俺に降る流れ星(仮題) 月島基、34歳独身。
裕福ではない家庭で育ったものの、消防士となりそれなりに落ち着いた生活を営む。
趣味は職業柄の筋トレと温泉めぐり。某女優のファンクラブ会員でもある。
しかし、彼はただの消防士ではない。彼には過去の記憶……生まれるより昔の記憶があった。彼は明治時代の軍人の記憶をもつ消防士だったのだ。そして、『某女優』も同じく、その過去に生きた人物だった。今生の彼女は女性に生まれてきたようで、元々もっていた端麗な容姿に今生も恵まれたためか、5年程前に女優の登竜門と呼ばれる美少女コンテストに優勝し、そのまま女優として活動していた。月島はその彼女を見ていたくてファンクラブにまで入っていたのだった。
今生では消防士と女優、となかなか隔たった職業であるが、過去の彼らは上官と補佐の関係であり、それ以上の強い絆を持っていた。互いに唯一の存在として求めあいながら天寿を全うしたのだ。その様な相手なのだ。月島とて、会いたいとは思っていた。会って、違う形ではあってももう一度お仕えしたい、再び添い遂げたいと願っていた。それが叶わぬとしても、せめてお側に。
しかし。
今生では芸能人に会う方法も思い付かず。月島は彼女をテレビや映画で見られたらいい、今の彼女に過去の記憶があるかはわからないし、自分は今生はそうやってかの人の人生を見守ろうと決めた。それでいい。たとえ離れていても、姿を見ていられるだけで幸せだった。
しかし二人の絆が引き合ったのだろう。この夏、彼女の滞在した都内のホテルでボヤ騒ぎがあったとき、その現場に入ったのが月島だった。火事現場で避難の最中に出会った二人は、当然現場の混乱の中で旧交を暖めている場合ではなかった。しかし、彼女が現場に集まった消防車の管轄署を調べ、月島を訪ねてきた為、二人は再び出会うことができたのだった。
それが二週間前のことである。
ただのイチ消防士のところへ人気女優が名指しで訪問してきたということで、月島は署内ですっかり時の人であった。
「月島、今日はもう終わりじゃろ?おやっとさあ」
今日も勤務明けの月島のもとに彼女はやってきた。たしかに勤務のシフトは前回やってきたときに伝えているが、職場に来られると、たとえ変装していてもとても目立つので月島としては気が気ではないのだが。
「おつかれさまです。ええと、鯉登さん」
「音でもかまわんぞ」
鯉登音、というのが今生の彼女の名前である。
「いえ、そんな訳には」
「うふふ、前回はいきなり『閣下!!』だったからな。それよりはよか」
鯉登は小さく笑うと月島の手をとった。そう、二週間前の訪問時、月島は彼女を見るなり敬礼したのである。記憶の中で自分は晩年のこの人を閣下と呼んでいたのだから仕方ない、とはいうものの目の前にいるのはうら若い女性なのだから、照れ臭い失態であった。テレビ等で見る彼女は普通に女性らしく話していたが、月島の前だからか、彼女は月島の記憶の中の鯉登閣下の様に話す。その方が話しやすいからなのか、月島に合わせているのかは月島にはわからなかったが、月島自身鯉登に対しての話し方を以前と変えようとは思わなかったので、おそらくは鯉登もそうなのだろう、と思っていた。
「今日は時間が取れるか?前に来たときは連絡先を聞くくらいしかできんやったからな、今日は少しゆっくり話せないか?仕事帰りに行ったデパートで北海道物産展をやっていたのでな、弁当やらおやつやらいろいろ買ってきた。一緒に食いながらでも」
「ありがとうございます。しかし何処で」
「タクシーに乗ればすぐだし、うちでもいいんだが、月島のうちはどこなんだ?近いのか?」
「あー。ここから歩いても10分てとこですが」
「行ってもいいか?」
「えっ」
それはいいのだろうか?
