人寮生はマジマジとオレを見た。オレはなんとか自分がカリム・アルアジームだと伝えようとしたけど、なにせ声が出ない。無意味にパタパタと短い手足(足もずんぐりだ。膝もどこかに消えた)を動かすことしか出来なかった。
「ああ、これ知ってる。ツムってやつだよ。この前ハーツラビュルの子が連れて歩いてたよ」
一人の寮生が近づいてきてオレを持ってる寮生に話しかけた。
「ツム……? 危険はないのか?」
「大丈夫。小さいし魔力はないし、大したことはできないよ。前に来たやつは学園長がすぐに元いたところに帰したみたい」
「まあ、確かにぬいぐるみみたいで無害そうだけど……」
「アジットは心配症だなぁ。この子カリム寮長みたいでかわいいじゃん。うちで世話してあげようよ」
「寮内になんでも持ち込むなよ、バラト。この間も歩く変な花を持ち込んで勝手に増えて副寮長に雷落とされたばかりだろう」
「あはは〜、アレは怖かったね〜」
「笑ってんじゃねー。おかげで同室の俺まで怒られたんだからな。こいつはまず寮長に報告して……あっ! 逃げた!」
思い切ってピョンと飛び降りたら思ったより柔らかい体だったみたいで衝撃もなく無事着地できた。オレは短い手足をめいっぱい伸ばして四足歩行で駆け出した。
さっきも気がつかなかったけど四つ足で走ってたんだ。初めてやったはずなのにこんなに早く走れるなんてびっくりだ。
さっきの寮生たちには悪いけど、オレは捕まるわけにはいかないんだ。
無我夢中で走っていると通路の角を曲がったことろでなにかにぶつかった。
あいてっ!
これも声にはならなかった。でもお腹を押すと鳴る人形のようにぴぃ〜と甲高い音がなった。
痛みは……全然痛くないな。この体は痛みを感じにくいのかもしれない。便利だな。
そんなことを考えているとひょいと体が持ち上げられる。あれ、このパータン覚えがあるぞ。
ぐんぐん上がる視界の中で体をひねってオレを掴んでいるのは誰なのか見ようとした。すごく見覚えのある飾りの色々ついた黒髪が見える。
次にスラリとした首と少し厚めの唇が見えて、最後に綺麗なチャコールグレーの瞳が目に入った。
「なんだ? この珍妙なものは」
じゃ、ジャミル〜〜〜!!
よかった。ジャミルならきっとオレのことをわかってくれるはずだ。オレは喜び勇んでジャミルに飛びついた。
「な、なんだ!? こらやめろ」
そんなことをしているとさっきの寮生たちが追いついてきた。
「副寮長! つかまえてくれたんですね」
「この動く変な生き物は君のか。バラト・バダウィ」
またか、という顔でジャミルはバラトを見た。またお説教が始まると察したバラトは慌ててアジットの後ろに隠れる。
「あっ、こら! 俺を盾にするなよっ」
「ごめんなさいっ! 副寮長! 責任はアジットが取りますから〜」
「このっ……! 自分だけ逃げようとしやがってっ! 違うんです。こいつは勝手に寮内に侵入してたので捕まえようとしただけで、また内緒で飼ってたとかそういうわけでは……っ!」
ジャミルは説明を聞いてから、溜息を吐いた。
「はぁ、アジット・アル・タリバー。君は班長だろう。頼むから同室の管理はちゃんとしてくれ。カリム寮長の立場上、不用意に得体の知れないものを寮内に持ち込みたくはないんだ」
「は、はい…………わかっています。すみません」
どうやらアジットとバラトはジャミルに信じてもらえなかったようだ。もしかして、これってまずいんじゃないか?
「とりあえず、これは俺が預かっておく。寮長への報告もしておくから君達は部屋に戻るといい」
「あ、はい」
何がなんだか分からないうちに得体のしれないツムはジャミルが連れて行ってしまった。アジットとバラトはポカンとその背中を見送った。
「バラト」
「ん〜?」
「腹へった。購買にお菓子買いに行こうぜ」
「賛成〜。アジットいいこというね〜」
「お前の奢りな」
「ええ⁉︎ なんで⁉︎」
「お前、俺のこと生贄にしようとしただろ」
「あはは〜、ごめんね?」
「何奢ってもらうかな〜。ポテチとアイスとジュースと……」
「ちょ、ちょっと! そんなにたくさんは俺のお小遣いが死んじゃうっ! あっ、待って! アジット〜〜‼︎」
○○○
どこに連れていかれるのかと思っていたらジャミルがきたのはオレの部屋だった。ジャミルはオレのベッドに腰をかけると、あらためて変わってしまったオレを観察し始めた。
「本当に動いてるな……。頭に巻いてるリボン、よく落ちないな。なんだか見覚えのある服だな……お前どこから来たんだ?」
予想外に優しい手つきで撫でられてオレは困惑していた。それにやっぱりオレだって気がついてないみたいだ。言葉が喋れないので、身振り手振りで伝えようとするけど、無理だった。
「かわいいな、お前」
頭を撫でられて、思わず固まった。
ジャミルに頭を撫でられるなんて何年振りだろう。
くすぐったい気持ちになって思わず笑みがこぼれた。
「ん? 結構汚れてるな。カリムはまだ帰ってないようだし……風呂に入れるか」
たしかにあちこち走り回ったから顔や足に土がついていた。う〜ん、でもこの状態で風呂に入ったら溺れちまいそうだ。風呂はいらないぞ!と断ろうとしたら、いつの間にかもうバスルームに連れてこられてた。
「こら、暴れるな」
だって、なんか、ジャミルに脱がされるの…………は、恥ずかしいっ!