月島は思う。記憶のなかでは何十年とお仕えした相手ではあるが、今の彼女は芸能人だし、まだ21だし、なんといっても女性なのである。
「あの、うちに来るんですか?」
「いかんか?都合が悪いか?散らかってるのか?」
特に散らかってはいないし、断る理由もないのだが、しかしいいのか?と悩む月島に、鯉登はまつげが長い影を落とす瞳を少し曇らせた。
「うちに、待つひとがおるのか?」
月島の記憶よりずっと華奢な肩を少しすくめて鯉登は訊ねた。以前は月島よりかなり高かった上背は、今生は月島と変わらない。変わらないはずなのだが、今はより小さく見えた。
「いや、特には。独り身ですし、恋人もおりませんし、ペットもおりません」
「そ、そうか、よかった。」
恋人などいるわけがない。今生もあなたを見つめて生きると決めていたのだから。ほかの何人たりとも自分の心を動かすことはなかったのだから。そんな言葉を口にはのせなかったが、この二週間というもの月島は鯉登を間近にみられる喜びでいっぱいだった。記憶よりひとまわり小さな鯉登を見ると顔が笑むのを月島は感じていた。
「月島?なんばしよっと?なんか……顔がやわらかいな。昔はずっと仏頂面だったのにな。今って笑うとこか?」
言われて、月島は戸惑う。
だって今生も仏頂面は変わらなかったはずなのだ。鯉登に会って、その面に色が差したのだ。
月島が結局断らなかったこと(鯉登にニヤニヤしてるならもういくぞ!と言われたのだが)で月島の家にいくことになった二人は、物産展で買ったものの話や、とりとめない北海道の話をしながら歩いた。
月島の部屋に着くと、鯉登は昔のように落ち着かなかったりキョロキョロしたりすることもなく、おとなしく促された座布団の上に腰を下ろした。月島の部屋は独り暮らし男性らしい1DK……に見えるがギリギリサイズの1LDKだ。エアコンが一台しかないからと開け放たれた私室にはベッドとおそらくはトレーニングに使っているマットが見えていた。隅にトレーニング用のダンベルがきちんと並んでいる。鯉登の座った場所からは見えない側には机か本棚でもあるのだろう。月島らしい飾り気のない部屋だ。月島の言うとおり、女の気配もペットの気配もない。
鯉登はうふふ、と笑うと月島にだされたお茶のペットボトルを開けた。その仕草は女優という人に見られる仕事柄なのか、元々の気質か、小さな動きですら優美な空気を醸していた。月島も多分に漏れず目を奪われながらも、思い起こせば記憶の中の鯉登も、動きに品があったなと気づく。剣道で鍛えた武道者独特の凛とした所作と育ちのよさがにじみ出る所作が同居した……とにかく目を引く人だった。そういえば、今生も舞台挨拶などでの立ち居振舞いの美しさがネットで話題になったりもしていたのだ。
「月島?」
呼ばれて、はっとする。
いけない、ついぼんやり眺めてしまったなと膝を正した。
「いえ、すみません。普段誰も来ない家なので茶菓子も何もありませんが…」
「今日は弁当もお菓子も持ち込みだから安心しろ」
誤魔化すように話題をだしたが、至極当たり前に返された。そもそもそれを食べるために飲食店ではなくこの部屋に来たのだ。慌てると言い訳も滑る。
鯉登がひょいひょいと弁当をだしながら、これは何処其処の店の海鮮弁当、これはウニの炊き込みご飯の弁当と並べて説明しながら月島にどれがいいか選ばせた。自分が先に選ぶわけにはいかないと固辞した月島にそう言うだろうと思ったと笑いながらも、鯉登はこれはお前に買ってきた土産なんだから選べ、と促した。押し問答もなんだなと思った月島は、気になっていた炊き込みご飯弁当を選んだ。
食べ始めると、これが旨い。
白米が好きな月島だが、豪華な炊き込みご飯はやはりそれはそれで旨いなとしみじみする。つい手が早くなり次々と口に運んでいると、今度は鯉登がこちらを眺めて動きを止めていることに気づいた。
「申し訳ありません、うまいのでつい」
「すまん、あんまり旨そうに食べるからつい見とれた。まったく変わらんいい健啖ぶりだ」
また鯉登がうふふ、と笑うので月島も笑った。二人で笑いながら食べた北海道弁当はあっというまに二人の胃袋に消えた。月島が重箱を模した弁当のパックを片付けていると、鯉登が袋から月寒あんぱんを出しているところだった。
「デザートですか?」
「たまにはよかじゃろ?」
「そうですね、こんなに楽しい食事は久々ですから。」
「まこち?」
「ええ、職場の宴席もありますが、こんなに楽しくないです。」
「……プライベートで人と食べたりせんのか?」
「ないですね」
「……恋人もいない」
「いませんね」
「今、何か……身動きとれないような大事な仕事や任務があるのか?休めないとか」
「いえ、普通に……現場は忙しいですし危険もありますが、シフトもありますし普通に勤務しております」
「……なら……どうして……」
笑っていたはずの鯉登がいつの間にか顔を伏せていた。肩が小さく震えている。
おそらくほかの者にはわからないが、月島には分かった。この空気。鯉登のまわりの空気が震えているような感覚。これは、怒っている時の鯉登の。
「ならば何故貴様は私のところへ来なかった!!」
部下を叱責する上官の音量で鯉登は怒鳴った。現代の一般人であれば萎縮するであろう怒声だが、月島は今も昔も商売がら上官の叱責には慣れている。況んや鯉登の声をや。むしろなぜ鯉登が怒っているのかという困惑が心を占めた。
「どうなさったんです」
「どうもこうもないであろうが!!貴様、二週間前に会った時、今の私を知っていたな?!」
「はい、それは」
鯉登は映画にドラマにと引っ張りだこ、2年前に出した写真集は初版のみ水着のカットを納めた小冊子がついていた為万のプレミアが付いた程の人気若手女優なのだから、月島が彼女を知っているのはおかしなことではないはずだ。それが何故怒る材料になるのか。
月島にはまったくわからない理由で鯉登は目元を真っ赤にして怒っている。
「月島ァ!貴様……私に……会いたくはなかったのか?!」
怒りに赤くした筈の目元に雫が光った。一粒それが落ちると、堰が切れたようにつぎつぎと涙の珠が鯉登のなめらかな頬に流れた。
「ずっと待ってた!人目に付く仕事をしたらお前も見つけてくれるって思って……お前が私を覚えていてくれたら、会いに来てくれるって……なのに全然来ないから……お前はいないのかと思ってた!!」
怒りのままに泣き出した鯉登は、今度はか細い声で言い募る。いかに自分が月島を待っていたか。そのために頑張ったかを。
自分の見掛けがいいのは知っていたが、芸能人になるためにそれをいかに磨いたか。
軍部と渡り合った処世術の経験値があったが、初めての芝居や業界で生きていくのがどんなに大変だったか。
月島の名前で検索してもなんのデータもないことに何度絶望したか。自分の名前は山のように検索結果が出るというのに。
どれだけ月島を。
月島基という人間を探して、待っていたかを。
泣きながら全てを吐露する鯉登を見ながら、月島も泣いていた。
「申し訳……ありません」
泣きながら、机を押し退ける。
蓋をしたペットボトルが床に転がった。
そのまま、月島は目の前の小さな肩を抱き締めた。
何が今生は遠くから見守れればいい、だ。輝いてくれている星は遠くからでも見ることができるが、星からは真っ暗なこちらのことは見えはしないのだ。それに気づきもしないで、何をしていたんだ。火事の出会いのあとだって、鯉登が月島の勤務先を調べて来てくれたのだ。見つけられるための努力も、見つける為の努力も、すべてを鯉登にさせてしまった。
月島は鯉登を抱き締める手に力をこめた。記憶の中の鍛えられた将校の身体と違い、小さな身体は腕にすっぽりとおさまる。
「ん……ッ」
痛みに鯉登が喉をつまらせたのに気づき、月島は腕を緩めた。
「す、すみません加減が」
「……よか。」
「閣下……」
「よかよ。月島が……ここにおるのがわかるから……よか。」
鯉登が細い腕で月島を抱き返した。
腕のなかで小さくつぶやいた。
「なんで私を知ったその日にすぐ来んかったんだこのばかすったれ…」
「すみません」
「どれだけ私がお前に会いたかったか……ッ」
「すみません」
何故自分は諦めていたのだろう、と月島は悔やむ。