なんでだ?
実家で他の従者にやってもらうのは恥ずかしくないのに…………。
そういえば、ジャミルに裸を見せたのなんて小さい頃以来のように思う。昔は一緒に泥だらけになるまで遊んで、まとめて風呂に入れられたりしてた。でも成長してからはジャミルが遠慮するようになって、泥だらけになる機会も少しずつ減ってきて一緒に風呂に入るなんてこともなくなった。
この学園に入学してからは着替えを手伝ってもらうようにはなったけど基本は自分で着るし、とめにくいボタンをとめてもらったり、ターバンを巻いてもらったり、メイクをやってもらうくらいで、実家にいる時よりは自分でやることが増えた。
こんなふうに脱がされて、体の上から下まで丁寧に洗われるなんて、それもジャミルにされるなんて、初めてで、なんだかとても、恥ずかしい。
ふわふわのタオルに包まれながらドギマギしていると、ドライヤーの風を当てられてコロコロと体が転がった。
「……‼︎」
「おっと、すまない。どこかぶつけたりは……してないな。よかった。ふむ……ドライヤーの風では強すぎたか。なら、これはどうだ?」
ジャミルはポケットからマジカルペンを取り出した。小さく呪文を詠唱してペンを振る。すると温かい風が優しくカリムの上を通り抜けた。
ちゃんとツムの体が転がらないように弱い風になっている。ジャミルはこういった細かい調整がとても上手い。
カリムはつい面倒で雑にやってしまうのだけど、ジャミルは何でもないようにさりげなくこういうことをする。以前はそういうのが得意なんだと思っていたけど、最近並々ならぬ努力で出来るようにしたんだと気がついた。その根気強さにカリムは感心するばかりだ。
「よし、ちゃん乾いたな。ははっ、なんだその間抜け面! 誰かさんみたいだぞ」
ジャミルは楽しそうに笑って、オレに服を着せてくれた。この体になる前に着ていた制服みたいなツムの服だ。
なんだかそわそわしてしまう。
だってジャミルはいつもオレの世話をしてくれるけど、いつもはこんなことまでしないしこんな……こんな優しい目でオレを見ない。こんなふうに優しく撫でたりしない。ジャミルって小動物好きだったんだな……。ツムが小動物かどうかはわからないけど。
本当のオレにはこんなふうにしてくれない。
ちくりと胸が痛くなってオレはうずくまった。
「どうした? 眠いのか?」
よしよしとジャミルがまた、優しく撫でてくれる。違うんだよジャミル。うれしいし、くすぐったいけど、なんだかとても胸が苦しいんだ。
ツムのオレだけじゃなくて、本当のオレにもそんなふうに笑いかけてほしいなんて…………やっぱり欲張りすぎだよな。
そう思ってから、ふとこの前ケイトに借りて読んだ漫画を思い出した。恋愛漫画で主人公の女の子が片想いの相手に自分に笑いかけてほしいと望む話だった。
なんだよ。これじゃまるで、オレがジャミルに恋してるみたいじゃないか。
風呂上がりの温まった体と、ジャミルがくれる優しい手つきに微睡みながらオレは笑った。
そうか。答えは簡単だった。
オレはずっと前から、ジャミルのことが好きだったんだ────。
答えを見つけたことに満足して、オレは押し寄せる眠気に身を任せた。
「────リム、おい、カリム! カリム!」
「はっ‼︎」
ガバリと起き上がる。いつの間にか眠ってしまったいたみたいだ。見渡すとそこはカリムの部屋で、カリムの体は丸っこいツムではなくスラリとした手足がついている。
「元に戻った…………?」
もう一度、自分の体を眺めてそれから顔を上げてジャミルの顔を見た。
「何の話だ。それよりカリム。帰ったら帰ったと言ってくれ。夕飯の時間が…………おい、聞いているのか?」
「ジャミルーーーー!!!」
「うわっ⁉︎」
カリムは思いっきりジャミルに抱きついた。
オレより少し高い背、さらりとかかる長くて美しい髪、ほんのりと香るスパイスの匂い、抱きしめると細身ながらしっかりとした筋肉があるのが分かる。頼りがいのあるいつものジャミルだ。
「ジャミル‼︎ 戻った!オレ戻ったんだ! やった! やったぞ‼︎」
「だから何の話だ。ちょっ、危なっ……一回離れろ」
ぺりっと剥がされてベッドに押し戻される。でもカリムの興奮はなかなか治まらない。だって、すごいことがあったんだ。ジャミルに話したいことがたくさん、たくさんある。なあ、聞いてくれよ。
「わかった、わかった。一旦落ち着け。眠気覚ましにお茶を入れてくる。それまでに寮服に着替えておけよ。そのクシャクシャの制服、誰が洗濯すると思ってるんだ」
溜息を吐いたジャミルはなんだか楽しそうだ。
ジャミルもなにかいいこと、あったのかな?
昼寝したせいでシワだらけになったシャツを脱ぎながらカリムはなにから話そうと考えながら微笑んだのだった。