星を求めても手に届かないと、早々に諦めた。せめて自分は旅をすべきだったのだ。居場所を示してくれる北極星を求めて、北に進路をとり、北極まで旅すべきだった。北極まで行って、それでも北極星は手に届かない空の上にあるのはわかっている。それでも、自分は北を目指すべきだった。星に、手を、伸ばして。
だって、この輝く星のような人が。こんなに懸命に自分を探してくれているなんて思っても見なかったのだ。
「探してくださって……ありがとうございます」
月島に抱き締められた鯉登が月島の腕をゆっくりとはずし、顔をあげた。
「見つけたからにはもう離さんぞ」
まだ赤い瞳は、でももう涙で濡れてはいなかった。
「離れません」
もうあなたに俺を探させたりしない。
誓いをこめて鯉登の目を見つめれば、鯉登の瞳が閉じられた。月島に向けて傾けられた唇に、そのまま月島は自らの唇を重ねた。
小さな音をたてて何度か啄むくちづけをして。改めて向き合うと、真っ赤になった鯉登と目があった。
「……私は今は女だけど、いいか?」
今も昔も変わらぬ星のような瞳を揺らして、鯉登はそう問うた。
「ホントは少し怖かった。私は昔と変わってしまったから。前のお前の真心を疑ったことはないが……もしかしたら、私がこんな風に生まれついたから、だからお前は私のところに来ないんじゃないかとも思っていたんだ。私はお前が支えてくれた男ではなくなってしまったから」
「……関係ないですね」
月島は床に座り直すと向かい合うように自らの膝の上に鯉登を座らせた。
「ほら、目線も簡単に昔通りです」
「月島ぁ」
「冗談ですよ」
月島は鯉登の細い腰に手を当て、そっと力をこめた。掌に伝わる感触は柔らかく、とんでもなく細い。たしかに陸軍将校の鍛え上げられた身体とは比べられようもない、細く、華奢な身体。しかし。
「私にとっては貴方はどんなお姿であれ変わらない存在です。」
「……でも、お前が愛してくれた胸板もないし、腹筋もどれだけやってもあんな風にはならんし」
「そりゃそうでしょうね。女性は普通の鍛え方ではああはならんでしょうし」
別にいいと思いますよ、と月島は腰に添えた手をそっとおろしていく。円やかな線を描くそこは、吸い付くような弾力で月島のてのひらを押し返す。
「柔らかい。」
「んっ……」
「昔の貴方も魅力的でしたよ…若い新品少尉の頃も、貫禄のでた中将閣下も。貴方は貴方であるだけで、俺には……すごく……」
鯉登の尻を撫でながら言い募る。月島はいつの間にかその手を止められず、強弱をつけてそこを味わっていた。
「だから……今も……俺にはあなたが……」
「ん……やっ……つきしまッ」
鯉登は我慢できずに腰周りで不埒な動きを続ける元部下を呼んだ。我を忘れて尻を揉みしだいていたことに気付き、月島はその手を鯉登の身体から離す。謝罪を、と鯉登を見てみれば、眼の縁が先程の怒りとは異なる何かで再び赤く染まり、艶やかな唇が震えていた。月島の目にはっきりと情欲の火が灯った。
「……申し訳ありません……」
小さく謝罪の言葉を口にのせると、月島はその言葉を口移す様に鯉登の唇に自らの舌を差し込んだ。突然の侵入される感触に逃げる鯉登の舌を、月島は執拗に追い、吸い上げた。
「んっ……う、んっ……」
苦し気に唸る声は、それでも少しずつ甘味が滲んできた。舌を吸い、口腔を舐めあげ、唾液を貪る。息を継ぐように月島は唇を一時離すと、一言、「愛してます」と告げた。言い終わらぬうちに再び唇を塞ぐ。
突然の激しい接吻に、鯉登は月島の膝の上に跨がったまま月島の胸を叩いていたが、その言葉に抵抗を止め、応えるように舌を絡めた。帰ってきた反応に、月島の胸に懐かしさと愛おしさが去来した。
何故自分はこの人に触れない人生でいいなどと思っていたのか。
見ていられるだけで。
見守っているだけで。
幸せそうに過ごしているなら構わないなんて、何故思えたのか。
もう、戻れない。
もう、この人が側にいない人生は歩めない。
もう、この人に触れずにはいられない。
月島は唇を離すと、目の前の鯉登を再び抱き締めた。膝にのせているため細い肩に顔を埋めて抱くと、香水の甘い香りがした。
「……抱きたいです。」
言葉を選ぶ余裕もなく、気持ちを口にした。性急すぎる言葉にもかかわらず、鯉登もすぐに月島の背に腕をまわした。
「……もう、離さんで」